第698話 祭りの夜に
魔武道会が閉幕式し、夜を迎える。
代表選手や両国の貴族を招いた盛大な宴が今頃開催されているらしいが、俺たちは不参加にすることにした。
お祭り騒ぎは夜になっても収まる気配はない。
人混みこそ昼間よりも少なくなっていたが、両国の奮闘を祝ってあちらこちらで酒が振る舞われているからか、人々の楽しそうな声が至るところから聞こえてくる。
そんな祭りの雰囲気にあてられたお陰とも言うべきだろうか。
魔武道会で多くのトラブルに巻き込まれ、精神的に疲労していたマリーとナタリーさんに活力が戻っていた。
つい先ほどまでは、すっかりとこのお祭り騒ぎを二人は楽しみ、飲み物や食べ物を片手に煌びやかなラビリントの街並みを練り歩き、今日という一日を存分に満喫していた。
そんなマリーも時が経つと共に体力を使い果たしたらしく、今ではフラムの背中でぐっすりと眠っている。
幸せに満ちたマリーの可愛らしい寝顔に皆が微笑み、そして宿へと戻ることになった。
宿に戻ると、ナタリーさんがフラムからマリーを引き取り、寝室へ。
その後、ナタリーさんは手早くお風呂と着替えを済ませると、俺たちよりも一足早くマリーが眠る寝室に向かい、深い眠りについていた。
こうしてリビングに残ったのは俺たち『紅』とイグニスだけとなる。
イグニスが淹れてくれた冷たいコーヒーで喉を潤わせつつ、リビングの中央に置かれていたテーブルを囲い、話し合った。
今日のこと、そしてこれからのことについて意見を交わし、方針を固めたのである。
「さて、と……」
俺は寝巻きではなく、黒のレザージャケットに袖を通し、愛刀の紅蓮を腰にさして支度を整える。
出掛ける支度を整えたのは俺だけではない。
ディアもフラムも俺と同じように冒険者として活動している時の服に着替えを済ませていた。
「イグニスには悪いけど、留守番を頼む」
「お任せください」
そう最後に声を掛けた俺に、イグニスは仰々しいほどに頭を下げ、俺たちを見送った。
現在の時刻は夜の九時。
夜を忘れたラビリントはまだまだ活気で満ちている。
宿を出てすぐに俺たちは二手に分かれて行動する予定になっていた。
俺とディアは情報収集のために貧民街へ。
そしてフラムはルヴァンのもとへ。
どちらも何か当てがあってのことではない。
ただ無作為に時間を浪費することを嫌い、今できることを模索した結果の上での行動だった。
俺とディアが貧民街に向かうことになった理由は大きく分けて二つ。
一つは、『銀の月光』と契約を結んだ直後にリディオさんの屋敷の周辺を彷徨き、監視していた者たちが貧民街の出かもしれないと以前イグニスが報告してくれたこと。
もう一つは飴細工店の前でマリーを……いや、フラムの近くにいる人間を誰でもいいから襲ってくれと貧民街で雇われた自称何でも屋の男のこと。
この二つの共通点として貧民街が関係していたことから、今回俺とディアで調査に踏み切ることにしたのである。
もしこの調査によって、貧民街でスカルパ公爵に繫がる手掛かりが見つかれば上々の成果と言えるだろうが、正直に言ってしまえば期待はできない。
貧民街の人間を使ったことを踏まえれば、間に何人もの仲介を挟んでいることは容易に想像がつく。
おそらくその数は一人や二人程度の数ではないだろうし、そもそも仲介役の人間が貧民街に住んでいるとも限らない。
ましてや、短時間でその足取りを掴もうとしているのだ。今、俺とディアがしようとしていることは、極小の可能性を追っての行動でしかなかった。
その一方で、フラムはフラムでかなり厳しい展開が予想される。
居場所を知らされていないこともそうだが、何より厄介なのはその隠遁能力の高さと逃げ足の速さだろう。
逃げ足の速さに関しては既にイグニスが証明している。
如何にフラムがイグニスよりも優れた力を持っているとはいえ、ルヴァンは竜族が持つ鋭敏な嗅覚から逃れる術を持ち、かつ探知系統スキルにも引っ掛からない実力者だ。
つまるところ、フラムは何のヒントもなく闇雲にルヴァンを見つけなければならない。
だが、フラムが言うには見つけられる可能性はゼロではないとのことだ。
何をどうやってルヴァンを見つけるつもりなのか皆目見当もつかないが、今はフラムの言葉を信じるしかないだろう。
「では、行ってくる。朝までには戻るつもりだ」
そう言い残し、フラムは夜の中に消えていなくなった。
「行っちゃったね。わたしたちも行く?」
「そうしようか。――っと、その前に……」
虚空の中に手を突っ込み、俺がアイテムボックスから取り出したのは二枚の襤褸布だった。
「はい、これ。行き先を考えると、身綺麗な格好をしてたら何かと目立っちゃうだろうからさ」
街中がお祭り騒ぎになっているとは思わない方がいい。
俺たちがこれから向かうのは貧民街なのだ。
いくら魔武道会で盛り上がっているとはいえども、商店や露店が貧民街までわざわざ出店しているとは考え難いし、当然その治安の悪さを考えると、立ち寄ろうと考える観光客なんて誰一人としていないだろう。
そんな場所に身綺麗な格好をした俺たち――とりわけ綺麗な格好と顔立ちをしているディアが立ち入ろうとしたならば、貧民街の住民から警戒されることは火を見るよりも明らかだ。
いや、むしろ警戒されるだけならまだマシかもしれない。
部外者を排除しようとする動きや、その容姿に惹かれてディアを狙ってくる輩が現れる可能性も十分過ぎるほど考えられる。
無論、俺たちが遅れを取るとは思っていない。
しかし、過信や慢心をするつもりもなかった。
俺から襤褸布を手渡されたディアは、襤褸布を頭の上から被る前に鼻を動かして匂いを嗅ぐと、途端に顔に悲壮感を貼り付けた。
「うう……くちゃい……。さっきせっかくお風呂に入ったのに……」
「ははは……。こればかりは我慢してもらうしかないかな」
「うん、わかってる。でも、帰ったらもう一回お風呂に入る……」
ディアには申し訳ないことをさせてしまったが、少しでも危険を排除するためには必要な措置だと割り切ってもらい、俺も同じ襤褸布を頭の上から被る。
膝下まである襤褸布のお陰で腰に差してある紅蓮も目立たない。その代償として汗やら血やら土埃やらの悪臭が襤褸布から漂い、鼻を刺激してくるが、我慢をするしかないだろう。
これで一通り準備は完了。
俺とディアは視線を交わすと、騒がしい夜の中を気配を殺して移動していった。
――――――――
紅介とディアと分かれてから二十分。
フラムは高所に立ち、眼下にいる祭りを楽しむ人々を観察していた。
観察を続けてから、かれこれ十分は経っている。
その間、フラムは腕を組んだまま微動だにせず、流動的に動く人の波をただ黙って見つめ続けていた。
目的はもちろん、ルヴァンの捜索である。
だが、フラムはルヴァンを直接捜そうとは端から考えていなかった。
理由は簡単だ。
如何にフラムが優れた力を持っていようが、身を潜めることに長けた力を持つルヴァンを捜し出すのは至難の業を超え、もはや不可能と言っても過言ではない。
故に、フラムはルヴァンを直接発見するのではなく、まずはその手掛かりを見つけようとしていたのである。
視覚だけを研ぎ澄ませる。
今この時だけは聴覚も嗅覚も必要ない。
無数にいる人々の声や匂いが入り混じっているため、どちらも今は使い物にならないからだ。
今頼りになるのは視覚だけ。
夜の街に灯る淡い光の下にいる者たちの中から、暗がりに入り込む者たちの中から、忙しなく眼球を動かすことで
そして、ついに待ち侘びたその時が訪れる。
「――見つけたぞ」
思わず口の端を吊り上げ、フラムは喜びの感情を発露させる。
分の悪い賭けだった。
確信もなければ根拠もない。ただ偶然を願うことしかできなかった。
フラムの視線の先にいたのは一人のエルフの女性。
性別からしてルヴァンではない。
しかし、それでも手掛かりは見つかった。
フラムが見つけたエルフの女性は祭りを楽しむわけでもなく、事務的な表情のまま露店で食べ物を注文し、代金を支払っている最中だった。
祭りを楽しんだり、浮かれている様子はない。
それどころか会計を済ませるや否や、このお祭り騒ぎをどこか疎ましく思っているかのように仏頂面をしていた。
だからこそ、フラムは一目見た瞬間にピンと来たのだ。
――このエルフの女はルヴァンの手駒の一つである、と。
代金を支払い、両手いっぱいの荷物を抱えたエルフはそのまま大通りを抜け、人目を避けるように闇が広がる脇道へ。
フラムは暫く動かしていなかった身体を軽く伸ばすと、高所から高所へと移動を開始。
息を、気配を殺し、そのエルフの背中を追っていったのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます