第697話 【番外編】真剣師フラム【後編】

こうして賭博に狂わされた男とフラムの戦いは、空が朱色に染まる時間まで続いたのであった。


 結果はフラムの連戦連勝。


 運否天賦に任せたコイントスはフラムの卓越した動体視力によって裏表を完全に的中させ、ならば戦い慣れたポーカーならと勝負を挑んだが、その手の遊戯においてもフラムが一枚もニ枚も上手だった。

 男のイカサマを容易く看破しながらも、フラムはフラムでイカサマを。

 フラムの類稀な視力にかかれば、男の瞳に反射したカードから男の手札を看破ることなど造作もない。

 加えて、ブラフを張るのも看破るのも得意ともなれば、男に勝ち目などあるはずがなかった。


 破れかぶれにジャンケンや、その他にも盤上遊戯など柄にもない勝負にも挑んだが、いずれも勝利の女神が男に微笑むことは一度もなく、時間の経過と共にフラムの腹だけが満たされていく。


「か、勝てねえ……。そ、そうだ! だったらカードに書かれている数字が大きいか小さいかを当てるハイアンドローなら……」


 そう提案してきた男に対し、フラムは首を横に振る。


「残念だが、その賭けには乗ることはできないぞ。そんなものは勝負と呼べる代物ではないからな」


 こういうところもフラムが賭博に強い理由の一つとして挙げられる。


 ハイアンドロー。

 山札から一枚カードを捲り、次のカードが捲られたカードの数字よりも大きいか少ないかを当てる、単純明快なゲームだ。

 このゲームではイカサマをする余地もなければ、フラムが持つ優れた五感や稀有なスキルが何一つとして役に立たない、完全な運任せとなっているため、如何にフラムと言えども確実な勝利は見込めない。

 そういった運の要素しかない賭けを拒否することで、フラムは連戦連勝を重ねることができていたのである。


 賭博とは、両者の合意がなければ始まらない。

 遊戯内容の提示を男に任せつつも、時折拒否権を使用することで不利を背負うことはせず、安心安全な賭けをフラムは可能としていたのだ。


「ふう、そろそろ夕飯の時間だし、そろそろ私は帰らせてもらうとするか」


「これだけ俺の金で飯をたらふく食っておきながら、まだ食うっていうのか? あり得ねえ……イカれてやがる……」


「……ふっ、この程度、私にかかれば朝飯前だ」


 全ての遊戯において勝ち続けたフラムが支払うものはない。

 当たり前のように椅子から立ち上がり、賭場もとい冒険者ギルドを後にしようとするフラムの背に、連戦連敗の男は最後の大勝負を持ち掛ける。

 恥も外聞もなく、テーブルに額を擦り付けて。


「頼むッ!! 最後の、本当に最後の勝負をしてくれ! このままじゃ俺は納得がいかねえんだよ!」


「おいおい、もう止めとけって。もうお前の財布はすっからかんだろうが」


「俺のことを心配してくれるのはありがてえが、止めねえでくれ!」


 仲間の静止を振り切ると、男はすっからかんになった財布をテーブルの上に投げ捨てた。

 そしてモゾモゾと靴を脱ぎ出すと、靴の下敷きを剥ぎ取り、そこから黄金色に輝く一枚の金貨を取り出したのである。


「お、お前っ! それは!?」


「俺の虎の子……そう、へそくりだ! 万が一の時のために隠し持っていたが、こうして役に立つ時が来るとはな」


 男の目は完全に狂っていた。

 もはや奢り奢られるなど、どうでもいい。

 純粋無垢な気持ちで上級冒険者を打ち負かしてやるという気概だけで、勝負を挑んだのである。


「お前は本物だ……。本物の大馬鹿野郎だぜ……。おい、親父! こいつを教会に連れていけば治してもらえると思うか?」


「……」


 店主からの返事はなかった。

 無言で、男が重症だと言うことを暗に伝えることしかできなかった。


 対して、最後の大勝負を吹っかけられたフラムは男の心意気を買い、席に戻る。


「ふむ、気に入った! その勝負、受けて立とうではないか」


(デザートを食べ忘れていたし、ちょうどいいな)


 フラムはフラムで、最後の最後まで自分の腹のことしか考えていなかった。


 かくして、最後の大一番が始まる。


 男はここまで大敗を喫していたにもかかわらず、不敵な笑みを浮かべた。

 その顔には絶対的な自信がうかがえる。

 そして男は運否天賦に頼らない必勝の策をこの大一番で繰り出す。


「俺は今日一日、負けに負け続けた。だがな、俺は気付いちまったんだよ、お前の弱点をな!!」


「弱点だと? ――面白い」


「笑っていられるのも、今のうちだけだぜ? 俺は馬鹿かもしれねえが、お前が賭場に来た時に言った台詞を忘れちゃいねえ。そう……お前は俺が酒を賭けると言った時にこう返してきたんだ。――『酒は正直、別にだな……』ってなあ!!」


 男はフラムのその一言に勝機を見出していたのだ。

 冒険者は飯よりも酒が好き。

 そんな有りもしない統計を根拠に、男はその一言でフラムが酒嫌いだと信じ込んでいたのである。


 当然と言えば当然の話だが、勝手な思い込みによる男のいきなりの指摘にフラムは困惑を示す。


「ん? いや、別に酒よりも飯を食べたかっただけなんだが……。まあ、普段から酒は飲まないが、だからといって別に飲めないというわけではないぞ?」


「くっくっくっ、強がったって俺の目は誤魔化せねえぜ? さあ、どうする? この勝負に乗るのか? それとも尻尾を巻いて逃げ帰るか?」


「逆に訊くが、本当に最後の勝負を酒の飲み比べなんてものでいいのか? 後悔しても知らないぞ……」


 この時、フラムは初めて男に憐憫の情を覚えていた。

 まさか、ここまで馬鹿な人間がいるとは俄には信じられなかったからである。


 だが、男は止まらない。

 フラムの忠告を無視し、大声で店主を呼ぶ。


「親父! 例の酒を持ってきてくれ! 火炎酒をな!」


「あいよ」


 そう返事をするや否や、店主が店の奥に引っ込む。

 男が注文した火炎酒は、その危険性からギルドにある危険物保管庫に仕舞われており、わざわざカウンターから保管庫に取りに行ったのである。


「火炎酒? 聞いたことがない酒だな」


「それはそうだろうよ。火炎酒っつうのは、取り扱いが面倒で、それでいてその稀少性からかなり値の張る酒なんだ。気軽に飲めるもんじゃねえ」


「ほう、それは興味深いな。取り扱いが面倒と言っていたが、どんな酒なんだ?」


「その名の通りだぜ。そのアルコール度数のあまりの高さから、下手に乱暴に扱えば一瞬で炎が燃え上がっちまう危険な酒だ。しかも、それだけじゃねえ。一口飲めば、それこそ喉が炎で焼かれるような感覚に襲われちまう。これはあくまで噂話に過ぎねえが、これまで火炎酒を飲んで死んだ人間は百を超えるっつう話もあるんだぜ? で、今回はその火炎酒をジョッキで一杯、先に飲み干した方の勝ちっつうルールだ。負けた方は火炎酒の料金を支払う。ちなみにジョッキ二杯でちょうど金貨一枚だ。文句はねえな?」


 脅しとも取れる男の言葉に、フラムは一瞬たりとも悩むことなく首を縦に振る。

 その一方で、男の仲間たちは顔を青褪めさせ、賭け狂った男の正気を疑っていた。


「お前が酒に強えことは知ってるが、いくらなんでも火炎酒はやり過ぎだ……。俺も昔、一口だけ飲んだことがあるが、あれは酒なんて物じゃねえ。あれは炎そのものだった……。まだ間に合う、悪いことは言わねえ。死にたくねえんだったら、今すぐこの賭けをやめるべきだ」


「……運が良くても喉が焼けて一週間は喋れなくなる。……やめるべきだ」


 仲間のことを想い、説得を繰り返すが、男が耳を貸すことはなかった。


 そして、それはやって来た。

 カウンターの奥から二杯のジョッキを手に持つ店主。

 その格好は先程までとは大きく異なり、目にはゴーグルを、手には手袋をはめ、さながら防護服のような姿で現れた。


「おまち」


 衝撃を与えないよう、テーブルにそっと置かれた二杯のジョッキ。

 揮発を防ぐためにジョッキには木製の蓋が被されており、中身を見ることはまだできない。


 ここに来て男はジョッキから放たれる禍々しいオーラに当てられ、喉をゴクリと鳴らす。

 だが、今さら逃げることはできない。男のプライドが許さない。


「俺がこの勝負を見届けてやる。だが、最初に言っておく。絶対に無理だけはするな。もし危ないと感じたらすぐに棄権をするんだ、いいな?」


 フラムと男がほぼ同時に頷く。

 どちらも真剣な表情を崩すことなく心臓を高鳴らせ、開始の合図を待つ。


 そして――、


「――始めっ!!」


 火炎酒の早飲みが始まった。


 ジョッキの蓋を開けた瞬間から揮発したアルコールが空気中に漂い、男の眼球に激痛が走る。


「うぐっ!」


 涙を流しながらも、男は目を瞑ることで激痛を緩和させ、いよいよ火炎酒が注がれたジョッキを口元に持っていく。

 そして、一口。


「うがっ、うああああああああ!! の、どが! のどがああああ!」


 男は絶叫していた。

 まるでマグマを飲み込んだと錯覚してしまうな焼け付く感覚に襲われ、喉が勝手に叫び声を上げていたのだ。


 喉元過ぎれば熱さを忘れる。

 そんな言葉もあるが、火炎酒に至ってはその言葉は当て嵌まらない。

 喉元を過ぎた後に待ち受けていたのは、形容し難い胃の激痛が待っていたのだ。

 それでも何とか男は気合いと根性だけで火炎酒をごくごくと胃の中へ流し込んでいく。


 が、次に男を襲ったのは平衡感覚の消失だった。

 視点が定まらず、上下左右の方向感覚すら完全に麻痺し、男はテーブルに掴まることで椅子から転げ落ちないよう踏ん張ることで精一杯となる。


 その間、火炎酒を飲んでいるほどの余裕はなかった。

 意識を保つので精一杯。

 これ以上は気合いと根性だけではどうにもならない。

 身体が、本能が、火炎酒を体内に入れることを拒否していたのだ。


「俺、は……お、れ……は……」


 しゃがれた声を上げ、闘志を見せる男。

 ジョッキに残った火炎酒は残り三分の二。酒豪であると豪語していた男でさえも、それ以上は身体が受け付けない。


 このままだと酒の残量を測り、判定となる。

 だが、それも仕方がないと男は覚悟していた。

 三分の一しか飲んでいないのではない。三分の一も飲んだのだ。

 判定になれば、まず間違いなく勝利できるだろう。

 朦朧とする意識の中、男は渾身の力を振り絞り、勝利の笑みを浮かべた――その時だった。


 ――コンッ。


 ジョッキを置く音が聞こえてくる。

 しかも、その音は明らかに空っぽになったジョッキでしか奏でられない軽快な音色だった。


「ふむ、葡萄酒ならまだしも、やはり私はこういったアルコールが強いだけの酒は好きではないな。これなら水を飲む方が余程マシだ」


「なっ……!?」


 審判役の男が慌ててフラムが空けたジョッキを覗き込む。


 信じられない。

 どこかに捨てたのではないかとも一度は疑ったが、フラムの息から漂うどぎついアルコール臭からその可能性はないと結論付けるしかなかった。


「あ、あり得ねえ……。どうして火炎酒を飲んで平然としてられるんだ……?」


 審判役から化け物を見るような視線を受けるが、フラムは何も気にすることなく、ありのままの事実を伝える。


「酒は薬にも毒にもなると言われているが、スキルでは毒と判定されるようでな。酒如きが私の耐性を突破できるわけがないだろう? だから私は酒に酔うことはないし、アルコールが強いだけで酔えない酒を美味いと思うこともないというわけだ」


「はははっ、なるほど……なのか? まあいい、勝者は決まりだ」


「ぁえ……?」


 酩酊状態となっていた男は終了の合図を理解できぬまま、ついに椅子から転がり落ち、床へと身体を叩きつけた。


「おい! 大丈夫か!?」


 血相を変えて仲間たちが男に駆け寄るが、その時に既に男の意識は深い深い闇の奥へと消えていた。

 いくら呼びかけても、男の意識が戻ることはない。


「誰か、医者を! いや、治癒魔法をつかえる者はいねえか!?」


 もはやこの騒ぎは酒場だけではなく、冒険者ギルド内全体の騒ぎにまで波及し、野次馬が集まり始める。

 だが、集まるのは野次馬だけで、肝心の治癒魔法師は現れない。

 ギルド職員も駆けつけたが、為す術もなく男を近くの教会まで移送することに決まる。


「しっかりしろ! 今教会に連れて行ってやるから!」


 ギルド全体を巻き込んだ救命活動が始まった中、フラムは居た堪れない気持ちになっていた。


(これは私のせい……ではないよな? 主に知られたら怒られるなんてことは……おっ!)


 今さらになって現状に危機感を抱き始めていたフラムのもとに救世主が現れる。

 その救世主とは、なかなか帰って来ないフラムを迎えに来たディアだった。


「おお、おお、おお! ディアよ! 良く来てくれた!」


「??? 何のこと? わたしはフラムを迎えに来ただけなんだけど……。それより、この大騒ぎはどうしたの?」


「い、いや、あれだ。どうやら酒の飲み過ぎで倒れた馬鹿者がいるらしくてな、治癒魔法師を探しているらしい。どうだ? 助けてやってはくれないか?」


「……」


 ディアはフラムの豹変っぷりで全てを察する。

 フラムの性格を考えれば、赤の他人を助けるために動くことはない。

 そのことを誰よりも知っているが故に、ディアはこの騒ぎを起こしたのはフラムで間違いないと断定し、ジト目でフラムを凝視していたのだ。


「……わかった。治癒っていうよりかは解毒だね。すぐに治してくるから外で待ってて」


「おお、流石はディアだ! やはり頼りになるのは友であり仲間というわけだな」


「うん。仲間だし、友だちだよ。だからこのことは皆で共有しなくちゃね。あとでわたしからこうすけに伝えておくから」


「……酷いぞ」


 その声がディアに届くことはなかった。


 その後、救助に向かったディアがあっさりと解毒を施して治療を終えると、フラムと共に屋敷へと帰った。


 当然、この日の顛末はディアの口から、そして冒険者ギルドを通して『紅』のリーダーである紅介のもとまで情報が届けられ、フラムはしこたま怒られたのである。


 その日以降、フラムは賭場から『真剣師』という別称と共にその姿を消した。


 だが、史上最強の博打打ちであり、賭博に生きた彼女の名は一部の冒険者たちによって脈々と語り継がれていく――。

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