第695話 【番外編】真剣師フラム【前編】

 ラバール王国王都プロスペリテ。

 とある一画にあるラバール最大の冒険者ギルドでは、冒険者同士による賭け事が流行していた。


 BARと呼ぶには些か騒がし過ぎる、ギルド内に併設された酒と料理を提供する酒場。そこが彼らの主戦場である。


 賭けとなるゲームは千差万別。

 その日の気分や集まった人数によって、突発的に選ばれるのが暗黙の了解となっている。

 時にはポーカーを、またある時にはコイントスなどの単純なゲームで彼らは賭け事を行っていたのだ。


 賭けの対象となる物は酒場で提供される酒や飯の代金か、少額の金のみ。これも暗黙のルールの一つとなっている。

 ちなみに、ラバール王国では個人間で行う賭博行為に法的制限は設けられていない。


 しかし、ここは冒険者ギルドの中。

 法的な制限は無いとはいえ、秩序が求められる場所だ。

 それこそ身を滅ぼすほどの大金を賭けることなど、到底許されるはずがない。

 本来ならば、賭博行為自体を禁止したいところではあるが、命をすり減らし戦い続ける冒険者の気分転換になるのならと、日銭程度の賭けであれば黙認する形を取っていた。


「――ツーペアだっ!」


「……ストレートだ」


「悪いな、こちとらフラッシュだ」


「かぁーッ! また負けだ、負けッ! クソッ、好きな酒を頼みやがれ! あっ、なるだけ安酒にしてくれよ?」


 この日もギルドに併設された酒場では賭博を行う者たちが。

 パーティーは別々でありながら、賭博仲間として中年の男が三人、テーブルを囲って酒代を賭けた戦いを繰り広げていた。


「しょうがねぇな。親父、エールを大ジョッキで二つ頼む! お前もエールでよかったよな?」


「……ああ」


「あいよ」


「俺も飲まなきゃやってられねぇ! 親父、俺にも一杯だ!」


「あいよ」


 酒場を切り盛りしているのは、元Aランク冒険者のドワーフの男。冒険者を引退し、酒場の主人を冒険者ギルドから任せられたという経歴を持っていた。


 木製のジョッキに並々と注がれたエールがテーブルの上にドスンッという音を立てて置かれると、賭けに勝った男たちは一切の遠慮を見せることなく一息で飲み干し、負けた男はチビチビと飲んでいく。


「ぷはぁー! 身体に沁み渡っていくぜ。これだから依頼終わりの酒はやめられねぇ」


「嘘をつけってんだ。今日は一日中賭けしかやってねえじゃねえか。それよりよ、何で俺はこうも賭け事に弱いんだ? 何かコツみたいなもんがあるなら教えてくれよ」


「コツねぇ……。もう一杯酒を飲めば、ついつい口を滑らしちまうかもしれねえな」


「汚え……。親父ッ!」


「あいよ」


 おかわりのエールがテーブルの上に置かれる。

 それを男は一口だけ飲むと目付きを変え、神妙な面持ちで口を開いた。


「勝てない戦いに挑まないことだ」


「はぁ? 勝てない戦いに挑むなだぁ? そんなんじゃ意味がわかんねえよ」


「馬鹿なお前にもう少し分かりやすく説明してやる。例えばそうだな……ジャンケンあたりがちょうどいいか。もしお前が誰かにジャンケンで勝負を挑まれたらどうする?」


「あん? ジャンケンなんてただの運だろ? 断る理由が見当たらねえな」


「はぁ〜……。ジャンケンを運だと思ってるんだったら、お前は賭け事に向いてねえよ。ジャンケン以外にも言えることだが、どのゲームにも抜け穴があるんだよ。悪い言い方をすれば、イカサマっつう奴がな」


 この場においてイカサマなんてものは日常茶飯事のようなもの。結局のところ、バレなければ良いだけの話なのだ。

 当たり前のようにこの神聖?な賭場でも、イカサマが横行していることを、負けた男以外は知っていた。


「結局イカサマかよ! でも、待てよ? ジャンケンでどうやってイカサマなんてするんだ? 後出しなんてすりゃあ一発でバレちまうじゃねえか」


 そんな男の指摘に、賭博のコツを伝授していた男は呆れたように首を横に振る。


「それがバレねぇんだよ。この賭場に来るのは冒険者だ。俺たちみたいな中堅の冒険者ならまだしも、Bランク以上の冒険者様の動体視力を持ってすりゃあ後出しなんて児戯にも等しい。ここまで説明すりゃあ、流石にわかるだろ? つまりは戦う相手と戦う内容をよく選べっつう話だ。まっ、手っ取り早いのは自分の得意な戦いに相手を引きずり込むことだろうな。お前の場合はガタイもいいし、確か『剛腕』っつうスキルも持っていたよな? だったら腕相撲なんて良いんじゃねえか?」


「確かに腕相撲ならかなり自信があるな。だけどよ、運の要素が絡まない腕相撲に乗ってくる奴なんているのかねえ……」


「それはお前の交渉次第だろうさ。身体の線が見えないような服装をするっつうのも有効な手かもな」


「確かに悪かねえな。――よっしゃ! ってことで、今から腕相撲で一杯賭けねえか?」


「やっぱ、お前って本当に馬鹿なんだな……。今の話の流れで俺たちがその賭けに乗るとでも思ってんのか?」


「……うむ」


 寡黙な男でさえも、男の馬鹿な発言に呆れ返ル始末。


「ちぇっ、ノリがわりぃな。あーあ、どこかに俺の相手をしてくれる奴はいねーのかー?」


 ――コツッ、コツッ、コツッ。


 テーブルを囲む男たちのもとに一人分の足音が近付いてくる。

 遅々とした足取りだった。

 足音のリズムは度々変調し、その音だけで近付いてくる者が千鳥足になっていることがわかる。


「あん?」


 腕相撲という自分の得意な戦場にやって来てくれるカモを探していた男は身体を捩り、足音のする方向に視線を向ける。

 すると、そこには一人の女が立っていた。

 襤褸布を頭の上から羽織り、まるで幽鬼のような妖しげな雰囲気を発した女がゆらりゆらりと近付いてきていたのだ。


 襤褸布のせいで顔が見えなかった。

 身長こそわかるが、体格は襤褸布に包まれているため、一目見ただけでは性別以外はイマイチわからない。


「なんだ……? 今日はもう賭けをやっていないのか……?」


 覇気のない声だった。

 足取りも声音も明らかに衰弱し切っている様子。


 だが、衰弱した声を聞いても男は女を可哀想だと思わない。心配をするどころか、同情をすることすらあり得ない。

 何故ならここは戦場だからだ。

 弱味を見せた者から喰われる弱肉強食の世界。そこに感情が入り込む余地など存在しない。


 喰うか喰われるか。

 この世界は二つに一つしか存在しないのである。


「よう、姉ちゃん。賭けならやってるぜ。――腕相撲一本勝負。敗者は勝者に酒を一杯奢るっつう至ってシンプルなルールだ」


 男はあえて勝負内容を包み隠さず正直に女に教えた。

 襤褸布から僅かに見えた女の飢えた金の瞳を見て、確信していたのだ。


 こいつは狂っている。

 どんな戦いだろうと絶対に誘いに乗ってくると。


「酒か。酒は正直、別にだな……。悪いが、飯一品に変えてはくれないか?」


「こちとら酒でも飯でも構いやしねえぜ? つうわけで、交渉成立だな」


 ささっとテーブルの上にあった邪魔な物をどかし、男は右肘をテーブルにつき、構えた。


 それを見た女が椅子に座る。

 席に着いたその瞬間が、賭けを始める合図となっていることはこの戦場もとい、ここの賭博では暗黙のルール。

 もはや逃げることは許されない。

 勝者と敗者が決まるその時まで戦いは続けられるのだ。


 スキル『剛腕』を持っている男は首を鳴らし、余裕の笑みを見せることで心理的な有利を取りに行く。


 それを見た女は――嗤った。

 見た者の背筋を凍らせるほどの凶悪な笑み。

 食物連鎖の頂点に立つ猛禽類を想起させる金色の瞳が襤褸布から覗き見える。


「腕相撲をするのに、この襤褸布は邪魔だな」


 そう言うと女は襤褸布を勢い良く脱ぎ去り、その姿を、その正体を顕にする。

 そして、健康的な褐色の肌が襤褸布の奥から現れた。

 神に愛されたが如く整った容姿に、しなやかな四肢。性的欲求を刺激する恵まれた体型。

 紅色の長い髪を後ろで一纏めにしたその女の名は――フラム。


「お、お前は――!?」


 王都プロスペリテを拠点にしている冒険者で彼女の名を知らぬ者は殆どいない。

 Aランク冒険者パーティー『紅』。

 その実力もさることながら、フラムを有名にしたのは彼女にもう一つの顔があったからだ。


 そのもう一つの顔こそが、賭博荒らし。

 ふらりと冒険者ギルドの酒場に――賭場に現れては、博打打ちたちを蹴散らし、全てを奪い尽くす略奪者。


 フラムは博打打ちたちの間で、いつの日からか『真剣師』と呼ばれるまでに至っていたのだ。

 テーブルを囲っていた男たちの中にも当然、フラムの裏の顔を知っている者がいた。


「し、真剣師フラム……! おいっ! こいつとだけは――」


 賭博仲間の男が必死の形相でフラムとの賭けをやめるように横から口を挟もうとする。

 が、フラムの強烈で凶悪な視線により、その先の言葉を発することが許されなかった。


「あん? 真剣師だあ? えらいべっぴんさんだが、そんな細腕じゃあ俺には勝てねえよ。まあ見とけや」


 腕相撲に根拠のない絶対の自信を持っていた男に、仲間の声が届くことはない。


 男は知識が不足していた。情報に、噂に疎かった。

 それもそのはず、男が王都プロスペリテを拠点に冒険者活動を始めたのはここ一ヶ月程のこと。

 マギア王国に数ヶ月に渡って滞在していたフラムのことを知らないのも無理からぬ話だった。

 男からしてみれば、フラムの方こそがこの賭場に現れた新顔。

 たった一ヶ月程度とはいえ、ほぼ毎日のように賭場に足を運んでいる男からしてみれば、ぽっと出の新顔を前にして尻尾を巻いて逃げる真似などプライドが許さない。


 フラムにひと睨みされ、口を閉ざさざるを得なくなった男は、盛大な溜め息を吐きつつ、仲間の未来を憂いて頭を抱え、もう一人の仲間と共に観客の一人としてこの賭けを見届けることにした。


「……終わったな。……相手は本物の真剣師だ」


「ああ、いくらなんでも相手が悪過ぎだな。本当にあいつの運の悪さは神に見放されてるとしか思えねえぞ……」


 ――真剣師。

 それは、賭博によって生計を立てる者のことを指す言葉である。


 当然のことながら、フラムは『紅』のメンバーとして、紅介とディアと活動し、使い切れないほどの大金を得てきているため、賭博で生計を立てなければならない経済状況ではない。


 では何故、フラムは真剣師と呼ばれるようになったのか。

 ひとえに、彼女が金に対して無頓着であったからに他ならない。

 そもそもフラムは財布どころか金を持ち歩く習慣がないのだ。

 紅介に作ってもらった鞄型のアイテムボックスを持ち歩くことを面倒がり、挙句の果てにはキャッシュカードとしての機能が搭載されている冒険者カードまで紅介に管理してもらっている始末。


 そんなこんなでフラムは金を持っていながら無一文という訳のわからない状況に陥ることが多々あるのだ。

 そして、今日も今日とて彼女はそんな状況に陥っていたのである。


 故に、フラムはここに来た。

 飢えを満たすことのできるこの場所に。


「――さあ、始めようか」


 仄暗く怪しげな輝きを宿す金色の瞳が獲物を捉えた――。

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