第693話 灰色

 ルヴァンが連れてきた工作員たちの視線が一挙にスカルパ公爵に集まる。

 ただし、それは救いを求める眼差しでもなければ、恐怖に怯えた眼差しでもない。困惑と、覚悟の眼差しだった。


 十秒にも満たない静寂の時間が訪れる。

 その間にも俺を含めたこの場にいる全員が、男女四人の工作員の一挙一動を見逃さないために視線を集め、警戒心を高めていく。

 だからこそ、その瞬間を誰も見逃すことはなかった。


 覚束ない足取りでゆっくりと立ち上がる工作員たち。

 そして立ち上がるや否や、懐や袖下からそれぞれ暗器を抜き出し、強烈な殺意を迸らせる。


「……やれやれ、こんなことをさせるために君たちを起こしたわけじゃないんだけどなあ」


 悠長なことを言いながらもルヴァンは目を細め、隙なく自然に構える。

 当然のように俺たち『紅』とイグニスも瞬時に工作員たちの攻撃に備え、構えていた。


 この時、俺たちの頭の中に共通してあったのは、如何に被害を出さず、かつ工作員たちを殺さずに取り押さえるかということ。

 彼らはスカルパ公爵を追い詰めるための鍵であり、証拠にもなり得る貴重な存在なのだから。


 多少実力があろうとも、たかが知れていた。

 彼らの実力では俺たちには遠く及ばない。何をしてこようとも、その切っ先が俺たちに届くことはない。


 油断ではない。それは曲げようのない純然たる事実だ。


「はあぁぁぁ――ッ!!」


 四人の工作員の中で最年長と思われる男が、破れかぶれの絶叫を木霊させ、黒塗りの短剣を右手に握ったまま力強く床を踏み締めて駆け出す。


 暗器を取り出した時点で、おおよそ想定していた範囲内の行動だった。

 ただしある一点だけ、想定から外れていた。

 男が向かった先――男の攻撃対象が、まさかスカルパ公爵だとは誰も思ってはいなかっただろう。


 男の想定外の行動に反応が僅かに遅れる。心の中で『スカルパ公爵を守るべきか』という打算と躊躇が生まれる。


 引き伸ばされた時間の中で逡巡した結果、俺は動き出していた。

 僅かに対応が遅れたからといって、致命的な遅れを取ったわけではない。

 十分過ぎる猶予がある中、俺は転移を使用。即座に男とスカルパ公爵の間に割って入り、万全な防御態勢を整える。

 俺が動き出したことを素早く察知したディア、フラム、イグニスの三人は踏み出そうとしていた足を引っ込め、その場に留まることを選択。

 ルヴァンに関しては、そもそもスカルパ公爵を守るという意思自体がなかったらしく、一歩たりとも動こうとしていなかった。


 接敵まで残り一秒足らず。

 まだ男を取り押さえるには距離があった。

 目を血走らせた男が俺を視界の中に捉えたまま一歩、二歩と距離を詰めてくる。


 と、その時だった。

 俺の真後ろ――椅子に腰を掛けたまま微動だにしていなかったスカルパ公爵が、突如として手の中に握っていた杖で床を叩き、鈍い音を奏でる。


 当然のように俺の意識は眼前に迫りつつある男ではなく、何を仕出かすかわからないスカルパ公爵に割かれてしまう。


 スカルパ公爵の実力はとうに把握していた。俺を殺す術を持っていないことは分かり切っていた。

 だが、無防備になっている背後から急襲を受けるかもしれないと脳裏をよぎった瞬間、たとえそれが致命傷になることはなくとも自己防衛本能が働き、否応なく意識が持っていかれてしまう。


 無論、俺には自己再生スキル『再生機関リバース・オーガン』があるため、痛みもなければ怪我を負ったとしても即座に負傷箇所が再生され、何もなかったことにできる。

 本来ならば、恐れる必要はどこにもない。けれども本能が反射的に俺の意識をスカルパ公爵に向けさせてしまう。


 それでも無様に隙を晒したわけではない。

 どちらの攻撃にも対応ができるように半身になり、その時に備える。


 しかしこの直後、全く予想だにしない展開が待ち受けていた。


 猛烈な速度で俺に迫っていた男が急ブレーキを踏んで立ち止まると、男は右手に持っていた黒塗りの短剣で――己の首を何の躊躇もなく貫いたのである。


「――アッ、ガッ……」


 大量の血液が男の喉元から噴き出る。

 床には赤黒い液体が男の足元を中心に徐々に広がり、錆びた鉄の臭いを充満させていく。


 結果的に見ると、二人の間に割って入るように転移した時点で詰んでいたのだ。

 男の思考を読み切れていなければ、誰がどう足掻こうとも止める術はなかっただろう。

 あのフラムですら動けずにいることが、その何よりの証拠だ。


 それから男はすぐに膝から崩れ落ち、大の字になって身体を痙攣させると、数秒にも満たないうちにピクリとも動かなくなった。


 まるで理解が追いつかない。

 わかることがあるとすれば、男が即死したことくらいだろうか。


 そんな混乱の中、また別の惨劇が繰り広げられる。

 呻き声が一つ、二つ、三つとほぼ同時に上がった先に視線を向けると、俺の目の前で自害した男と全く同じ結末に至った三人の無惨な姿がそこにはあった。


 血を浴びたことで身体が『血の支配者ブラッド・ルーラー』によって熱を帯びていき、男が所持していたスキルの名が脳内に刻み込まれていく。

 有用なスキルは何一つとしてなかった。いずれも俺が既に持っているスキルの下位互換でしかなかったため、即座に破棄を選択し、熱を鎮める。


「「……」」


 エドガー国王とヴィドー大公は絶句し、バルトローネ公爵は悲痛な面持ちを隠すかのように、その大きな右手で顔を覆い隠す。

 そんな中でも、スカルパ公爵の様子は変わらない。

 ただただ四つの死体を、様々な感情が入り交じる瞳でぼんやりと眺め続けていた。


「なんで……」


 四つの血溜まりを唖然と見つめていたディアから悲痛な声が漏れ出る。

 意思無き亡霊のような足取りでディアは四つの死体のもとへ向かおうと、か細い足を動かそうとするが、それに待ったが掛かる。


「ディアよ、やめておけ。あれらはもう死んでいるし、自らの意思で自害したんだ。救いようのない大馬鹿者としか言いようがないが、それでも奴らの気持ちを踏みにじるような真似は感心しないぞ」


「フラム……」


 ディアを引き止めたフラムは自らの仕事を全うした彼らの意思を重んじていた。

 ただし、彼らに向けていたのは戦場で華々しく散っていく戦士を見送るかのような眼差しではなく、どちらかと言えば冷ややかな眼差しだった。


「これは君が命令したことかい?」


 皆が皆、四つ並んだ死体を見つめる中、ルヴァンだけは早々に視線と意識を切り替え、スカルパ公爵にそう問いかけていた。


「命令? 何かを言った覚えはないがのう」


「白々しいね。君はあの瞬間、それまで肘掛けに立て掛けていた杖を手に握り、床を叩いた。あの動作が合図だったんじゃないかい?」


 目を細め、淡々と追及していくルヴァンに対し、スカルパ公爵は顔色一つ変えることなく反論していく。


「邪推はやめておくれ。何が何でも私を犯人に仕立て上げるつもりかのう」


「僕は白と黒をはっきりとさせたいだけさ。だってそうだろう? 今、君はこうして僕と喋り、そして生きている。僕が犯人を殺すことだけを目的としていたのなら、君はとっくに死んでいるはずだよ」


 過激な発言だが、言っていることはもっともだ。

 ルヴァンがその気になれば、スカルパ公爵を赤子の手をひねるかのように容易く命の灯火を吹き消すことができる。

 人間が整備し、広めた法に縛られる存在ではないのだ。

 法に触れればいくら竜族とは言えども、国家はルヴァンを罰しようと躍起になる可能性はもちろん否定できるものではない。


 しかし、実際には罰せられる可能性は極めて低いだろう。

 ルヴァンを捕らえる難しさ、そして何より風を司る竜族の頂点にいる風竜王ウィンド・ロードを敵に回す危険性。

 この二つを鑑みれば、ルヴァンがいくら法に触れようとも悪事を働こうとも、彼を止める手立ては存在しないと言っても過言ではない。無論、それはフラムにも同じことが言える。

 だからこそラバール王国もブルチャーレ公国も竜族に対して慎重に対応をしてきた。

 過去に一部の人間が竜族に対して暴走したことは否定できないが、それは個人の話であって国単位の話ではない。


 本当の意味で自由が許される存在――それが風竜王ルヴァンなのである。


「まあいいか。無くなってしまったモノを悔やんでも仕方がない。それに……もう君たちも気付いているのだろう? 僕が連れてきた人間たちの目が雄弁に語っていたじゃないか。主人はマファルダ君だって、ね」


 依然として証拠はどこにもない。

 黒でもなければ白でもない。スカルパ公爵は未だに灰色のまま。

 けれども、あの時の光景を目の当たりにしておきながらスカルパ公爵を疑わない者は誰もいない。


「――バルトローネ公爵」


「うむ」


 ヴィドー大公の威厳ある声と、その声に応じるバルトローネ公爵の声が響き渡る。

 そしてヴィドー大公は神妙な面持ちで沙汰を下す。


「ブルチャーレ公国大公ダミアーノ・ヴィドーとして、武人である貴殿に命ずる。――マファルダ・スカルパ公爵を捕らえよ」

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