第692話 語る視線

「誰が竜族を貶めるためにこの舞台を整えたんだろうね。さあ、君は誰だと思うかい? ――マファルダ・スカルパ君?」 


「はて、皆目見当もつかないのう」


 そう返事をしたスカルパ公爵からは何の感情も窺い知ることはできなかった。

 積み重ねてきた年月が俺とはあまりにも違い過ぎる。

 それは才能でもなく努力の才能でもない、経験の差だ。

 この先、俺がどれほど努力しようが、スカルパ公爵が生き続ける限り決して追いつくことはできないだろう。


 そんなほんの僅かな感情の機微すら察することのできない俺とは対照的に、ルヴァンはその両眼を細めて、こう言う。


「どうやら君は感情を隠すのが上手なようだね。でも、僕には通じない。君は人間にしては長い時の中を生きてきたのだろう。けど、それでは届かない。竜族である僕とは生きてきた時間が、経験が違い過ぎるよ。君は僕に嘘を吐いた。呼吸の僅かな乱れ、表情筋の微かな硬直が十分過ぎるくらいに物語っていたよ。――君が犯人だって、ね」


 その口振りからして間違いない。

 ルヴァンは疑っている。いや、もはや確信しているのだ。

 スカルパ公爵が竜族を貶めるためにこの舞台を整えた黒幕である、と。


 しかし、証拠など今の会話の中には一つもない。

 追及をするには材料がいくらなんでも少な過ぎる。


 案の定と言うべきか、スカルパ公爵はルヴァンの主張を認めることはなかった。


「よくもまあ、こんな老いぼれた婆さんの顔を観察していたようじゃのう。じゃが、それはいくら何でも勘繰り過ぎじゃ。言いがかりにも程がある。いくらお前さんが竜王だとしても、礼を失しているとは思わぬか?」


 スカルパ公爵の言い分に反論の声を上げる者はいなかった。

 それどころか、スカルパ公爵を庇うかのように、ヴィドー大公とバルトローネ公爵がそれぞれ声を上げる。


「……申し訳ないが、これ以上難癖をつけるのはやめていただきたい。スカルパ公爵は長きに渡り、ブルチャーレ公国を支えてきた功労者の一人。証拠もなく犯人に仕立て上げるような真似は、私としては看過することはできない」


「然り。風竜王ウィンド・ロードである貴方様を疑いたくはありませぬが、スカルパ公爵は戦友であり、この国を共に支えてきた仲間なのです。私は……スカルパ公爵を信じたい」


 ブルチャーレ公国を支え続けてきた四大公爵家。

 時には権力争いや意見の食い違いがあったかもしれないが、それでも彼らはこの国の柱であり、仲間なのだ。

 いくら風竜王の言葉であろうと、信じることは難しい。

 ましてや、証拠すらもないとくれば、これまで共に築き上げてきた時間がある分だけ、二人がスカルパ公爵の味方をするのは当然の帰結とも言えるだろう。


 証拠を求められたルヴァン。

 俺としても当然、何かしらの根拠があっての追及だと勝手に信じていた。自然とそう思い込んでいた。

 しかし、ルヴァンは困惑の笑みを浮かべるだけで、一向に証拠を提示しようとしないばかりか、挙句の果てには後頭部を右手で掻きながら、闘技場の舞台へとそっぽを向き、誰とも目を合わせようとしないまま、乾いた笑い声を上げた。


「あははは……これは困ったね。証拠を出せと言われても難しいというのが本音さ。僕がマファルダ君を疑っているのは消去法で彼女しかいないと思っただけだからね。まあ、それでも僕に唯一言えることがあるとすれば、ダミアーノ君とパオロ君が犯人ではないってことくらいかな。今、パオロ君は寝ているけど、この二人に関しては僕が直接確認したから間違いないよ」


 途端、ヴィドー大公とバルトローネ公爵のルヴァンに向ける視線が厳しくなる。

 当然のことだ。ルヴァンは証拠もなく彼らの仲間を疑ったことになるのだから。

 しかし俺はこの時、ルヴァンの言葉や態度から若干の違和感を抱いていた。


 俺はルヴァンのことをよく知らない。

 雑な推理で犯人を言い当てようとする性格の持ち主である可能性こそゼロとは言い切れないが、それでも何の証拠もなしにただの消去法だけで、ここまで大胆にスカルパ公爵を追及するような人物とはどうしても思えなかった。


 かくいう俺も根拠はない。けれども、そんな予感がしてならない。


 無言の抗議を続けるヴィドー大公とバルトローネ公爵の視線から逃れるかのように視線を外したルヴァンは、そこからさらに言い訳を重ねる。


「君たちが僕に文句を言いたい気持ちは十分過ぎるほど理解できるさ。でも、仕方がないだろう? 客観的に考えてみてほしい。この大舞台を、僕たち竜族を貶めるための装置として作り変えられる人物なんて一握りだ。そう……この国の頂点に立っている君たち以外に誰がいるというのさ。そうだ、フラム君はどう思う?」


「ったく、急に私に話を振るな、馬鹿者。確かにお前の言う通り、相当な権力を持った者の仕業で間違いないだろう。その他に考えられる可能性としては、本人の意思とは関係なしに精神操作系統スキルで強制的に操り人形にした線も考えられるが……」


 そう言いながらフラムの視線が俺に向けられる。

 視線の意図を素早く察した俺は、予め『精神の支配者マインド・ルーラー』で四大公爵家の当主たちの精神状態を確認していたこともあり、首を横に振りながらその可能性を否定した。


「大丈夫。精神に異常がある人は見当たらないよ」


 俺に続く形でディアも否定を重ねる。

 

「うん、わたしもこうすけと同じ。さすがに観客席にいる人たちのことまではわからないけど……」


 闘技場全体にルヴァンの魔力が満ちてしまっている関係上、いくらディアの眼が優れた力を持っているとはいっても、個人個人の魔力を事細かに見分けることは難しいようだった。


「だ、そうだぞ? 主とディアの目に狂いがないことは私が保証する」


「へえ……。あのフラム君が他者の力を認めるなんて、正直驚きだよ。君はあまり他者を見下すような真似こそしないけど、それと同時に他者の実力を認めることもなかったからさ」


 あいも変わらず目を合わせようとしないルヴァンのあからさまな話題の転換よって、俺が抱いていた違和感が急速に膨れ上がり、やがて確信に至る。


「なるほど、そういうことか……」


「ははっ、鋭いね。どうやらフラム君のあるじ君には気付かれてしまったようだ」


 食えない人……ならぬ、食えない竜だ。

 おそらくフラムは俺よりも早くルヴァンの意図に気付き、渋々ながら話に付き合っていたのだろう。


 ルヴァンは待っていたのだ。

 彼の手足となって動くエルフたちが準備を終えるその時を。

 観客の中に紛れ込んでいた工作員たちを捕らえるその時を。


 ――パーァン!。


 まるで柏手を打つかのように、ルヴァンは両の手のひらを思い切り叩き鳴らすと、満面の笑みを浮かべて、くるりとこちらを振り返った。


「いやあ、本当にヒヤヒヤしたよ。間に合わないんじゃないかってね」


 特等席に髪を激しく靡かせるほどの強い風が吹き込む。

 すると、闘技場の舞台から褐色の肌をした四人の男女が意識を失った状態のまま風によって運ばれ、特等席の床へと優しく降ろされた。


「ほんの一部しか見つけられなかったけど、エルフたちには意識を失った観客たちを救護するついでに、紛れ込んでいた工作員たちを捕まえてもらっていたのさ。さあ、後はこの者たちを起こして、誰から命令を受けてこんな騒動を起こしたのか尋問してみようじゃないか。構わないよね? マファルダ君」


「……」


 スカルパ公爵から返事はなかった。

 ただじっと押し黙り、床で寝転ぶ者たちを凝視している。


「返事がないみたいだけど、どうしたんだい? ……フフ、もしかして焦っているのかな? まあ、そうだろうね。この者たちの能力の高さや、事前に竜族の存在を打ち明けていたことから察するに、使い捨ての人間とは思えない。大方、相当な信頼を寄せていた君の手足とも呼ぶべき配下なんじゃないかな?」


「……」


 饒舌に語るルヴァンとは真逆に、スカルパ公爵は変わらずに沈黙を貫き、深い眠りについている男女をただただじっと見つめ続ける。


 そんな中、ルヴァンがパチンッと指を鳴らす。

 それが合図となり、深い睡眠状態に陥っていた四人の男女はうめき声を上げ、ぼんやりとした意識の中、身体を起こした。


「うぅ……」


「……ん、……な、に、が……?」


 状況が全く飲み込めていなかったのだろう。

 目を擦りながら身体を起こした四人の男女はキョロキョロと周囲を観察すると、やがて全員の視線がスカルパ公爵に集まった――いや、集まってしまっていた。


 その視線の動きだけでは証拠とはならないが、この場にいる皆が確信に至るには十分過ぎる状況となる。


 主がスカルパ公爵であると、彼らの視線が雄弁に語っていたのだから。

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