第690話 表と裏の顔
「――竜族を貶めるために、この舞台を整えたのは誰だい?」
そう問いかけたルヴァンの顔こそ微笑を浮かべていたが、横から見たその目は全く笑っていなかった。
のらりくらりと風のように振る舞うルヴァンはもう何処にもいない。
今ここにいるのはエルフ愛好家のルヴァンではなく、風竜族の頂点に立つ
意識を失い、ぐったりと深い眠りにつくラフォレーゼ公爵を除いた四名にルヴァンから眼差しが向けられる。
対する四名の反応はそれぞれ大きく異なっていた。
まずはエドガー国王。
突如として現れたルヴァンが竜族であることに多少の驚きこそあっただろうが、比較的冷静さを保っていた。
フラムやイグニスと触れ合ってきた経験や、俺たちが一緒にいるという安心感もあって、特に取り乱すこともなく事の推移を見守るつもりのようだ。
次に、ヴィドー大公はどうだろうか。
額に浮かべていた汗や、呼吸の乱れはだいぶ落ち着きを見せ始めている。
ただし、警戒心はこの場にいる誰よりも高い。
一瞬たりともルヴァンから視線を外さないよう、鋭い眼光を飛ばし、様子をうかがっている。
肘掛けに両手を乗せることで、いつ如何なる時でもすぐさま立ち上がれるように備えているところも、警戒心の高さが垣間見えていた。
ブルチャーレ公国の軍事を預かっていると言われているウーゴ・バルトローネ公爵に関しては、未だに衝撃と驚愕が抜けきっていないのか、口を大きく開けたまま固まってしまっている。
武人然とした容姿と、鍛え抜かれた鋼の肉体からは想像もつかない情けない反応だった。
しかし、ブルチャーレ公国の軍事を預かっているというのは伊達ではなかったらしい。
硬直が解けるまでは誰よりも時間が掛かってしまっていたが、その後の対応は貴族のそれではなく、まさに武人。
椅子の横に立て掛けていた平均的な男性の背丈ほどある大剣を即座に鞘から抜き出し、椅子から立ち上がってルヴァンを牽制する。
そして最後に、四大公爵家の当主の一人であり、最年長でもあるマファルダ・スカルパ公爵はと言うと、微動だにせず椅子に座ったまま、皺だらけの弛んだ瞼に隠れた双眸から今の状況を見届けていた。
その微かに見える双眸からは感情がまるで見えて来ない。
だからといって何も感じていないわけではないはずだ。おそらく感情をひた隠しているのだろう。
歳を重ねたことによる人間としての経験値の多さから為せる技と呼ぶべきかもしれない。
だが、言葉では言い表し難い妙な違和感がそこにはあった。
ルヴァンが――竜族が現れた。
この想像もつかなかったであろう事態を目の当たりにしておきながら、人はここまで平然としていられるのだろうか。
いくら歳を重ねていようが、いくら四大公爵家の当主という立場であろうが、いくら元より竜族の存在を知っていようが、動じることなく平然を保っていられるとは俄には信じ難い。
ましてや、ルヴァンから負の感情を、圧を、直接浴びせられているのだ。
人は竜族を恐れている。
これまでの経験則や、この世界の常識に当て嵌めて考えると、スカルパ公爵の変わることのない態度に、俺は小さくはない疑問を抱いていた。
大剣を構えて臨戦態勢を取るバルトローネ公爵に、ルヴァンは肩を竦めて見せると、降参を示すかのように両手を小さく挙げ、口を開く。
「今はまだ僕に君たちを害するつもりはないよ。だから剣を下ろしてくれないかい?」
「今はまだ、だと!? それはどういう意味であるかッ!」
「そのまんまの意味さ。君たちが僕を害そうとしない限り、手を出すつもりはないってことだよ」
「お主の言葉を鵜呑みにしろと? 名も知らぬ乱入者の言葉を信じろと言うのか!」
二人の話は平行線を辿っていた。
警戒するバルトローネ公爵と、武力ではなく建設的な話をしたいルヴァン。
俺としては、どちらの言い分もわかる。
言ってしまえばルヴァンは竜族を自称してはいるが、不審者であることには変わりないのだ。
いくらルヴァンが平穏な話し合いを望んでいようが、バルトローネ公爵からすれば、つい先程まで敵意に近い感情を見せていた相手に油断も隙も見せることはできない。
こうなってしまっては、ただ時間を浪費するだけだ。
ただでさえ時間が限られているというのに、このまま何の進展もなく緊張状態が続くことは俺としても望ましくはない。
あまり出しゃばる真似はしたくはなかったが、ここは俺が仲裁役を買って出ることで、強引に話を前に進めるしかない。
そう思っていた矢先のことだった。
「僕が愛してやまない森のエルフたちも、なかなか頑固なところがあるけど、やっぱり君たち人間はそれ以上のようだ。――臆病なくせに己の欲を満たすために戦いに興じ、より自分たちが住みやすくなるために自然の破壊する。だから僕はエルフを除いた君たち人間が苦手なんだ」
そう前置きをし、両手を挙げていたルヴァンは纏っていた雰囲気をガラリと一変させ、声色を変えて言葉を続ける。
「――いい加減、理解した方がいい。僕がその気になれば、いつでも君たちを殺せるってことを」
ルヴァンの中から急速に膨れ上がった凶悪な殺気が、バルトローネ公爵に襲い掛かる。
途端、バルトローネ公爵が握っていた大剣の先が振れ始め、次第に剣先が下がっていき、やがて石造りの床をコツンと叩いた。
「うん、良い子だ。聞き分けの良い子は人間でも嫌いじゃないよ」
剣を下ろしたことに満足し、にこやかにそう語ったルヴァン。
俺は大きな勘違いをしていたに気付く。
フラムから伝え聞いていたルヴァンの印象から、勝手にルヴァンのことを変わり者で優しい竜族程度に思ってしまっていた。
だが、実際は違った。
ルヴァンは強者であり、紛れもなく風竜王なのだ。
俺はようやくルヴァンという男に――風を司る竜族の王に恐ろしい一面があることを今さらながらに認識したのであった。
この一連のやり取りで、俺はルヴァンへの警戒を改めて高める。
それとなくエドガー国王を守れる位置に移動し、そしてルヴァンへと警戒の眼差しを向けたまま、耳を傾けた。
「これでようやく話ができそうだ。もう一度訊こう。誰がこの舞台を整えたんだい?」
緊迫した空気が流れる。
ここで正直に自分が犯人であると名乗り上げる者は当然のことながら誰一人と現れなかった。
その代わりにではないが、唇を乾かしたヴィドー大公が声を上げる。
「此度の魔武道会を例年通りに計画し、実行に移したのは大公であるこの私だ。責任者を挙げるとするならば、私と言うことになる。だが、断じて竜族を貶めるための工作など行っていないし、行うはずがない」
「うんうん、そうだろうね。君のことは僕の方で少し調べさせてもらったけど、君が竜族と良好な関係を結ぼうとしていることは知っていたよ。イグニス君の妹――ルミエール君に対しても色々と配慮をしながら接していたようだからね」
ルヴァンから直々に無罪の沙汰を受けると、ヴィドー大公は安堵から隠し切れないほどの深い息を吐く。
これにより心に余裕ができたのか、ヴィドー大公は当然の疑問をルヴァンに投げ掛けた。
「質問には答えた。ならば、次はこちらから訊かせてもらおう。其方は何者だ?」
「……ああ、そう言えば自己紹介がまだだったね。僕の名前はルヴァン。これでも一応、風を司る竜族の王様をやらせてもらっているんだ。僕には荷が重すぎると常々思っているんだけど、仕方なくね」
「「……風竜王ッ!?」」
ヴィドー大公とバルトローネ公爵の驚愕の声が重なる。
すっかりフラムで慣れ切ってしまっている俺ではできない想像以上の驚きっぷりだったが、無理もない反応だろう。
フラム、そしてルヴァン。
属性こそ違えど、二人の竜族の王がこの場に揃ったのだ。
ブルチャーレ公国という大国を統治し、そして指揮を取る四大公爵家の当主と言えども、竜王が相手ともなれば対等な立場で会話することは困難を極める。
慣れだけで平静を保ち続けている俺やエドガー国王がおかしいだけなのだろう。
ルヴァンが風竜王と判明した途端、バルトローネ公爵の態度が急変する。
大剣を床において完全に手放し、その場で片膝をつくと深く頭を下げた。
「ここまでの数々の非礼……一体何とお詫びすればッ!!」
「気にしないでほしい。僕だって礼儀を欠いていたんだ。それでおあいこってことにしよう」
やや暑苦しさを感じてしまうバルトローネ公爵の謝罪に、ルヴァンは困惑しつつも、何とかその場を収める。
片膝をついて頭を下げていたバルトローネ公爵が椅子に戻ると、そのタイミングでルヴァンはその翡翠色の双眸を、ここまで沈黙を貫き続けてきた老婆へと――スカルパ公爵に向けたのであった。
「話が逸れてしまったけど、そろそろ本題に戻そう。誰が竜族を貶めるためにこの舞台を整えたんだろうね。さあ、君は誰だと思うかい? ――マファルダ・スカルパ君?」
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