第689話 強い興味

 風竜王ウィンド・ロードルヴァンの言葉を信じるのなら、彼の行動原理は竜族のため、ひいては自分の立場を守るという意味に他ならない。


 俺たちを守るため、なんていう綺麗事よりも余程信じるに値する妥当な理由だと言えるだろう。

 だからといって、その言葉を全て鵜呑みにすることは危険だ。地竜族と同じように風竜族もシュタルク帝国に与している可能性だって否定し切れない。

 今は状況を見守り、ルヴァンの動向に注意を払っておくべきだろう。


 すると、ルヴァンの視線が観客席の上側に向けられる。

 その視線の先あったのは、一際豪華な観客席。

 そこではエドガー国王と四大公爵家の当主たちが、唖然とした面持ちで俺たちのことを見下ろしていた。


「……ふむ、一部の人間というのは上の奴らのことか?」


「そうだとも。彼らは人族の国家の代表だからね。それに、今は僕のスキルで観客の皆には大人しく眠ってもらっているけど、起きたあとのことを考えると僕の手には負えそうにない。だから、彼らには事後処理を任せようかと思っているのさ」


 ルヴァンのスキルによって、闘技場にいた観客たちは皆、深い眠りに落ちている。加えて、眠る前の記憶の一部が消し去られたことも考えると、目が覚めた後に大混乱が生じるであろうことは火を見るよりも明らかだ。

 そのような大混乱を終息させるのは並大抵の人間ではまずもって不可能。有力者――それも最上位の権力者であっても、観客たちを納得させることは相当難しいだろうが、それでも他に適任者はいない。


 ルヴァンに困難な仕事を勝手に押し付けられたことには同情するが、代替案が思い浮かばない以上、今は黙ってルヴァンの案に乗じるしかなかった。


 と、ここで俺が持つスキル『観測演算オブザーバー』が、闘技場内で動くいくつもの人の気配を捕捉する。

 その数はざっと数えて、三十人前後。観客席のいたるところに点在していた。


 そのうちの一つに視線を向ける。

 すると、そこにはルヴァンと同じ若草色のローブを羽織った男のエルフがいた。


「安心して欲しい。別に悪いことをしているわけではないから」


 俺の視線に気付いたのか、ルヴァンが微笑を浮かべながらそう俺に話しかけてくる。

 一瞬、返事をするかどうか悩んだが、ルヴァンの言葉や態度から一切悪意が感じられなかったため、やや緊張をしながらも言葉を返すことにした。


「なら、彼らは何を?」


「いきなり眠らせてしまったからね。潰されている人だったり、怪我人がいないか確認をしてもらっているのさ」


「そうでしたか」


 あまりにも素っ気のない返事をしてしまったことを反省しながらも、念のためにエルフたちを『始神の目ザ・ファースト』で確認する。

 目視できる範囲内にいたエルフたちを、二人、三人と確認していくと、例外なく全員が治癒魔法系統スキルを所持していることが判明し、ある程度確認を終えたところでルヴァンの言葉を本当の意味で信じることにした。


「ははっ、フラム君の仲間らしくないと言ったら失礼かもしれないけど、君は随分と用心深い性格のようだね。それに、隣の可愛らしい君もね」


 ルヴァンの翡翠色の瞳がディアを捉える。

 ディアもディアで俺と同じように周囲への警戒を高めていた――と、思いきや、どうやらそういうことではなかったらしい。


「ううん、違うよ。わたしも手伝った方がいいかなって思ってただけ。わたしも治癒魔法を使えるから」


「おや? 君は僕を警戒していないのかい?」


「貴方からは悪意を感じない。今は、だけど」


「へえ……。変わってるね、フラム君の新しいお友達は」


 この時、初めてルヴァンから本物の感情が見えたような気がした。

 その感情とは――愉悦、そして強い興味だ。


 常にルヴァンは柔らかな物腰で、優しげな雰囲気を纏っている。

 だが、それは表面化された部分に過ぎない。

 悪意こそ感じ取れなかったものの、腹の底では何を考えているのかわからない不気味さがあったのだ。


 目に見えない心の仮面とでも言うべきだろうか。

 それがたった今、ほんの僅かにだが、剥がれ落ちていた。


 旧知の仲であろうフラムにできた新たな仲間――俺とディアに対して、ルヴァンはここに来てようやく興味を持ち始めたのだ。


「ディアはともかく、主は主なのだが……まあいい。それよりも時間はいいのか?」


「まだ大丈夫さ。後三十分くらいは誰も目覚めないはずだよ。でも、フラム君の言う通り、少しくらいは急ぐとしようか。悪いけど、僕についてきてくれないかな? すぐそこまで」


 そう言ってルヴァンが見上げた先には、エドガー国王たちの席があった。

 その視線が意味するところは、確認するまでもない。何の思惑があってのことか知らないが、ルヴァンは俺たちを連れ、エドガー国王たちがいる特等席に向かうつもりなのだろう。


 ルヴァンは俺たちの返答を訊く前に、護衛のエルフたちに待機命令を下すと、颯爽と一人で特等席へと向かってしまう。あたかも俺たちがついてくることを確信しているかのように。


「行っちゃった……」


「ったく、何故私たちがルヴァンの奴に振り回されなければならないだ」


「仰る通りかと。ですが、このまま放置するわけにも参りません。それに、あれでも風の一族を束ねる王。何か考えがあってのことでしょう」


 ディアとフラムはルヴァンの自由奔放っぷりに呆れ返っていたが、イグニスだけは違った。

 以前、ルヴァンに一杯食わされたことを未だに根に持っているその一方で、イグニスの言葉にはルヴァンのことを王として認めている節が垣間見える。


 俺が知る限り、誰よりも優秀で誰よりも他者の実力を認めようとはしない、あのイグニスが認めているのだ。

 そんなルヴァンが考えもなしに動いたとは思えない。


 ルヴァンが向かった先に何かある。

 確信こそどこにもないが、妙な期待感が俺の心の奥底で沸々と湧き上がってきていた。


 俺は目配せだけでディアたちの意思を確認し、転移を使用。

 瞬きほどの時間で景色が切り替わり、特等席に足を踏み入れた。


「お前たち……」


 俺の耳に飛び込んできた第一声は、エドガー国王のどこか安堵した声だった。

 しかし、それ以外の声は聞こえて来ない。

 まるで金縛りにあったかのように、ブルチャーレ公国を代表する四大公爵家の当主たちは微動だにせずに押し黙り、驚愕と混乱の感情を何度も行き来していた。


 中でも特にヴィドー大公の混乱っぷりは凄まじいものがあった。

 ルヴァンを見つめたまま、手に持っていた拡声の魔道具を床に落とし、完全に固まってしまっている。額からは汗が滝のように流れ出し、呼吸も大きく乱れていた。

 何とか意識を保っていられているのは、大公が故の責任感からだろうか。


 そして、かつて俺たちと一悶着あったパオロ・ラフォレーゼ公爵も、驚愕と混乱を声に出して顕にしていた。


「――《流浪》ッ!?」


「やあ、パオロ君。、久しぶりってことになるのかな?」


 ルヴァンの言葉に引っ掛かる部分があったのか、ラフォレーゼ公爵はそれまで浮かべていた驚愕の表情を引っ込め、怪訝な顔をする。


「それはどういう意味だ……? いや、今訊くべきことはそんなことじゃねえな。――これはテメエの仕業か?」


「うんうん、君のそういう切り替えの早いところは好ましいと思っているよ」


 ――ドンッ。

 力任せに肘掛けを叩きつけた音が静寂の中に響き渡る。


「テメエの好みなんざ訊いちゃいねえんだよッ!」


「相変わらず怒りっぽいね、パオロ君は。うん、そうだ。僕がやったことさ。でも悪いけど、今は君に用はないんだ」


 獰猛な視線に曝されながらも、ルヴァンは一切動じることなく、それどころか悪びれることすらなく涼しげな顔をラフォレーゼ公爵に向け、そう言い放つ。


 足蹴にされたのだ。

 当然のようにラフォレーゼ公爵は感情の赴くままに椅子から立ち上がり、ルヴァンを問い詰めようとする。

 だが、次の瞬間には糸の切れた操り人形のようにラフォレーゼ公爵は力なく椅子に座り込み、そのまま意識を失った。


 そしてルヴァンは、この場にいる者たちに恐怖と絶望を植え付けるかのような狂気を含んだ微笑を浮かべ、こう言う。


「――竜族を貶めるために、この舞台を整えたのは誰だい?」

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