第685話 広がる波紋

 闘技場に集まる全観客の視線が俺たちに集まる。


 歓声はとうに消え失せていた。

 今あるのは悲鳴と不安、驚愕の声。


 観客たちは今、何が起きているのかわかっていないのだ。

 目に見えるものだけを信じているのならば、試合に敗れた仮面の男が、何故か観客席にいた得体の知れぬフラムに絞め殺されそうになっている、と思い込んでいるのだろう。


 しかし、真実はそうではない。

 むしろ逆だ。俺たちが殺されそうになったのだ。

 にもかかわらず、非難の視線は俺たちに――未だ仮面の男の首を掴んで離さないフラムに集中する。


 仮面の下からくぐもった声が漏れ聞こえてくる。


「……コレ、デ……イイ……」


 声帯が開いておらず、満足に呼吸ができていないせいで酷く聞き取りづらい声だった。

 耳を澄ませていなければ、観客の声に掻き消されてしまっていただろう。

 だが、その声には余裕があった。

 いや、違う。その声には目的を達したという充実感が滲み出ていたのだ。


 だからこそ、俺は逸早く行動に移ることができた。

 その予兆に気付くことができた。


「――フラム!!」


 俺は観客の声に負けじと声を張り、危険を伝える。

 そして、次の瞬間には『魔力の支配者マジック・ルーラー』を発動。仮面の男の魔力制御能力を阻害し、さらに魔力遮断の結界を、仮面の男を包み込むように展開する。


 だが結局、それらは何も意味をなすことはなかった。


 俺の声は確実にフラムに届いていた。

 それでもフラムが微動だにしなかったのは、彼女が次元を超えた力を持っていたからだ。

 仮面の男がどう足掻こうとも、何の痛痒もないと判断したからだ。


 その判断は間違っていない。

 仮面の男の力程度ではフラムに傷一つ負わせることは不可能だった。

 しかし、その判断が致命的な結果に繋がることになる。


 フラムが捕らえていた仮面の男の腹部が膨張していく。

 みるみるうちに腹部が風船のように膨れ上がると、腹部から全身にかけて、赤く眩い光を発したのである。


 俺が持つ『魔力の支配者』では、体外に放出された魔力しか阻害することができない。

 放出された魔力――魔法を含むスキル――には無類の強さを誇るが、その唯一の弱点とも言える部分をつかれてしまったのだ。


 仮面の男――ルキーノが使用したのは伝説級レジェンドスキルにも及ばない火系統魔法。

 俺にもディアにもフラムにもイグニスにも通用することのない程度の低い魔法だ。

 しかし、ルキーノの体内に発生した炎を――爆炎を止める術は誰一人として持ち合わせていなかった。


 そして、惨事が起こる。


「「きゃぁぁーーーっ!!」」


 フラムに鷲掴みにされたまま、赤く風船のように膨れ上がったルキーノが、ボンッという爆発音と共に爆散したのである。


 大した爆発ではなかった。

 爆風が俺の髪を微かに揺らしたくらいの小規模な爆発だった。おそらくフラムが爆発の威力を抑え込んでくれたのだろう。


 焼け焦げた肉片が周囲一帯に撒き散らされ、一秒にも満たない血の雨が降り注ぐ。

 爆ぜて消えたルキーノの血液が俺の頬に触れ、無意識下で『血の支配者ブラッド・ルーラー』が発動。

 久方ぶりの『血の支配者』のコピー能力の使用に若干の不安を抱きつつも、俺はルキーノが持っていたスキルの中から『六撃変殺シックス・デッド』をコピーし、副作用によって発熱していた身体を冷ます。


 それにしても、凄惨な光景だった。

 ルキーノを素手で掴んでいたフラムを含め、誰一人として怪我人が出ていないことだけは不幸中の幸いと言えるかもしれないが、今の光景を目の当たりにしてしまった人々の中には精神的に大きな負荷がかかり、心に一生消えることのない深い傷を負ってしまった人もいるかもしれない。


「皆、大丈夫だった?」


 観客席から上がる無数の悲鳴の声に掻き消されそうになりつつも、ディアの落ち着き払った声が聞こえてくる。


「俺は大丈夫! フラムは!?」


「問題ないぞ! 強いて言うなら、奴の血を浴びて気持ち悪いくらいだな!」


 観客の悲鳴に掻き消されないように声のボリュームを上げて会話する。

 念のためにリディオさんとイグニスの様子を横目で確認するが、リディオさんこそ少し驚いた表情をしていたものの、二人は特に問題はないとばかりに小さく頷き返してきた。


「ディアよ! 面倒をかけるが、掃除を頼む!」


「うん、任せてっ」


 フラムの全身にべったりとこびりついていたルキーノの血液が、ディアによって完璧に制御された水系統魔法によって綺麗に洗浄されていく。


 時間にして僅か五秒足らず。

 あっという間にフラムに付着していた血液だけではなく、俺やリディオさん、それからVIP席に飛び散っていた血液汚れを全て綺麗にしたのであった。


 一応、これでひとまず危機は去ったと言ってもいいだろう。

 ルキーノの目的や行動原理は謎に包まれたままだが、話を聞き出そうにも当の本人が爆死してしまった以上、これより先は望みようがない。


 今は大人しく座席に座り直し、混乱が落ち着くのを待つしかなさそうだ。

 そう思っていたのも束の間、さらなる混沌が俺たちに襲い掛かる。

 闘技場全体から鳴り止むことのない悲鳴と混乱の声の中から、突如として耳を疑う単語が飛び出してきたのである。


「――竜族。炎竜族の女が殺りやがった!!」


 それは何の特徴もない男の声だった。


「――っ!?」「……えっ?」「……チッ」


 その声を耳にした瞬間、俺は――俺たちは一斉に眼下に広がる一般観客席を見下ろし、目の色を変えてその声の主を探し出していた。


 眼下にいる観客だけでも数千人。闘技場全体ともなれば数万もの観客の中から声の主を見つけ出すことなど不可能だ。


 そんなことはわかっていた。

 それでも俺たちは必死にその声の主を探そうと血眼になる。


「あん? 竜族だって? 誰がそんな与太話を信じるかっての!」


「今の声、訊いたかしら? 竜族ですって。それに殺したとかなんとか……。まさかあの爆発って……」


 たった一人の投じた言葉が小さな波紋を起こし、そしてより大きな波となり、観客たちを呑み込んでいく。


 恐ろしい速度で広がっていく噂。

 噂が広がっていくのと比例するように、俺たちに集まる視線も急速に増えていく。


 だが、所詮は噂に過ぎない。

 俺たちに向けられた眼差しの大半は半信半疑の色が多分に含まれていた。


 それも当然の話だ。

 竜族とは伝説や御伽話に出てくる空想上の存在として知られているだけで、実在していると信じている者の方が少ない。

 たった一人の男が投じた与太話を心の底から信じる者など、ほぼ皆無。

 今でこそ好奇心で俺たちに視線が集まっているが、時間が勝手に噂を流し去っていくだろう。


 しかし、いくら待てども俺たちに向けられた視線の数が減ることはなかった。いや、むしろその数は増えていった。


「ああ、間違いないさね! あたいは昨日、見たんだ! あの女が人間とは思えない力で店をぶっ壊してるところをさ!」


「それって、飴細工を売ってた店のことだよな? それなら俺も偶然目にしたけどよ、そこまでのことだったか……?」


 嘘と真実が混ざり合った話が観客席のいたるところで飛び交う。


「――私は知っているわ! あの女性はただの竜族じゃない! 火を司る炎竜族の王ってことを!」


「奴の名は……そう、フラムだ! 炎竜王ファイア・ロードのフラムだ!」


 噂が途絶えない理由がようやく判明する。

 半信半疑になっている観客の中に、明らかにフラムの正体を知っている者が紛れ込み、噂を流し続けていたのだ。

 だが、やはりこの数万の観客の中から声の発生源を特定することはできない。


「何がどうなってるの? 何でフラムのことが……」


 戸惑うディアは人の圧に押され、ぺたりと椅子に座り込んでしまう。


 その一方で俺は自分の世界の中に閉じ籠もり、ようやく答えに辿り着こうとしていた。


「……そうか。狙われていたのはマリーじゃない。フラムだったんだ」


「主よ、それはどういうことだ? 私が狙われていただと?」


 俺の呟きを拾ったフラムが、噂を流す人物の特定を切り上げて問いかけてくる。


 マリーを狙ったかのような動きは全てフェイクだったのだ。

 事実、昨日マリーを襲った犯人を問い詰めた時にも、男は確かに『……お、俺は雇われただけなんだ! あの紅髪の女と一緒にいる奴を誰でもいいから襲えってよぉ!』と言っていた。


 仮面の男ことルキーノも、最初こそマリーの方向に飛んできたものの、その後は迷うことなくフラムに攻撃を仕掛けてきた。

 そのことから予想するに、大方ルキーノは自分が死ぬことを前提にフラムに特攻し、予定通りにフラムに捕らえられた。


 そして、自爆。

 火系統魔法を用いて自爆したのも、フラムが炎竜族だと知らされていた上で、炎竜族が得意とする火系統魔法によって殺されたと見せかけるためだと考えれば、辻褄が合う。


 火系統魔法で死ぬことで、それを目の当たりにした観客に対し、今現在も流れ続けている噂と併せてルキーノを殺したのは炎竜族であり、フラムであると徐々に刷り込んでいく魂胆だったのだろう。


 頭の中にあった点と点が繋がり、線となる。


 そう……この場は何者かの手によって整えられた舞台だったのだ。

 サクラを観客の中に紛れ込ませ、何も知らない大勢の人々に、竜族の存在を、フラムの正体を曝け出すための場だったのだ――。

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