第684話 放たれた凶弾

「いけー! そこだあぁぁ!」


「ぜってぇに勝ちやがれッッ! こちとら全財産賭けてんだッ! 死ぬ気でいけッッ!!」


 私利私欲が入り混じった熱い声援が闘技場のあちこちに飛び交う。

 間違いなく今この時、会場のボルテージは最高潮に達していた。

 そしてそれはリディオさんやマリー、ナタリーさんも同じだ。三者三様応援の仕方こそ違えど、選手の戦いに魅入られ、全身全霊で魔武道会を楽しみ、満喫している。


 だがその一方、フラムは酷く冷ややかな眼差しで、ラバール王国の代表選手である騎士の男性と、ブルチャーレ公国の代表選手である仮面の男の試合を観戦していた。


「……ったく、この茶番はいつまで続くんだ? それともあれか? 会場を盛り上げるために、わざとやっているとでも言うのか?」

 

 騎士の男性が淀みのない流麗な剣撃を繰り出す。

 四方八方から繰り出されるその剣撃は観る者を魅了し、その高速剣の連撃を浴びせられた仮面の男は、片手に持つ短剣で命からがら剣先をずらし、大きく後退することで難を逃れる。


 こんな光景が幾度と繰り返されること、既に五分。

 何も知らない者からすれば、まさに最終試合に相応しい熱戦が繰り広げられているように映るだろう。

 優位を握っているのは騎士の男性だと勘違いしているだろう。


 しかし、実際はそうではない。

 防戦一方になっている仮面の男は、まだ一撃ももらっていないのだ。

 この戦いをコントロールしているのは騎士の男性ではない。紛れもなく仮面の男――ルキーノなのだ。


 その事実を知っている者は俺たちを除けば、如何に会場広しといえども極一握り。下手をすると、仮面の男と直接剣を交えている騎士の男性だけかもしれない。


 後方に跳び下がった仮面の男を追うように騎士の男性が一息で距離を詰める。


 その力強い踏み込みは明らかに試合を決めにいくつもりだ。


「――はあぁぁぁぁッ!!」


 観客の歓声をも打ち消す気合いの籠もった渾身の一撃は、風を――暴風を纏い、仮面の男に襲い掛かる。


 防御を捨て、全神経を一撃にかけた捨て身の攻撃。

 俺の目から見てもその一撃は勝負を決めるには十分な威力を誇っていたように映った。

 だが……、


「……馬鹿者が。それでは隙だらけだ」


 ため息を堪えつつも、フラムは辛辣な言葉を放つ。


 俺の目に狂いはない。確かに威力は十分だった。

 しかし、それだけでは届かない。格上を相手に、隙だらけの一撃など届くはずがない。


 威力を重視し過ぎた結果、剣を振りかざし、そして振り下ろすまでの時間が掛かり過ぎていた。

 端的に言えば、予備動作が大きかったのだ。


 騎士の男性の長所は一撃の重さではない。剣撃の速さこそが長所であり、その速さを捨ててしまっては自ら二流の剣士に成り下がるようなもの。


 フラムが辛辣になるのも理解できる愚行だった。

 だが、時すでに遅し。

 放たれてしまった渾身の一撃を今さらなかったことになどできやしない。


 引き延ばした時間の中、仮面の男の後ろ姿が俺の視界に映り込む。


 もう勝負は決した。

 騎士の男性の一撃を躱し、仮面の男がカウンターを決める未来が見えてくる。

 ディアもフラムも、そしてイグニスも、俺と全く同じ未来を頭の中で思い描いていただろう。


 だからこそ、虚をつかれてしまった。

 ほんの僅かに対応が遅れてしまった。


「――っ!?」


 その刹那、声にならない驚嘆を上げたのは一体誰だったのだろうか。

 俺だったのか、ディアだったのか、あるいはフラムかイグニスか。

 唯一、確かなことは皆が同じ感情を抱いていたということのみ。


 想像も想定もしていなかった。

 真の実力を知っていたが故に、あり得ないことだと勝手に頭の中から切り捨ててしまっていた。


 ――暴風を纏った渾身の一撃が、仮面の男をいとも容易く吹き飛ばしたのだ。


 歓声と悲鳴が入り混じった声が大地を揺らす。

 その一方で、俺たちは飛び跳ねるように席から立ち上がっていた。


「――きゃっ!」


 マリーの短い悲鳴が鼓膜を打つ。

 それもそのはず、吹き飛ばされた仮面の男が俺たちの席に向かって吹き飛ばされてきたのだから。


 瞬く間に、舞台と観客席の間に張られた安全装置――魔法弱化の結界を仮面の男の身体が通り抜け、こちらに迫って来る。

 その速度は優に数百キロを超えていた。


 結界はあくまでも対魔法を想定したものでしかない。

 物体を弾き返す機能なんてものは端から備わっていないのだ。


 本来ならば、舞台をぐるりと囲うように配置された騎士や警備兵が観客を守るために物理的な障害を排除する手筈となっていたはず。

 しかし、あまりにも高速で飛翔する仮面の男を止める術を警備に就いていた者たちは持ち合わせていなかった。


 仮面の男の背中が刹那の間に迫って来る。

 その背中が向かっていくのは俺の席から右に三つ離れたマリーの席。

 当然、何の力も持たないマリーではどう足掻こうとも対処することは不可能。それはその隣に座っているナタリーさんも同じだ。


 対応可能なのは俺たち『紅』と、イグニスのみ。

 マリーを救うだけなら、そう難しいことではない。瞬きするほどの時間があれば簡単なことだ。


 ただし、それにはとある条件が付随してきてしまう。

 ――『生死不明の仮面の男を殺す』という条件が。


 とりわけ、ディアに関しては殺す以外に方法はない。

 人ひとり分の質量を持った飛翔物を優しく受け止めることは魔法に特化したディアでは困難を極める。ましてや、この極めて短時間の中で対処法を模索するのは不可能に等しい。


 故に、俺が、フラムが、イグニスが動く。

 声を発することも、目を合わせることもなく、それぞれの意思で最適解であろう行動に移る。


 俺が行ったのはマリーとナタリーさんの安全の確保。

 『空間の支配者スペース・ルーラー』で仮面の男を転移させるという手段は選ばなかった。

 高速飛翔する仮面の男の座標を間違えれば、大事故に繋がってしまうことも理由の一つに挙げられるが、仮面の男をどこかへ転移させたとしても、運動エネルギーを殺すことまではできない。

 そして何より、俺は仮面の男に対して激しい警戒心を抱いていたことが、転移を選ばなかった最大の理由だった。


 もちろん、上空へ転移させるという手も一瞬脳裏をよぎった。

 だが、俺はそれを破棄して仮面の男の命よりもマリーとナタリーさんの命を最優先し、二人を椅子ごと転移。密談のために使用した、ミスリル製の壁で囲われた奥の部屋へと二人を無事に転移させたのであった。


 これにより、マリーとナタリーさんの安全はほぼ確保されたも同然。

 万が一に備え、壁際に移動したイグニスが構え、目を光らせている。

 そんな中、フラムは僅かに移動しただけで仁王立ちしていた。


「――来い」


 そう口にしたフラムは、明らかに仮面の男を受け止めるつもりなどないように見えた。

 彼女の横顔にあったのは仮面の男に対する敵意。

 フラムは最初から仮面の男を敵と断定し、動いていたのだ。


 そして、その判断が間違いではなかったことを俺たちはすぐに知ることになる。


 俺たちに背を向けて飛翔していた仮面の男が空中で体勢を変え、その仮面の奥の目を細めた。

 いつの間にか、その両手の指の間には漆黒に染められたナイフが三本ずつ握られており、明確な殺意を振り撒き、俺たちに向かって飛翔を続ける。


 これで敵であることが確定した。

 俺とディアは何も理解していないリディオさんの前に守るように立ち塞がり、フラムは変わらず仮面の男を出迎える。


 途端、仮面の男の右手から三本、左手から三本、計六本のナイフが投じられ、その全てがフラムの命を刈り取らんとばかりに向かっていく。

 無論、ただのナイフではない。ナイフの一本一本に凶悪なスキルが付与されていた。


 ――伝説級レジェンドスキル『六撃変殺シックス・デッド』。


 六本のナイフに付与された『六撃変殺』の能力は凶悪の一言に尽きる。

 一撃で触覚を、二撃で味覚を、三撃で嗅覚を、四撃で聴覚を、五撃で視覚を奪い、そして最後の六撃で命を奪うというものだ。


 これらの効果は毒などの状態異常とは異なり、各種耐性や治癒魔法で回復または無効化することは不可能。

 その代わりに、一撃目から一分以内に六撃目を貰わなければ失った五感は戻り、カウントもリセットされる仕様となっていた。


 耐性も治癒魔法をも貫き、無効化する音速を超えた凶刃スキル

 だが、如何に凶悪なスキルが付与されているといえども、直撃する前にナイフそのものが溶けてしまえば、どうすることもできない。


「――そんなものか?」


 次の瞬間には仮面の男の首をフラムが片手で締め上げていたのだった。

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