第682話 異なる名前

 昼休憩が終わり、ついに待ちに待った本戦が始まろうとしていた。


「皆様、大変長らくお待たせ致しました! 選手の入場です!」


 実況の声が木霊し、観客席からは盛大な拍手と歓声が上がる。

 その声に応じ、各国の国旗を掲げた騎士を先頭に合計十名の選手が入場を果たす。

 緊張からか、選手たちの足取りはどこかぎこちない。

 とりわけ、アウェイということもあってか、ラバール王国の代表選手たちは緊張と重圧に押し潰されそうになっている。

 当然、観客に手を振るような余裕などなく、先頭を歩く騎士についていくことで精一杯になっているように見えた。


「頑張って、でーす!!」


 すぐ近くからマリーの歓声が聞こえてくる。

 最高潮に達したお祭りの雰囲気を全力で楽しんでいるようで何よりだ。


「何だ? アリシアの姿が見えないが、もしや舞台に上がらないのか?」


「今回アリシアは選手じゃないから、たぶん別の席から――あっ、ほらほら、あそこ。ラバール王国の選手たちが入場してきた入口に立ってるよ」


「そう言われればそうだったな。指揮官兼参謀と言ったところか。ならば、今回はアリシアの参謀としての能力を楽しみにするとしよう」


「うん、そうだね。今年の魔武道会は去年とは違って勝ち残り戦じゃないみたいだから、どの選手に誰を当てるかが重要になってくる。アリシアの腕の見せどころなんじゃないかな」


 ディアとフラムの他愛もない話に耳を傾けながら、俺はじっとある選手を見つめ続けていた。


 闘技場全体が――いや、国全体が大盛り上がりの中、ただ黙って舞台を見つめる俺を不思議に思ったのか、隣に座っていたリディオさんが話し掛けてくる。


「コースケさん、どうかされましたか? もしかして体調が……?」


 その声で、ふと我に返った俺は慌てて手を振り、体調を気遣ってくれたリディオさんに弁明をする。


「いえいえ! 少し気になることがあるだけで、特に体調が悪いとか、そういうのはないですから」


「気になること……ですか?」


 失敗……というほどのことではないが、無用な心配をリディオさんに抱かせてしまったようだ。無意識のことだったとはいえ、リディオさんに気付かれてしまうほど俺は神妙な面持ちをしていたらしい。


「別にそれほど大したことではないのですが、ブルチャーレ公国代表の仮面の男性のことが少し気になりまして」


「仮面の男性と言いますと……」


 そう言いながらリディオさんは懐からオペラグラスを取り出し、レンズ越しに仮面の男を観察する。

 リディオさんは元々看破系統スキル『心眼』の持ち主。魔道具に頼らず、見た者の能力を覗き見ることができることからも、手に持っているのはただのオペラグラスだろう。

 しかし、仮面の男も『心眼』持ち。


「あっ、申し訳ありません……。私の眼では何も視えませんでした……」


 仮面などの魔道具に付与して獲得した『心眼』なのか、元来持ち合わせている物なのかはわからないが、どちらにせよリディオさんが持つ『心眼』では、仮面の男の情報は得られない。


 恥ずかしそうに謝罪するリディオさんだったが、すぐに恥じらいを捨てると、何やらまた懐を探って一枚の紙を取り出した。


「それは?」


「これは私が個人的に纏めた出場選手のリストです。とは言っても出場選手の名前と外見的特徴を簡単に纏めただけですけどね」


 歓待の宴で行われた選手紹介の時に作成したのだろうか。その紙に書かれた文字はお世辞にも上手いとは言えない。あくまでもメモ書きのような書き殴った文字で、各国の代表選手の名前と外見的特徴だけを端的に纏めていた。


 リディオさんからメモ書きを受け取り、目を通していく。

 上から順にラバール王国の代表選手の情報が記されており、読み進めていくうちに、俺は仮面の男の情報まで辿り着く。

 そして……、


「……えっ?」


 俺は驚きを隠し切れず、声を上げていた。

 何故なら、リディオさんが纏めたメモ書きに記されていた仮面の男の名と、俺が視えていた名前が異なっていたからだ。


 メモ書きにはこう記されていた。

 ――『男性、中肉中背、無機質な白い仮面、名――ニコロ』。


 メモ書きと、舞台上に立つ仮面の男を何度も見比べる。

 だが、やはり俺の見間違いということはなかった。


 俺の目に映る、仮面の男の名は――ルキーノ。


 背丈や格好、その他髪色などは、俺の薄っすらとした記憶の中にある、歓待の宴で見た姿とそう変わりはない。


 そこから考えられる可能性は二つ。

 全くの別人か、あるいは去年の俺のように偽名を使ってる可能性。この二つに一つだろう。


 しかし、俺の記憶に間違いがなければ、後者である可能性は限りなく低い。

 その最たる証拠として、仮面の男が持つスキルが、実力が、俺の記憶を上回っているからだ。

 もちろん、俺の記憶が間違っていることもあり得るだろう。

 知人や会話を交わしたことがある人物ならまだしも、仮面の男を直接目にしたのは歓待の宴の時だけ。

 敵対しているわけでもなければ、要注意人物というわけでもない人の名前やスキルを全て記憶していられるほど、俺の記憶力は優れていないのだ。


 俺の曖昧な記憶だけでは確たる証拠には成り得ない。

 それに、もし仮に本当に中身が入れ替わっていたとしても、それは俺の落ち度でもなければ、俺たちに被害を及ぼすわけでもない。

 今ここで騒ぎ立てたところで、意味のない行為でしかないのだ。むしろ多くの観客たちからしてみれば、『水を差すな

 』と罵倒を浴びせられるかもしれない。


「……コースケさん?」


 思考の沼に嵌まりかけていた俺に、リディオさんが首を傾げながら声を掛けてくる。


「あー……いえ、何でもありません。すみません、驚かせてしまって」


 もやもや感は未だに拭えないが、リディオさんに相談をしたり、巻き込むほどのことではない。

 俺が纏う妙な雰囲気を察してか、リディオさんはそれ以降、深掘りしてくることはなかった。


 実況による、選手紹介が続いていき、いよいよ仮面の男の番となる。


「最後はこの方! その仮面の下を知る者はなし。突如としてブルチャーレ公国に現れた、武と魔法を極めし常世の怪人――ニコロ選手ですッ!!」


「「――うおおおおおお!!」」


 観客席が今日一番の盛り上がりをみせる。

 最後に紹介されたということは、つまり今回のブルチャーレ公国代表の中で最もその実力を期待されている人物という意味に他ならない。


 事実、ニコロの――いや、ルキーノの実力は頭一つ飛び抜けている。

 まともに勝負をすれば、相性などは関係なしにラバール王国の代表選手の中には彼に太刀打ちできる者はいないだろう。


 と、ここでディアとフラムがほぼ同時に声を上げた。


「……え? ニコロって誰?」


「……む? あんな奴いたか?」


 どうやら二人も仮面の男の名前とその正体に疑問を持ち始めたようだ。


 身体を捻って後ろを見る。

 すると、そこには顎に手を添えて怪しげに瞳を輝かせるイグニスが立っており、こう呟いた。


「以前、お見かけした方とは全くの別人でございますね」


 俺の記憶は頼りにならないが、イグニスの記憶なら頼りになる。

 イグニスが別人だと断言したことで、俺もようやく仮面の男が全くの別人に入れ替わったのだと確信を得る。


「私たちには遠く及ばないが、それでもなかなかの実力者だ。ラバール王国の選手で勝てそうな者はいないし、奴との試合は捨てるしかなさそうだな」


「……うん。でも今回のルールなら、他の四試合で挽回できるし、勝負は全然わからないよ」


「ディアの言う通りだな。むしろアリシアの手腕がより問われると思えば、私にとってそう悪い展開ではない。さて……弟子の成長をこの眼で、しかと見届けてやるとしようか」


 仮面の男の中身が入れ替わっていようと、ディアとフラムは気にするどころか、それを含めて魔武道会を楽しむつもりらしい。


 それもそうだ。

 いくら気にしたところで仕方がない。

 大会に不備があったとしても、口を出す権利は俺たちにはないのだから。


 そう、これちょっとしたハプニングの一つ。

 殺し合うわけではないのだ。ただ観客として、割り切って楽しんでしまえばいい。

 もやもや感が完全に晴れたわけではないが、そう認識を改めるだけで心が落ち着いていく。


 俺は最後に舞台上に立つ仮面の男を眺め、そして目を離そうとした次の瞬間――男の仮面の下に隠れた目が、俺たちを捉えていたことに気付いたのであった。

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