第680話 憧れ続けてきたもの
気分転換のために外の空気を吸って戻ってきたリディオさんを出迎えた俺たちは早々に謝罪を行った。
リディオさんを利用したこと、意図してリディオさんを巻き込んだことなど、ここまでに至る経緯をざっくりと説明し、謝罪したのである。
腸が煮えくり返るほどの怒りを抱いても不思議ではない。
利用されたばかりではなく、被害はなかったとはいえ、竜族を取り巻くドタバタに巻き込んでしまったのだ。
しかし、リディオさんは疲れが入り混じった笑顔で俺たちの謝罪をすんなりと受け入れる。
「あまり気になさらないでください。投資にリスクが付き物であることくらいわかっているつもりですから。とはいえ、ルミエールさんもですが、フラムさんとイグニスさんまで竜族だったことには驚かされましたが」
無理をして明るく振る舞っていることは一目見ればわかる。
ぎこちない笑みに、微かに震えた声。さらにはフラムとイグニスを直視しないようにしているあたり、恐怖心を何とか押し殺しているのだろう。
だからこそ、俺は確信する。
リディオさんが竜族に慣れていないということを。
もし
もちろん、俺たちの預かり知らぬところで、フラムやイグニスの恨みを買うような行いをリディオさんがしていたのだとしたらその限りではないが、そんな極小の可能性を追うのは流石に無理がある。憶測を飛び越え、もはや陰謀論者の仲間入りだ。
とはいえ、リディオさんにルヴァンのことを聞いておいて損はない。
念には念を入れ、ルヴァンとの繋がりを俺は包み隠すようなことはせずに愚直に探ることにした。
「――ルヴァン。この名前に聞き覚えはありませんか?」
「ルヴァン、でしょうか……? すみません、私の記憶には……」
その言葉を聞くや否や、俺は目線だけでディアに合図を送る。
リディオさんの記憶が消されているかもしれないと思っての合図だったのだが、ディアは俺の意図を見事に汲み取ふと、首を小さく横に振って返事をした。
「謝罪したばかりだというのに、変なことを尋ねてしまって申し訳ありません」
「いえいえ! もう十分ですのから、頭を上げてください。やむ終えない事情があったのでしょうし、私は本当に気にしていませんから。あっ、それよりももう開会式が始まりますよ? ささっ、年に一度しかない武の祭典の始まりを見届けましょう」
重苦しい空気を嫌い、さらには俺たちにこれ以上気を遣わせないようにする心配り。どこまでもリディオさんは善良な人なのだと改めて認識させられる。
リディオさんに背中を押される形で俺たちは部屋の奥の扉を開き、一足早く着席していたマリーとナタリーさんと合流を果たした。
人々の熱気が闘技場全体を包み込む。
ヴィドー大公とエドガー国王による開会の挨拶が盛大な拍手と共に終わると、選手紹介へと移っていった。
魔武道会のプログラムは二部構成になっている。
午前に前座と言われている各国の学院生同士の試合があり、そして前座を経て、午後に本戦というお決まりの流れだ。
前座とは言っても、その盛り上がり方は本戦に決して引けを取らない。
学院生同士の戦いも賭博の対象になっていることも一役買っているが、それ以上に国家の未来を担う卵たちの戦いということもあり、観客たちの熱の入れようは相当なものになるだろう。
実際、去年の盛り上がり方は凄まじいものがあった。
前回大会ではラバール王国の王女であるアリシアという目玉の存在が大きかったことは否定できないが、それでも盛り上がることは間違いなし。
選手紹介が終わったタイミングで、マリーが闘技場中に反響する観客の声に負けじと声援を送る。
「どっちも!! 頑張れーー!! でーーすっ!!」
微笑ましい光景に皆の頬が緩む。
緊張状態が続いていたリディオさんも、マリーのそんな可愛らしい声援を聞いたお陰でだいぶ緊張が解れてきたのだろう。貴族ということもあり、大声を上げることこそなかったが、白い歯を見せながら盛大な拍手を送っていた。
それから一試合、二試合と試合を見届け、現在の戦績は互いに譲らず一勝一敗。
俺の見立てが正しければ、勝負は最終戦である五試合目までもつれ込むだろう。
三試合目を控えるインターバルの最中、俺はすっかりと調子を取り戻していたリディオさんと話を交わしていた。
「『銀の月光』との契約はどうするつもりですか? もしリディオさんが打ち切りたいと言うのであれば、俺たちの方から伝えておきますが……」
リディオさんを騙し、契約を結ばせてしまったのは俺たちだ。不当とまでは言わないが、騙したことには変わりない。
もしリディオさんが契約の破棄を望むのであれば、こちらで対応しようと思っての提案だ。
しかし、リディオさんは俺の想像を遥かに上回る強かな性格の持ち主だったらしい。
闘技場の中央をじっと見つめながら、その胸中を俺に語る。
「私から契約を破棄することはありませんよ。もちろん、『銀の月光』の皆さんが契約の破棄を望むのならば、その意思を尊重しますが、私の方から打診をするつもりはありません」
「……少し意外でした。こう言ってはなんですが、『銀の月光』を――ルミエールを匿うメリットなんてほとんどありませんよ? 仮にあったとしても、それ以上のデメリットが……」
「あははは、確かにそうかもしれません。実情はどうあれ、周りから見れば、竜族であるルミエールさんを私一人が独占――囲っているかのように見られてしまうでしょうね。妬み、嫉み……時には憎悪の感情を向けてくる方もいるかもしれません。ですが――」
そこで言葉を区切ると、リディオさんは視線を闘技場の中央から雲一つない青く晴れた空に移し、子供のような無垢な瞳を輝かせて、こう続けた。
「――私は見てみたい。見届けてゆきたいのです。私が憧れ続けた強き冒険者の勇姿を、彼女たち『銀の月光』が紡いでいく冒険譚を」
リディオさんにとって、もはや損得がどうこうの話ではないのだろう。
冒険者に、その強さに憧れ続けてきたリディオさんの目には『銀の月光』の姿は美しく、そして輝いて見えているのだ。
ルミエールという大きな爆弾を抱えることのデメリットを承知した上で、リディオさんは自分の夢を優先した。
当然、そこには相応のリスクが伴うが、それ以上に特等席で『銀の月光』を間近で見届けられる権利の方が余程魅力的に映ったのだろう。
これはリディオさんの決断だ。
たとえその原因を作った俺でも、リディオさんの決断を否定する権利など持ち合わせていない。
「無茶だけはしないでくださいね?」
だから俺は否定するわけでも原因を作ったことを謝罪するわけでもなく、友に接するかのように裏表のない笑みを浮かべ、そう返事をした。
「あははは、無茶なんてしません。たまーに、私をダンジョンに連れて行ってもらえたら、とは考えていますがね」
リディオさんはそう言い、屈託のない笑みを俺に見せたのであった。
―――――――――――――
魔武道会の本戦に出場する、ブルチャーレ公国代表の選手たちの控え室に若い審判員の男が入室した。
審判員の目的は、手に持つ名簿に記載されている出場選手の照合である。
不正――替え玉――を防ぐために行われる事前検査なのだが、過去の大会では一度たりとも不正が行われたことはなく、半ば体裁を整えるためだけの雑なものとなっていた。
その例に漏れず、若い審判員の男は寝ぼけ眼を擦り、欠伸を噛み殺しながら照合を行っていく。
「ええーっと……。三、四……あれ? あのー、ニコロ選手はいらっしゃいませんかー?」
五人いるはずの控え室にいたのは四人だけ。
名簿にはそれぞれ選手の特徴が事細かに記載されており、白い仮面が特徴の男――ニコロがいないことは一目瞭然だった。
「ニコロ? 仮面をつけた男ならさっきまでいたわよ? トイレにでも行っているんじゃないかしら?」
出場選手の一人である女性が親切心からそう告げると、審判員の男は面倒臭いと言わんばかりに頭を掻き、礼を告げる。
「あー……そうですか、ありがとうございます。ではパオロ選手はいらっしゃるということで、選手の皆様は時間までもう暫くお待ちください」
審判員の男は一つだけ空いていた名簿の空欄にチェックマークを入れ、退室する。
この怠慢によって、魔武道会に大事件が発生することになるとは知らずに――。
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