第679話 ルヴァン

 ここまでのイグニスの話を聞いていれば、犯人の正体にある程度予想がつく。

 イグニスが俺たちのもとにやってきてから一年近く経っているとはいえ、俺が知らない人物と知り合える機会はそうなかったはず。あったとしても精々両手で数え切れる程度だろう。

 しかも、その交友関係のほとんどはラバール王国内に絞られる。

 だが、ここはブルチャーレ公国だ。

 常にイグニスと共に行動していたわけではないが、それこそブルチャーレ公国内で誰かと関わりを持ったなんて話は一度も耳にしていない。

 ともなると、イグニスが今語った存在は俺たちと出会う前に知り合ったと考えるのが妥当だろう。


 後は簡単だ。

 イグニスの生い立ちを踏まえて考えてみれば、犯人の正体が竜族であると簡単に想像がつく。

 むしろそれ以外は考え難いと言ってもいい。

 警備の目を掻い潜り、誰にも覚られずにヴィドー大公の記憶の一部を消し去る芸当など、並大抵の人間ではまず不可能。そのことからも犯人の正体が竜族というのはしっくりとくる答えだ。


 そんな俺の予想は一部の事柄を除き、見事に的中する。


「まだ私めの憶測の域を出ていないことをご承知の上でお聞き下さい。ヴィドー大公の記憶を消去した者の名は――。風を司る風竜族の王――風竜王ウィンド・ロードのルヴァンでございます」


 腑に落ちたと言ったら嘘になる。驚きの方が遥かに上回っていた。

 何故なら、あくまでも俺が予想していたのはただの竜族であり、風竜王なんて大物が出てくるとは微塵も考えていなかったからだ。


「……ルヴァン」


 そして、俺はその名を知っていた。かつて耳にしていた。

 この世界に来て、フラムとディアに出会ってからそう日が経っていない頃まで記憶を遡る。

 その名――ルヴァンの名を耳にしたのは、ラバール王国王都の現ギルドマスターであるアーデルさんとフラムの間で一悶着あった時だった。


 俺にこの世界のいろはを教えてくれた恩人とも呼べるアーデルさんは、ラバール王国の男爵位を持つ貴族でもある。

 そんな彼女の特徴と言えば、美しい容姿と特徴的な長い耳。

 人とは違う時の流れに生きるエルフ――それがアーデルさんである。


 俺の記憶に間違いがなければ、疑り深いアーデルさんにフラムの正体を明かした際に、炎竜族であること、さらには炎竜王であることを証明するために、フラムがルヴァンという名を出し、納得してくれたというくだりがあった。


 では何故、フラムがルヴァンの名前を出しただけでアーデルさんが納得してくれたのかというと、その時に確かフラムはこんなことを俺に説明してくれた。


 ――『ルヴァンというのはエルフのほとんどの者が信仰している竜の名なのだ。そしてその名をエルフは他の種族の者には秘匿している』。


 エルフか竜族、そのどちらかしか知り得ない風竜王の名。

 懐かしい記憶が掘り起こされると共に、言葉では形容し難い危機感と焦燥感が、俺の頭の中で警鐘を鳴らしてくる。


 何故、風竜王はヴィドー大公の記憶を消したのか。

 何故、風竜王はブルチャーレ公国にいるのか。


 そもそも敵なのか味方なのかさえもわからない。

 外見はもとより、性格も思想もわからない。

 唯一わかることがあるとすれば、風竜王が敵に回っていたとしたら、厄介極まりないということくらいだろう。


 もちろん、竜王だからといって強いとは限らない。

 竜族である以上、その強さは保証されているようなものだが、それでも今の俺の実力を考えると、並の竜族が相手ならば、十二分に渡り合えるかもしれない。


 しかし、そんな希望的観測は持つべきではないだろう。

 フラムに匹敵する、もしくは匹敵せずとも近しい力を持っていると考えるべきだ。

 甘い考えを持ったまま対峙するようなことがあれば、簡単に足元を掬われてしまうことは火を見るよりも明らか。


 今、俺が優先すべきはルヴァンの実力を含めた、ありとあらゆる情報を把握しておくことだ。

 幸運なことに、俺のもとには司る属性こそ違えど、同じ竜族であるフラムとイグニスがいる。

 二人がルヴァンのことをどれだけ知っているかわからないが、話を聞いておいて損はないだろう。


「知ってる範囲で構わない。風竜王ルヴァンについて何か教えてくれないか?」


 俺がそう訊ねると、フラムは記憶を探るように唸りながら一度天井を仰ぎ見て、かなりざっくりとした答えを返してきた。


「んーーー……。まあ、掴みどころがない奴だな。あとは……そう、かなりの変わり者だ。奴は風竜王でありながら、竜王の自覚がまるで無くてな、一族を放ったらかしにしてエルフの世話を焼くのに勤しむような奴だ」


「ええっと……、要するにフラムみたいな人? 竜? ってこと?」


 俺がギリギリのところでゴクリと飲み込んだ台詞をディアがそのまま口にする。

 盛大なブーメランが自分に返ってきているとは当の本人はまるで気付いていないようだが、今の話を聞く限り、フラムとルヴァンには共通点が多い。

 端的に言ってしまえば自由人。そんなところだろうか。


 ディアの言葉で機嫌を少し損ねたのか、フラムはぷくっと頬を膨らませて抗議する。


「私と奴を一緒にしてくれるな。これでも私はしっかりと一族を纏めているんだぞ。そうだろう? イグニス」


「フラム様の仰っしゃる通りでございます。我々炎竜族は総じてフラム様の忠実なる下僕しもべ。フラム様に歯向かう愚か者はおりません」


「うむうむ、流石はイグニスだ。良くわかっているな」


「えっ? それって皆、フラムのことが怖いだけ――」


「――よし、ディア。そこまでにしよう」


 ディアに悪気はなかったはず。彼女の中の探究心が少しだけ暴走してしまっただけに違いない。

 せっかくイグニスにおだてられて戻ったフラムの機嫌が再び損なわれる前にディアのお口をチャックした俺は、逸れ始めていた話題を元に戻す。


「性格については何となくだけどわかった。他にはどうだろう? 強さとか思想とかさ」


「ふむ……強さ、か……。奴もそれなりに強いだろうが、私の方が強い。それだけは断言できるぞ。火と風――相性的にも負ける道理がないからな。あとは思想だったか? さっきも言ったが、全くと言っていいほど掴みどころがない奴だ。私には奴が何を考えているのなんてさっぱりわからないが、決して悪い奴ではない」


 フラムが『悪い奴ではない』と断言した以上、きっとそうなのだろう。

 だからといって敵ではないと判断するには早計過ぎるかもしれないが、少なくとも俺の中で膨れ上がっていた危機感と焦燥感は、安堵共にだいぶ薄れていった。


 が、次のイグニスの一言で、ルヴァンへの疑念が強まることとなる。


「僭越ながら、私めから補足を。風竜王ルヴァンの実力はフラム様には遠く及びませんが、その名に恥じぬ物を持っていることだけは確かでございます。事実、リディオ様のお屋敷にて、大変遺憾ながら私めは風竜王ルヴァンを取り逃がしてしまったのですから」


「それって……リディオさんの屋敷に来ていた怪しい影の正体が風竜王だったと……?」


「ええ、おそらく間違いないかと。私めの追跡から逃げ切るだけの足、一切の臭いを消す隠密性、威嚇で放たれた風系統魔法……それらを複合的に判断すると、風竜王ルヴァンの姿が自然と浮かび上がってきますので」


「うむ、なるほどな。奴が怪しい影とやらだったのなら、イグニスが失態を犯したのも頷ける話だ。逃げ足の速さだけは私に勝るとも劣らないからな。だが……奴は一体何の目的でリディオの屋敷に偵察に来たのだ?」


「知り合いだった、とか?」


 考えられる可能性を挙げたディアに、フラムは悩みながらも首を横に振ってみせ、否定する。


「んー……ないとは言い切れないが、考え難いな。奴の興味は人間には向けられていない。リディオがエルフだったらあり得たかもしれないが」


 基本的にエルフにしか興味を示さないルヴァンが、何故リディオさんの屋敷に来たのか。その謎は深まる一方だった。


「こうなったら直接リディオさんに訊いてみるしかないか。もうじき戻ってくるだろうし、もしかしたらディアが言ってたように知り合いだったなんてことも考えられるしさ」


 心の中ではあり得ないと否定しつつも、俺たちはリディオさんが戻るのを待ち、直接話を訊くことにしたのであった。

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