第678話 残留魔力

 エドガー国王とヴィドー大公が部屋から退出し、残ったのは俺たち『紅』とイグニス、そして未だに呆然と椅子に座ったままのリディオさんだけとなった。


 すると、ようやく極度の緊張状態から解放されたからか、リディオさんは椅子から立ち上がると、千鳥足になりながら廊下へと繋がる扉のある方向へと歩き出す。


「……大丈夫ですか?」


 リディオさんを騙していた手前、かなり気まずい思いを抱きながらも声を掛ける。

 謝罪の言葉を真っ先に口にするべきだったかもしれないが、リディオさんの蒼白とした顔を見ていると、謝罪の言葉が喉の奥に引っ掛かって上手く出てこなかった。


「え、ええ……何とか。ですが、外の空気を吸っておきたいので、少々席を外させていただきますね……」


 そう言って退出していったリディオさんの表情は、誰がどう見ても精一杯の作り笑顔だった。


 ミスリル製の重厚な扉がガタンッと音を立てて閉まる。

 部屋の中には俺たち以外に誰もいなくなったが、それでも何処となく重苦しい空気に感じるのは俺だけではないだろう。


「……」


 一秒、二秒、そして十秒と沈黙の時間が続く中、ようやく沈黙を破ったのはディアだった。


「ほんの微かにだけど、わたしには視えたの。ヴィドーさんの頭部に残った別人の残留魔力が」


「ヴィドー大公の頭部に? それってどういう……」


 ディアに魔力を可視化する力があったからこそ、気付けた謎の残留魔力。

 俺もヴィドー大公のことをよく観察していたつもりだったが、全くわからなかった。


 だが、少し頭を働かせれば、それも当然の話だと気付ける。

 俺が待つ『魔力の支配者マジック・ルーラー』は魔力を知覚することこそできるが、魔力を可視化することもできなければ、見分けることなどできない。

 しかも、知覚できるとは言ってもかなり大雑把なもの。

 一部例外を除けば、体外に放出されて活性化した魔力以外知覚できないのだ。


 だが、ディアの眼は違う。

 体内・体外問わず、そればかりかこの世界に溢れるありとあらゆる魔力を可視化し、見分けることができるのである。


 だからこそ、気付けた謎の残留魔力。

 しかし、その魔力が一体いつ・どこで・どのようにヴィドー大公に影響を及ばしたというだろうのか。


 俺がそれ以上深く考える前に、ディアが推測を語っていく。


「たぶんだけど、頭部だけに魔力が残っていたことを考えると、脳に……ううん、記憶に作用するスキルの一種だと思う。それにヴィドーさんも朧気な記憶を探るようにこう言ってたでしょ? 『気が付けばテーブルの上で突っ伏して寝てしまっていた』って」


「うむ、そんなことを言っていた気がするな。だが、他の可能性も考えられるのではないか? 攻撃を受けた、あるいは治癒魔法を受けた、とかな」


 フラムが言うような可能性は俺も考えていた。

 しかし、考えれば考えるほど、それはあり得ないという結論に辿り着く。


「もし、ヴィドー大公の身に何かがあったとしたら、今頃大騒ぎになっているはずだし、魔武道会も中止になっているんじゃないか?」


「うん、こうすけの言う通りだとわたしも思う。催眠とかの状態異常系統スキルの可能性も考えてみたけど、寝不足みたいなことを言ってたし、それもないんじゃないかって」


 仮に、ここまでの推理が全て合っていたとしよう。

 ヴィドー大公は記憶を操られ、昨日の記憶の一部が何者かの手によって消された、と。


 しかしそうなると、それはそれでどうしても俺の中で腑に落ちない点が生じてしまう。

 記憶を操られたともなれば、まず間違いなく俺が持つ『精神の支配者マインド・ルーラー』が、ヴィドー大公の異常を察知するはず。


 だが、そうはならなかった。ヴィドー大公から何一つ精神的な異常を感知できなかった。

 神話級ミソロジースキルである『精神の支配者』の目を掻い潜ることなど不可解に等しい。そのことからも、ディアの推理が間違っていると考えた方が余程合理的だろう。


「だけどディア、俺の『精神の支配者』には何の反応もなかった。注意深く観察していたから断言できる。ヴィドー大公の精神に異常はなかったよ」


「……そっか」


「ごめん……」


「ううん、こうすけが謝ることじゃないから」


 そうフォローをしてくれつつも、目を伏せて落胆の色を隠せていないディアを見て、胸が苦しくなる。

 俺が間違えている可能性を全く考慮していない雰囲気から察するに、ディアも俺と同様に『精神の支配者』を掻い潜るスキルはないと考えているのだろう。


 僅かに見えてきたと思われた光明が絶たれ、再び暗礁に乗り上げる。

 それから俺とディア、そしてフラムの三人で、ああでもないこうでもないと意見を交わすが、これといった答えに辿り着くことができないまま、時間だけが過ぎていく。


 調度品の一つとして置かれていた大きな振り子時計の針が、開会式が始まる時刻に迫っていた。


「後十分で開会式か……。リディオさんももうじき帰ってくる頃だろうし、そろそろ俺たちも部屋の奥の観客席に――」


 そう提案しようとした時だった。

 それまで一言も発さずに難しい顔をしていたイグニスがハッと目を大きく見開き、まるで独り言を呟くかのようにポツリと言葉を零したのである。


「……ああ、そういうことでしたか。なるほど、それならば納得です。――これなら繋がる」


「イグニスよ、説明してみせろ」


 誰よりも早くイグニスの言葉を拾ったのはフラムだった。真剣な面持ちと声色でイグニスに説明を促す。


「承知致しました。最初にディア様がお疑いになったヴィドー大公の頭部に残っていた魔力の件につきまして、私めの推察をお話ししましょう。ディア様はこう仰られました。『記憶に作用するスキルの一種だと思う』と。しかしながら、コースケ様の『精神の支配者』では異常を感知できなかった。このことから考えられるケースは三つ。一つはディア様の思い違いのケースですが、これに関しましては一旦、排除致しましょう。話が前に進みませんし、何よりディア様の眼は信じるに値する唯一無二の権能でございますので。二つ目はコースケ様のスキルを上回るスキルを使用されていた場合です。ですが、それも考え難い。『精神の支配者』のランクは神話級だと聞き及んでおります。如何に優れた精神系統スキルの使い手とて、コースケ様のスキルを上回ることなど到底不可解。この線を追うのはあまりにも現実的ではございません。ともなると、残されたのは一つ。です」


「そんなことがあり得るはず……」


 理路整然と語っていたイグニスだったが、最後の最後で俺の考えにはなかったとんでもない話が飛び出し、俺は思わず横から口を挟んでしまっていた。

 が、横槍を入れたにもかかわらず、イグニスは不機嫌になるどころか、俺の反応を喜ぶかのように口元に笑みを湛え、こう話を続けた。


「――いいえ、あり得るのです。事実、私めは知っています。精神系統スキルとは異なる理によって対象者の記憶を消す力を持つ存在を」


 そこまで言われ、ようやく俺は自分が思い込んでいたことに、無意識下で身についていたおかしな常識に囚われていたことに気付く。


「……そうか。精神を――いや、記憶を消せるは精神系統スキルだけとは限らないのか」


「ええ、その通りでございます。操り人形のように対象者を操るのであれば、精神系統スキルでなければ難しいでしょう。ですが、記憶を消すだけであれば異なる系統のスキルでも可能なのです。もっとも、私めが知る限り、その者以外にそのような芸当ができる者は存じ上げませんが」


 愉悦混じりの表情でそう語るイグニス。

 だが、その瞳の奥は雪辱を果たさんとばかりに燃えていた。


 そして、この後にイグニスはヴィドー大公の記憶を消したであろう犯人の名を明かす。

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