第677話 他愛もない会話
ヴィドー大公の視線がイグニスからフラムに移る。
その視線が意味するところは『
「『炎竜王』であるフラム殿に教えを請いたい。竜族の思惑を、そしてその動向を」
抽象的な問いだった。
だが、その言葉が何を指しているのかは考えるまでもなくわかりきっている。
世界各国で暗躍を始めた竜族。
おそらく、ヴィドー大公はこう言いたいのだ。
――竜族は人の世に混乱を齎せようとしているのか、と。
竜の約定を知らないのであれば、当然の疑問だろう。
伝説の存在として長らく表舞台から消えていた竜族が、この一年で突如として台頭を始めたのだ。
そこに何らかの意思があるのではないかと疑うのは至って正常な思考とも言える。
しかし、現実はそうではない。
フラム、イグニス、そしてルミエールが人の世に降り立ったのはただの偶然だ。
ルミエールを除くと、元を辿れば俺が原因とも言えなくはないが、どちらにせよフラムたちに人族の国家に干渉する意思は全くなかった。
だが、そこに地竜族と水竜族の台頭が偶然重なったことで、偶然がまるで必然のように映ってしまっている。
大国の長を務めるヴィドー大公からすれば、たまったものじゃないだろう。
エドガー国王にも同様のことが言えるかもしれないが、俺たちからいくつも情報を受けている分、まだマシだ。
結果的に、ヴィドー大公はシュタルク帝国という潜在的な脅威だけに留まらず、竜族に関しても頭を悩ませなければならなくなってしまった。
しかも竜族の情報を得る手段が一つもないともなれば、完全にお手上げ状態だ。
しかし、実際はただ偶然が重なっただけに過ぎず、それ以上でもそれ以下でもない。
フラムはヴィドー大公の畏怖が宿る真剣な眼差しを受け止めつつも、首を横に振った。
「残念だが、私にもさっぱりだ。そもそも、竜族と一括りにするのが間違っているぞ。お前たち人族だって同じはずだ。お前とて、ブルチャーレ公国の大公だからといってシュタルク帝国のことを全て知っているわけではないだろう? それと同じで、いくら私が『炎竜王』と言えども、全てを知っているわけではない」
「それは……」
ぐうの音も出ない正論だった。
ヴィドー大公を含む多くの人間は竜族を一つの種族としか見ていない節があるが、実際は司る属性によって在り方がそれぞれ大きく異なっているのだ。
謂わば、それぞれが違う国家として独立していると言っても過言ではない。
フラムが火を司る王であろうと、別の
だが、フラムはそこで語るのをやめなかった。
それはフラムなりの優しさとも、竜族に迷惑を掛けられた者に対する慈悲とも言えるかもしれない。
「そうだな……一つ言えることがあるとすれば、今お前たちが気を付けるべきは一部の地竜族だろうな。風竜族の奴らのこともあまりわかってはいないが、今のところ目立った動きはない。それとだな、炎竜族と水竜族に関しては何も気にしなくていいぞ。まあ、マギア王国にちょっかいを出そうものなら、あのじゃじゃ馬娘が黙っていないかもしれないがな」
じゃじゃ馬娘が誰のことを指しているのかはヴィドー大公はわかっていないようだが、どうやらエドガー国王はすぐにピンと来たらしく、苦笑いを浮かべている。
水竜王の一人娘プリュイ。
これだけを切り取ってみても、二人が持つ情報にはかなりの格差があった。
フラムの忠告に、ヴィドー大公が椅子に座りながらではあったが、深々と頭を下げる。
一国の長である大公が頭を下げることなど普通では考えられないが、この場には誰も止める者はいない。
「誠に……誠に感謝申し上げる……」
唯一止める可能性があったのは同国の男爵であるリディオさんだったのだが、そのリディオさんは情報過多で真っ白になっていた。椅子に全身を放り投げ、ピクリとも動く気配がない。
それもそのはず、ルミエールの正体が竜族であっただけでも驚きだったのに、そこからさらに拍車をかけるようにイグニスが、そして『
身近にいた人物が竜族だった。
その衝撃は、とうの昔に竜族に慣れきってしまっている俺では計り知ることはできない。精神的に参ってしまっていることだけは間違いないだろう。
竜族に関する情報を手に入れたヴィドー大公の顔色は、先程までの疲労の色が隠し切れていなかったものとは違い、明らかに血色が良くなっていた。
たとえ得た情報が僅かなものであろうと、その価値は極上。ましてや情報源が炎竜王なのだ。信憑性という面でもヴィドー大公を満足させるには十分だったに違いない。
「非常に有意義な時を過ごせた。お返し……と言えるほどのものではないが、私からも一つ情報を提供させていただきたい」
そう切り出したヴィドー大公の顔が僅かに曇る。
それだけで俺たちにとってあまり良い話ではないだろうことが透けていた。
「ラフォレーゼ公爵が貴殿らに迷惑を掛けたことは記憶に新しいとは思うが、どうやらまだ公国内できな臭い動きをみせる者がいるとの情報を私は得ている。それがラフォレーゼ公爵なのか、あるいは全くの別人なのかまでは判明していないが、いずれにせよ用心されよ。それもこれも私が不甲斐ないばかりに……」
本来ならば隠しておきたかっただろう内部情報を俺たちに暴露するとは少し驚きだった。
言ってしまえば、公国内を制御できていないと自ら告げているに等しい。
恥も外聞もかなぐり捨て、国内の不祥事を告発してくれたのだ。その心意気には好感が持てた。
しかし、その一方で今の情報が有益かと問われれば、首を横に振らざるを得ない。
つい昨日もマリーが襲われるという実害を受けたばかりなのだ。俺たちとて、当然のようにきな臭い動きをみせる存在に関しては既に把握済み。
犯人の特定に至る情報こそ欲していれど、どうやらヴィドー大公の口振りからして、そういった情報は持ち得ていないようだ。
「ご忠告、感謝致します」
期待外れに終わったが、一応の感謝を告げておく。
返事をしている間に、こちらからもいくつか質問を投げ掛けてみるというのも考えたが、ヴィドー大公が黒幕ではない保証はない。
下手に探りを入れて警戒をされては真相まで余計に遠のく可能性があることを考え、俺は喉元まで出かかっていた言葉を飲み込み、探りを入れることをやめた。
「もし何か困ったことがあれば、私を頼られよ。貴殿らの頼みともあれば、いくらでも手を貸そう」
「ええ、その時は是非ともよろしくお願い致します」
それは社交辞令的なやり取りを終えた直後のことだった。
それまで沈黙を貫いていたディアが、ふとヴィドー大公に話し掛けたのである。
「疲れているみたいだけど、大丈夫? 昨日は良く眠れた?」
言葉の表面上だけを汲み取れば、ヴィドー大公の身体を労っているだけのように感じる一言だ。
何故急にそんなことをとは思ったが、隣に座るディアの端正な横顔を見た瞬間に考えが変わる。
その顔には不安や心配の色がなかった。あるのは真実を追及しようという探究心のみ。
唐突な言葉に若干の狼狽えを見せながらも、ヴィドー大公は眉尻を下げ、疲れたように笑った。
「ははは……。これでも上手く隠していたつもりだったのだが、どうやら見透かされてしまったようだ。隠すようなことではないが、実はここ数日あまり眠れていなくてな……。昨日は確か……ん? いや、そうだ、気が付けばテーブルの上で突っ伏して寝てしまっていたのだったな」
フラムやイグニスとのやり取りとは違い、ディアに対してはまるで娘に語りかけるかのような親しみやすい口調で、昨日のことを恥ずかしげに語る。
「……そう。なら、今日はゆっくり寝た方がいいよ。疲れがたくさん溜まってるみたいだから」
「確かに睡眠を疎かにして身体を壊してしまったら目も当てられないな。今宵は其方の言葉通り、ゆっくりと眠るとしよう」
この時は、なんてことはない他愛もない話にしか聞こえなかった。
が、開会式の準備があるとのことで、ヴィドー大公とエドガー国王が退室していったそのすぐ後、ディアから思いもよらぬ言葉を聞くことになる。
その言葉を切っ掛けに、穴だらけだったパズルのピースがカチリと一つ嵌まる――。
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