第676話 関係値

 ダミアーノ・ヴィドー大公とこうして面と面を向かい合わせて話すのは初めての経験だ。

 これまで何回かその顔を遠くから見たことはあったが、ここまで距離が近いと否応なしに緊張してしまう。


 堂々たる面構えに、腹の底まで響く厚みのある低い声。

 厳密に言えばヴィドー大公の地位はエドガー国王よりも下なのかもしれないが、この人の方が余程王様らしい雰囲気を醸し出している。

 しかし、その顔にはやや疲労の色が見え隠れしていた。

 化粧のようなもので目の下の隈を隠そうとしているようだが、くっきりと刻まれた隈は化粧をもってしても隠し切れておらず、心身ともに疲弊していることが見て取れる。

 だが、そんな体調であっても露ほどもそう感じさせないのがこの人の凄いところだ。


「用件を告げる前に、まずは簡単な挨拶を。私はブルチャーレ公国で大公を務めるダミアーノ・ヴィドーと言う。こうして貴殿らにお目にかかれたのはまさに恐悦至極。『炎竜王ファイア・ロード』たるフラム殿、そしてルミエール殿の兄君であり、王の右腕たるイグニス殿よ」


 ヴィドー大公の視線はフラムとイグニスにほとんど向けられていた。

 かといって俺とディアが蔑ろにされたわけではない。フラムとイグニスの名を呼んだ後にしっかりと俺とディアに向かって目礼をしてきたことからも勘違いということはないだろう。

 そんなヴィドー大公の言葉に、イグニスは軽く会釈するだけに留めた一方で、フラムは何を思ってか目を丸くし、ほんの僅かに驚いてみせる。


「……ほう。まさか一国の長が私にここまで丁重な姿勢を見せてくるとは意外だったぞ。……ふむふむ。悪くない、悪くないぞ。少しはエドガーもこの者の態度を見習ってみたらどうだ?」


 フラムの冗談交じりの台詞に、エドガー国王の頬が引きり、ぎこちない笑みを浮かべる。


「やかましいわ。――と、俺とフラムの関係は今のところこんな感じだ」


 軽く肩を竦めるエドガー国王のふざけた態度を見て、ヴィドー大公の表情が凍りつく。その目からは感情が消え失せ、まるで死んだ魚のような目になっていた。


「……ラバール国王……いや、エドガーよ。正気か? この御方は竜族。それだけではない……四大元素の一つ、火を司る炎竜王なのだぞ?」


「まあフラムのことを知る前だったら、俺もダミアーノと同じ態度を取っていただろうな。実際、初めて会った時には寿命が縮む思いをしたもんだ。だが、接していくうちにほんの少しだが、理解した。フラムは悪でもなければ、暴君でもない。ただし、多少暴走気味なところがあるのは否定できないがな……。それでもフラムは恩を仇で返すような真似は絶対にしない。義理堅く、そして人の心を理解してくれている。本人の前であまりこういうことは言いたくはなかったが、少なくとも俺はそう信じている」


 照れ隠しなのか、エドガー国王はフラムの顔から目を逸らしつつ、そう熱弁した。


 人の王と竜の王。

 そんな二人の関係を赤裸々に語ったエドガー国王の言葉に感銘を受けたのか、ヴィドー大公の瞳に輝きが戻る。

 が、フラムは相変わらずフラムだった。

 感動、とはいかないまでも、良い話で纏りかけたところに茶々を入れる。


「ほうほう、エドガーは私のことをそんな風に思っていたのか? はっはっは、全く照れるではないか。確かに私は優しく強く、そして誰よりも魅力的な女だが、そんなに褒めても何も出ないぞ?」


「……ったく、何が『照れる』だ。欠片もそんな様子を見せていないだろうに。それに俺は優しいとも強いとも魅力的とも言っていないからな。いや、強さの部分は否定できないか」


 冗談を交わし合う二人を、眩しそうな眼差しでヴィドー大公が見つめていたのを俺は見ていた。

 おそらく二人の在り方はヴィドー大公にとってまさに理想的なものだったのだろう。

 だが、ブルチャーレ公国とルミエールの関係性は俺が知る限り、その真逆。友好的な関係を築けないばかりか、ここ最近はラフォレーゼ公爵との一件もあり、悪化の一途を辿っている。


 平時であれば、それでも問題はなかったのかもしれない。

 しかし、シュタルク帝国には地竜族の、マギア王国には水竜族の、ラバール王国にはフラムとイグニスの影が見え隠れし始めてきた。

 無論、シュタルク帝国を除けば、竜族が人が作り上げた国家に過度に干渉してくる可能性は限りなく低いとヴィドー大公もわかっているはずだ。そう願っているはずだ。

 だが、実態は別にしても竜族という心の拠り所が有ると無しとでは心の余裕が大きく異なってくるのもまた事実。


 何より、ヴィドー大公は――否、ブルチャーレ公国は、地竜族と共闘を始めたシュタルク帝国を恐れているのだ。


 ただでさえ、シュタルク帝国の軍事力は他の大国に比べ、頭一つも二つも抜けていた。そこに地竜族が加わったともなれば、太刀打ちできるわけがないと考えるのは当然の帰結とも言える。

 もしシュタルク帝国がマギア王国から奪った領土の平定を終え、地竜族を連れてブルチャーレ公国に侵攻してきたとしたら、為す術もなく敗れてしまうことは火を見るよりも明らかだ。


 一方、現在のマギア王国とラバール王国はどうか。

 シュタルク帝国軍の強さを身を以て知った俺の推測からするに、おそらくこの両国もブルチャーレ公国とそう変わらず、為す術もなく亡国への道を辿っていくことになるだろう。


 しかし、ブルチャーレ公国とは大きく異なる点がある。

 それこそがまさに竜族の有無だ。


 地竜族が人族の国家間の戦争に加わろうものなら、マギア王国では水竜族が、ラバール王国ではフラムとイグニスが黙っていない。

 約定を破った地竜族に天誅を下すために動くことはフラムから直接言質を取っている。


 地竜族を戦争に加担させない、ないしは戦争から排除するために他の竜族が動く。

 竜族を除いた対等な条件でシュタルク帝国の侵攻に備えられる分だけ、ラバール・マギアの両国は心にゆとりが生まれる。

 そうなれば、戦いようによっては善戦できるかもしれない。


 同盟や謀略、何だっていい。

 地竜族という圧倒的な戦力が削れるだけで、ゼロだった勝率から可能性を見出だせるのだ。

 そう考えると、竜族を抑止力として背後に置くラバール・マギアに比べて、現状のブルチャーレ公国は厳しい立場に置かれていると言わざるを得ない。


 その危機感があったからこそ、今日俺たちはヴィドー大公に呼び出されたのだろう。

 他に考えられる理由としては、ここにリディオさんが呼ばれていることから踏まえるに、リディオさんと『銀の月光』を引き合わせた意図を探るため、といったところか。


 そんな俺の推測はものの見事に的中する。

 逸れていた話をもとに戻すため、ヴィドー大公は一つ大きな咳払いをし、姿勢を正す。


 その視線の先にはイグニスがいた。


「ところでイグニス殿、一つ訊ねても構わないだろうか?」


「お答えできるものであれば」


 慌てることなく事務的な返事をするイグニス。

 聡明なイグニスのことだ。大方、この展開を予見していたに違いない。


 そこからヴィドー大公が語ったのは大方の予想通りリディオさんと『銀の月光』に関する話題だった。


 何故リディオさんが選ばれたのか。

 リディオさんの身に危険が及ぶ可能性を考えなかったのか。

 ルミエールは現状に納得がいっているのか。

 その質問は多岐に渡った。


「リオルディ男爵と『銀の月光』を引き合わせたのは偶然としか申しようがありません。その他のご質問に関しましては『全て問題はない』とだけお答え致しましょう」


 当事者であるリディオさんはずっと戸惑いを隠し切れない様子だったが、今は心の中で『巻き込んでしまって申し訳ない』と謝ることしかできなかった。


「……そうであったか」


 今の言葉だけでは、イグニスの返答にヴィドー大公が納得したかどうかはわからない。

 しかし、ヴィドー大公からはそれ以上の追及はなかった。


 そして、いよいよ本題へと移る――。

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