第675話 VIP席

 何も成果を挙げられないまま、魔武道会当日を迎えた。

 マリーとナタリーさんにとっては待ちに待ったお祭りの本番だ。

 相当テンションが上がっているのか、日が昇る前の早朝から目を覚まし、魔武道会について親子でずっと語り合っていた。


 今日の朝食は軽めに済ます。

 何と言っても今日は前日以上に出店などが所狭しに建ち並んでいる。出店で食べ物を買って観戦するのが魔武道会の醍醐味とも言えるだろう。


 朝食を済ませた後は身支度を済ませていく。

 ロザリーさんから貰った魔武道会のチケットはVIP席。

 VIP席には錚々たる権力者や大金持ちが集まることは想像に難くない。

 流石にドレスコードなんてものはないだろうが、相応の格好をしておいた方が無難。という判断のもと、マリーとナタリーさんはエドガー国王から貰ったドレスを、俺たち『紅』は普段よりも少しだけ身綺麗な服で着飾ることにしたのだった。


 ちなみにイグニスは今ここにはいない。

 何日連続になるだろうか。今日も今日とてリディオさんの影の護衛に励んでいる。

 時折、イグニスから連絡を貰っていたが、残念ながら何も進展はないらしい。

 これといった怪しい影は見当たらず、イグニスの予想ではもうリディオさんに危害を加えるつもりはないのではないかとのことだ。

 まだ警戒を緩めるには早いということで、イグニスはまだ護衛を続けるつもりらしいが、おそらく特に何も起こることなく終わるのではないかと俺は思い始めていた。


 そんなイグニスだが、今日は久しぶりに俺たちと行動を共にする予定になっている。

 もちろん、息抜き的なことではなく、俺たちがリディオさんと魔武道会を一緒に観戦することになっているからという理由からだった。


 それぞれ身支度を済ませ、宿を出る。

 まだ春だというのに夏のような蒸し暑さが続くラビリントだが、まだ早朝ということもあってか、涼しい風が肌を掠めていく。

 が、それ以上に街中の活気が凄まじく、ラビリント中が人々の熱気によって包み込まれていた。


「うわぁ〜……」


 マリーが目を輝かせ、感嘆の息を吐く。

 風系統魔法によって操られた花吹雪が青く晴れた空を舞い、祭りの合図を知らせる空砲が鼓膜を打つ。

 客を呼び込む商人の声や、談笑する人々の声も、お祭りを盛り上げている。


 魔武道会が始まるまでまだ少し時間がある。

 食欲に駆り立てられるままに大量の食料品を買い込んだ後、いざ俺たちは魔武道会の会場へと足を運んだ。


 闘技場の前では出店が建ち並ぶ大通りを超えた人混みができあがっていた。

 無論、ここにいる多くの人たちの目的は魔武道会の観戦だ。中には観戦よりも賭博に興じる者もいるが、いずれにせよこれだけ多くの人々が魔武道会に関心を持っているのだ。興行的な意味合いでも成功は間違いなしだろう。


「こうすけは賭博、やらないの?」


 賭博話で花を咲かせている集団に目をやりながら、おもむろにディアがそう訊ねてくる。


「んー、少しは興味あるけど、今回はやめておくよ。どっちが勝つかわからないし」


 俺の見立てが正しければ、両陣営の実力は五分と五分。

 賭け自体を楽しむのであれば話は別だが、堅実がモットーな俺としてはどちらに転んでもおかしくない試合に賭けようとは思わない。

 それにマリーがいる手前、あまりこういった物に触れるべきではないだろう。

 もし賭けをする俺の姿を見たマリーが、将来ギャンブラーになりたいと言い始めたらと思うと背筋が寒くなってくる。


「〜♪」


 故に、俺はフラフラと賭場に向かっていこうとしていたフラムの肩をガシッと掴み、満面の笑みで止めたのであった。




「皆様、お待ちしておりました。リオルディ男爵は既に会場内にいらっしゃいます」


 一般入場口とは別にVIP専用の入場口が設けられており、イグニスと合流を果たした俺たちは、ロザリーさんから貰ったチケットを片手に専用の入場口へと進む。

 そして係員にチケットを見せ、いざ闘技場の中へ――と思いきや、チケットの確認を行うや否や何故か係員の表情が引き締まり、やけに畏まった態度で係員がこう告げる。


「たっ、大変申し訳ございませんが、今暫くお待ち下さいませ。専任の案内役を呼んで参りますのでっ」


「え? あ、はぁ……」


 チケットに不備があったわけではなさそうだが、慌てふためく係員の姿を見ていると、妙な胸騒ぎがしてくる。

 往々にして、こういった胸騒ぎというものは大体当たってしまうものだ。

 例に漏れず、俺の嫌な予感は的中してしまう。


 案内役の案内に従い、会場の中へ。

 流石はVIP席へと繋がる通路というだけあって、闘技場には似つかわしくない装飾品の数々が通路の至る所に飾られている。

 そして毛の長い絨毯の上を歩き、いくつかの階段を上り、俺たちはやけに豪奢な扉の前まで連れてこられたのであった。


「こちらの扉の先にお進み下さい」


 それだけを言い残し、案内役は去っていってしまう。


「この先がVIP席なの? それにしては何だか物々しいというか……」


 ディアの疑問はもっともだ。

 豪奢な扉であることには変わりないのだが、その素材が異様だったのだ。


「ほう、ミスリル製の扉か。そこそこ頑丈な造りをしているな」


 フラムの感覚では『そこそこ』なのかもしれないが、一般的な感覚で言えば、『あり得ないほど頑丈』と言った方が正しいだろう。

 貴重な鉱石であるミスリルを扉のためだけに使うなんて普通では考えられない。

 いや、扉だけではないのだろう。扉の先にある一室を囲うように壁と壁の間にも鉄板ならぬミスリル板をはさみ、セキュリティを強化しているに違いない。


 と、まあツッコミどころが色々とあったが、それよりも問題はこの扉の先にあることを俺は既に『観測演算オブザーバー』によって知っていた。


 正直に言ってあまり気乗りしないが、案内されてしまった以上、諦めるしかなさそうだ。

 喉元まで来ていた溜め息をぐっと飲み込み、俺はゆっくりとミスリルの扉を開いたのであった。


「遅かったな、待っていたぞ」


 扉を開けるとそこにはエドガー国王とダミアーノ・ヴィドー大公がテーブルを挟んで向かい合う形で座っていた。

 そして、そんな息苦しそうな空間の中に、明らかに動揺が隠し切れていない様子のリディオさんが借りてきた猫のように縮こまってヴィドー大公の隣に座って――いや、座らされている。


「……オマタセシマシタ」


 頬を引き攣らせ、完全な棒読みで返事をする。

 最初は文句の一つでも言ってやろうとも思いもしたが、ここに居るのがエドガー国王だけならまだしも、ヴィドー大公もいるのだ。失礼を働いてはならないと我慢するしかない。


 それにしても完全にしてやられた思いでいっぱいだ。

 深く考えるまでもない。案内役に俺たちをここまで連れてこさせたのはエドガーで間違いない。

 そもそも案内役は『こちらの扉の先にお進み下さい』と言っただけで、席に案内したとは一言も言っていなかった。


 部屋の様子をぐるりと見渡してみれば、ここが観戦席でないことは一目瞭然だ。

 まずもってして、この部屋には窓がない。部屋の奥には壁と一枚の扉しかない。

 当然、闘技場の舞台を見下ろすこともできなければ、おそらく分厚い壁に囲われているこの部屋には戦闘音すら聞こえてこないだろう。


 せっかくマリーたちに魔武道会を楽しんでもらおうと思っていたのに最悪だ。

 俺たちが蒔いた種と言われてしまえばそれまでだが、何としてでもマリーたちが試合を観戦できるように、さっさと用件を終わらせてしまおう。


 そう思ったのも束の間、まるで俺の思考が読み解かれたかのような絶妙なタイミングで、エドガー国王が俺たちに話し掛けてくる。


「魔武道会を楽しみにしていたんだろ? 安心してくれ。この部屋の奥にちゃんとお前たちの席を用意してもらってある。マリー、ナタリー。悪いが、先に席に行っててもらえないか? 少しの間だけコースケたちを借りたいんでな」


 国王様のお願いともなれば、二人は断ることなどできやしない。

 マリーは少し後ろ髪を引かれるような様子を見せながら、部屋の奥にあった扉を通っていった。


 そして残されたのは俺たち『紅』とイグニス、そして未だに固まり続けているリディオさんだ。

 ひとまず用意されていた席に座らせてもらい、エドガー国王の話を聞く。


「まずは俺の我儘に付き合わせて悪かった。俺としても、お前たちの邪魔はしたくなかったんだがな……」


 ばつが悪そうにしている辺り、今の言葉はエドガー国王の本音なのだろう。


 ここまで申し訳無さそうにしてくれているのだ。

 不機嫌になりかけていた気持ちを切り替え、誠心誠意向き合うことにする。


「あまり気にしないで下さい。強引な手に出たということは訳があってのことなのでしょうから」


 表情を和らげ、エドガー国王にそう告げる。

 すると、エドガー国王ではなく、それまで黙っていたヴィドー大公が返事をしてきた。


「……すまない。貴殿らをここに呼んだのは他でもない私だ。どうしても訊いておかなければならないことがあったのでな」


 そう切り出し、ヴィドー大公は神妙な面持ちで語り始めたのだった――。

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