第673話 上がらぬ成果

 男は曲がりなりにもAランク冒険者に匹敵する実力者。

 俺が男の口を塞ぐな否や、ジタバタと暴れもがき一切の躊躇なく俺の右手に噛みつく。


 右手を噛み千切られ、肉の奥から血に染まった白い骨が見え隠れする。

 だが、その程度で動じる俺ではない。

 痛みもなければ、出血も『血の支配者ブラッド・ルーラー』の血流操作で最小限に抑える。

 傷口は瞬く間に修復されていき、俺の右手は破壊と再生を何度も繰り返し続けた。


 これしきの怪我で俺の魔力が枯れることはない。

 だが、これ以上はただの時間の無駄だ。

 この場に留まり続けていれば、つい先ほど男とわかれたばかりの憲兵隊が戻ってくるかもしれない。

 一瞬の隙を見て、大声を出して仲間に助けを求めてくるかもしれない。


「仕方ない……場所を移すか」


 男の必死の抵抗を無視し、俺は一方的な決定事項を告げる。


 どうやら知らず知らずのうちに冷酷な声音になってしまっていたらしい。

 男は俺の言葉を聞き、目を大きく見開いて身体を震わせている。

 しかし、俺はそれに一切構うことなく転移を使用。

 路地裏から二百メートルは離れた、古びた建物の屋上へと転移し、乱暴に男を投げ捨てるように解放した。


「うっ……。な、何でお前がここに……」


 相当俺に恐怖しているのか、せっかく解放してあげたというのに男は一向に立ち上がろうとはせず、四つん這いの状態で俺の目を恐る恐る見つめて来る。


 酷く濁った目だった。

 見た目や体臭ではなく、男の存在自体に吐き気がする。


 俺の家族を、マリーを襲おうとした。

 俺からしてみれば、それだけでこの男は許されざる存在だ。生きている価値がない、ただの害虫だ。

 この男を未だに生かし続けているのは俺の甘さから来たものではないと、はっきり断言ができる。


 利用価値がある。

 だからこそ俺はこの男の存在を許しているのだ。

 ではなければ――。


 そこまで考えたところで、心が闇に侵食されていたことに気付く。

 しかし、気付いたからといって溜飲が下がるわけではない。

 今でも沸々と怒りが湧いてくる。

 この男を許すなと本能が叫び続けてくる。


 それでも俺は何とか怒りをゴクリと飲み込み、男へ尋問を始めた。


「憲兵隊とお前が繋がっている現場は目撃している。もう言い逃れはさせない」


「……」


 虚空から紅蓮を取り出し、その切っ先を男の首元に突き付ける。

 そして俺は躊躇うことなく首の薄皮を斬りつけ、一筋の赤い線を描いた。


「これはただの脅しじゃない。もし黙ったままでいるつもりなら、次はお前の首が飛ぶ。吐け――誰がお前を雇った。誰がお前に指示を出した」


 男はこの短時間で、俺の強さに気付いているはず。


 転移と再生。

 これだけ見せてやって俺の強さに気付けないほど、この男は弱くはない。


 根性や運だけで覆るような実力差ではないのだ。

 戦えば、抗えば、死ぬ。

 そう思わせた時点で、男に選択肢は一つしか残されていない。


「……お、俺は雇われただけなんだ! あの紅髪の女と一緒にいる奴を誰でもいいから襲えってよぉ!」


 鼻をすすり、自暴自棄気味に泣きじゃくりながら男が真相を語っていく。

 男の目の動きや声色からして、嘘を吐いている様子はない。


 とはいえ、まだ半信半疑だった。

 仮に男の言葉を信じるとしよう。

 その場合、男が指す『紅髪の女』とは十中八九フラムのことで間違いないだろう。

 となると、男がマリーを襲おうとしたのはフラムと一緒にいた者の中で一番弱いと踏んだからと考えるのが最も腑に落ちる。

 もし俺が男の立場になったとしたら、きっと同じようにマリーを狙うに違いない。

 あの時、ナタリーさんも傍にはいたが、この男は看破系統スキルを所持していないため、ナタリーの強さが全くわからなかったはず。

 もちろん、歩き方や佇まいである程度の予想がつくかもしれないが、それでも徹底的にリスクを排除するならば、子供であるマリーを狙うべきだ。


 それでもやはりマリーを狙ったことは気に食わないが、ある程度納得することはできた。

 だが、まだまだ聞きたいことは多く残されている。


 誰に雇われたのか、何故フラムと一緒にいる人間を襲えと命じられたのか、この男がどこまで知っているかわからないが、根掘り葉掘り聞いておいて損はないだろう。


「お前は何者だ? 誰にどこで雇われた?」


 少し落ち着きを取り戻したのか、男は全身を脱力させてぶつくさと零すように質問に答える。


「傭兵……と言ったら聞こえはいいかもしれないが、貧民街で汚れ仕事も厭わない何でも屋みたいなものをやっている。誰に雇われたのかって話だが、顔も名前も知らねえ男だ」


 貧民街を根城にし、何でも屋をやっているということは大方、この男には犯罪歴でもあるのだろう。

 加えて、依頼主のことを知らないというのも想定の範囲内の答えだった。


「顔も名前も知らない男の依頼を引き受けたのか?」


「言っただろう……俺は何でも屋だってな。金さえ払ってくれればどうでもいい。依頼主の素性になんざ興味はないし、下手に探りを入れて痛い目を見るのは御免だ」


 下手な仕事を受けてこのザマだと言うのに、男の声色に『後悔』の二文字は薄っすらとしか含まれていない。

 おそらくこうなる可能性を最初から覚悟していたのだろう。あるいは、依頼主の素性を知ることの方が余程怖いのか。

 どちらにせよ、この男から引き出せる情報はあまり多くはなさそうだ。


 期待外れ感に肩を落としそうになりながらも、俺はその後もいくつかの質問をしていった。

 依頼を持ちかけてきた男の特徴や、憲兵隊との繋がりなど、思いつく限りの質問に対し、男から返ってきたのはいずれも曖昧で要領を得ない答えばかり。


 最終的に俺は男を条件付きで解放することにしたのだった。


「もう二度と俺たちの前に姿を見せないでくれ」


「あ、ああ……」


 首元に突き付けていた紅蓮を仕舞い、一向に立ち上がろうとしない男に背を向ける。


 もうこの男に用はない。

 今俺が考えるべきは男を始末するかどうかなんてくだらないことではなく、依頼主の意図だ。


 ――『紅髪の女と一緒にいる奴を誰でもいいから襲え』。


 最も手掛かりになり得るのは間違いなくこの言葉だろう。

 フラムが恨みを買ったという線も一瞬脳裏によぎったが、俺たちはブルチャーレ公国に来てからまだ日が浅いし、フラムがほぼ俺と一緒に行動していたことから踏まえると、その線は薄そうだ。

 それでも強いて犯人を挙げるとすれば、やはりラフォレーゼ公爵くらいだが、どうにも釈然としない。

 ラフォレーゼ公爵が復讐を考えたとするならば、真っ先に直接手を下したイグニスの名が挙がらなければ不自然だからだ。

 こういった観点から考えると、真犯人がラフォレーゼ公爵であると思い込むのは些か安易過ぎる気がしてならない。


 ともなると、犯人は全くの別人で襲撃の意図は復讐でなく、もっと他にあったと考えた方がしっくりくる。

 男の言葉を信じるのなら、マリーを狙ったのではなく、その主目的はフラムに対するものであったと考える方が自然だろうか。


 だが、どのみち目的がわからない。

 今持っている情報から推測できる唯一のことは、犯人がフラムの存在、または正体を知っているのだろうということ、そしてかなりの権力者であるという二点のみ。


 他にも、リディオさんの屋敷まで偵察しに来た怪しい影との関連性があるのかどうかも考えるべきだろうが、結局のところ、どれもこれも憶測の域を出ることはない。


 手掛かりが手の中からするりと抜け落ちていく感覚に襲われる。

 今さらになって憲兵隊を追うべきだったかと後悔をしそうにもなったが、その選択肢はなかったと頭の中から妄想を追い払う。


 相手は元の世界で言うところの警察のようなもの。

 そのような組織を相手に脅迫や暴力といった手段に出るのは悪手も悪手だ。


「くそっ……」


 完全に思考が行き詰まり、ストレスで頭を強く掻きむしる。

 数本の抜け落ちた髪を、手のひらから払い除けた俺は男をその場に残し、大した成果も得られないままディアたちの元へ戻ったのであった。

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