第672話 買収

 男が意識を取り戻すや否や、フラムがその胸ぐらを掴み、尋問をしていく。


 相当頭に血が上っているのか、衆目なんて関係なし。

 かなりの数の野次馬が群がっていたが、フラムの強烈な圧に腰が引け、誰も俺たちの間に介入してくる気配はなかった。


「まずは私たちを襲おうとした理由を訊かせてみろ」


「……か、金を持っていそうだったから――うぐっ!」


 フラムの左拳が男のみぞおちをとらえる。

 当然、手加減をしたのだろうが、それでもその威力は凶悪。

 フラムに殴られた男は口元から胃液を零し、悶え苦しむ。

 だが、それだけで手を緩めるフラムではない。

 同情など一欠片もなく、胸ぐらをより強く掴み上げて尋問を続ける。


「臭いな。貴様の体臭もかなりのものだが、それ以上に貴様からは嘘の臭いがぷんぷんと漂ってくる。――もう一度訊くぞ。貴様の目的は何だ?」


「お、俺は……俺は本当に金が目当てで――カハッ!」


 これ以上はマリーとナタリーさんにとって目の毒だ。

 さり気なくディアが二人をフラムたちから引き離し、少し離れた場所まで連れて行ってくれていた。

 こういった場面で人一倍気が回るところが、ディアの優しさを表していると言っても過言ではない。


 そんなディアとは対照的に俺は動けなかった。いや、あえて動かなかったと言うべきか。

 フラムに胸ぐらを掴み上げられ、ガクガクと恐怖に震える男を、俺は違和感を抱きながらジッと黙って観察していた。


 フラムは間違いなくこう言いかけていた。

 ――『急にマリーに襲い掛かってきた』、と。


 マリーのことを想って途中で言葉を変えていたが、おそらくこれで間違いない。


 しかし、妙だ。

 確かにマリーのドレス姿は人目を引く。

 ドレスにしてはやや質素だが、それでも金持ちのお嬢様と勘違いされてもおかしくはない格好をしていた。

 だが、マリーはまだまだ幼い子供。それに付き添いでフラムとナタリーさんもいたのだ。

 財布を持っているのは大人であるフラムかナタリーさんだと思うのが普通だろう。


 事実、財布はフラムに渡していた。

 マリーとナタリーさんに限って言えば、財布どころか鞄一つすら持っていなかった。

 対してフラムは財布を裸で堂々と右手に握り、持ち歩いていたのだ。金を狙っての犯行ならば、財布を持っていたフラムを狙うはず。

 なのに、男はマリーを狙った。

 どうしてもそこが俺には引っ掛かってしょうがない。


 それだけでは留まらない。

 俺はもう一点、男に不自然な点を見出していた。

 おそらくこの不自然な点はディアもフラムも気付いているだろう。

 何せ、この男は貧民街に住む盗人にしては、あまりにも強過ぎた。

 魔法の才能こそないものの、男が持つスキルは近接戦闘に特化しており、ざっと冒険者ランクに換算すればAランクには届く。

 それほどの才能を持つ男が貧民街で過ごしているとは考え難い。

 それこそ冒険者になれば莫大な財を築き上げることもできるだろう。


 冒険者になれない理由――過去に重大な犯罪を行っていたなと、そういった経歴があるのかもしれないが、どちらにせよこれほどの戦闘能力を持っていれば、いくらでも金を稼ぐ方法は見つかるはず。

 にもかかわらず男は貧民街に住み、盗人の道を進んだ。

 もちろん、貧民街に住んでいるという前提が間違っている可能性も十分ある。

 だが、薄汚れた衣服に全く身なりの整っていない男の姿を見ると、貧民街に住んでいるか、あるいは敢えてそのように見せるためにそうしているのか。

 この二つに一つしか俺には考えられなかった。


 そして何より、決定的におかしな点が一つある。

 街は魔武道会の開催が迫り、お祭り状態。

 それに伴い、厳重な警備体制が敷かれているにもかかわらず、俺たちがこれだけの騒ぎを起こしても未だに騎士団や憲兵が一人も姿を見せないのは明らかに不自然だ。


 偶然近くに誰もいなかった、もしくは手が回らない状態なのか。

 そういった線も考えられるが、どうにも違和感が拭えない。

 この騒ぎを見逃すように上から圧力を掛けられていると勘繰りたくなるほどだった。


「さっさと吐け。いい加減、楽になりたいだろう?」


「……だ、だがら何度も言っでいる!! お、俺は……金のだめに……」


 いくらフラムが締め上げても男の主張は変わらない。

 首を絞められ過ぎて男の顔は青黒くなりつつある。

 おそらく意識を保ち続けるだけでも大変なはずだ。それでも男が主張を変えないのは真実を喋っているからなのか、ただ単に口が固いのか、それとも全く別の意図があってのことなのか。


 と、その時だった。

 男の視線がフラムでも俺でもなく、さらにその奥――野次馬が群がっている方向に移り、ほんの僅かにその濁った瞳に光が灯る。

 男が希望を見出した理由を、俺は『観測演算オブザーバー』によってすぐに気付いた。


 直後、野次馬とは別の、焦燥感と使命感に駆られた者の声が響き渡る。


「――お前たち! そこで何をしている!」


 後ろを振り向くまでもない。憲兵隊の登場だった。

 両手を挙げるように指示され、大人しく従って敵意がないことを示す。

 俺が真っ先に従ったことでフラムも状況を理解したのだろう。渋々といった様子で男の胸ぐらから手を離し、憲兵隊の指示に従った。


 その後、俺たちは憲兵隊に何があったのかを一から説明すると、野次馬から裏付けが取れたお陰で意外にもあっさりと解放される運びとなった。

 一方でマリーを襲った男は憲兵隊に捕縛され、そのまま何処かへ連れ去られていく。


 こうなってしまえば俺たちにできることは何もない。

 俺は懐疑の眼差しで、フラムは憤怒の眼差しで、憲兵隊によって連れ去られていく男の後ろ姿を見送ったのだった。


「……チッ。主よ、あれで良かったのか?」


「残念だけど、ああするしかなかった。あそこで憲兵隊の指示に従ってなければ俺たちが罪に問われかねなかったし……」


 フラムにはそう言っておきながら、俺はまだ諦めていなかった。

 男の気配はまだ捕捉している。『観測演算』の範囲を離れる前の今ならまだ余裕で間に合うはずだ。


「ごめん、フラム。少し用事ができた! 皆には後で合流するって言っておいて!」


「なっ、主よ! もしや抜け駆けするつも――」


 俺はフラムの言葉を最後まで聞く前に、その場からそそくさと転移したのであった。




 ロザリーさんのように気配を消すことはできないが、追跡能力だけなら誰にも引けを取らない自信がある。

 男の気配を辿り、追跡すること十分足らずで男の気配がある地点でピタリと止まった。


 そこは祭りの喧騒から外れた薄暗い路地裏。

 俺は息を殺し、路地裏を囲う建物の上からその様子を見下ろしていた。

 ちなみに、男にも憲兵隊の中にも探知系統スキル所持者がいないことは既に確認済みだ。余程のことがない限り、俺の存在に気付かれることはないだろう。


 問題はここからでは何も聞こえないことだが、そんなものは些細な問題に過ぎない。

 今、重要なのは憲兵隊が何故男をこんなところに連れてきたのか、だ。


 どう考えても普通ではあり得ない。

 牢に入れ、法による裁きを受けるのが通常の流れのはず。

 が、俺の眼下に広がる光景はその真逆の流れを進んでいた。


 憲兵隊によってつけられていた男の手枷が外される。

 どこからどう見ても裏金を握らせて釈放されたようには見えなかった。

 あたかもこれが当然だと言わんばかりにスムーズに解放され、男と憲兵隊はそのまま路地裏で二方向にわかれていく。


 それだけ見れば十分だった。

 あの時、憲兵隊は男を逃がすために俺たちの間に割って入り、その場を収めた。

 つまるところ、最初から男と憲兵隊は繋がっていたのだ。


 法と秩序を守る憲兵隊が買収されていた。

 いや、憲兵隊だけではないだろう。男も似たような境遇に違いない。


 憲兵隊を買収するなど、並大抵の人間ではまず不可能だ。

 そのような真似ができるのは、おそらくブルチャーレ公国の貴族の中でも極一部。かなりの権力を持った者でなければ成し遂げられない力業だ。


 俺の頭の中で真っ先に思い浮かんだのは、ラフォレーゼ公爵だった。

 四大公爵家の当主ならば、憲兵隊の数人を買収することなどそう難しくはないだろう。

 動機も簡単に想像ができるし、容疑者筆頭候補であることは間違いない。


 が、所詮は憶測の範疇だ。

 結局のところ、うだうだと考えていても意味はないし、埒が明かない。

 答えを知りたければ、さっさと行動に移せばいいだけのことだ。その答えはすぐ目の前に転がっているのだから。


 俺は考えることを一度放棄し、転移を使用。

 憲兵隊から解放された男の眼前に姿を現し、即座に男の口を塞いだのであった――。

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