第671話 回顧

 イグニスが出会し、そして取り逃がした強敵の正体が摑めないまま丸二日が経過した。

 結論から言うと、調査は断念。

 強敵がいることを心の中に留めておきつつも、一旦その正体不明の強敵に関しては棚上げせざるを得なかった。


 ちなみに、リディオさんの警護は未だに続けている。

 汚名をすすぐべく、イグニスが己のプライドを懸けて全力でリディオさんを守り通すと誓い、フラムがその心意気を買い、許可を与えたのだ。


 これでイグニスが強敵の正体を掴むことに成功すれば万々歳だが、率直な感想を言ってしまうとそれは難しいだろう。

 その者はイグニスを前にして即座に撤退を選択したのだ。それはすなわち、イグニスの実力を一定以上理解した上での行動のはず。

 だというのに、再びイグニスの前に現れるかと問われれば、答えはNoだ。

 そこに怪物がいると知っておきながら、再び姿を現すとはいくらなんでも考え難い。


 九分九厘、イグニスの努力は報われないだろうが、それでも本人が決めたことだ。

 その意思を尊重し、俺たちは吉報を待ちつつ、お祭り騒ぎが最高潮に達しつつあるラビリントの街を練り歩いていた。


 その目的は贖罪だ。

 本来はマリーとナタリーさんに楽しんでもらうための旅行だったのに、ここ数日は俺たちの用事のために旅行らしい旅行ができていなかった。

 魔武道会を明日に控えた今日丸一日を使って、マリーとナタリーさんにお祭りというものを楽しんでもらおうと考えたのである。


 無論、心の片隅で悠長なことをしている自覚はあった。

 だが、調査は完全に行き詰まってしまったし、とりあえずのこととはいえ『銀の月光』の救出にも成功したのだ。

 現状、俺たちにできることは何もないだろう。

 故に、今日は気分転換も兼ねてマリーたちを精一杯楽しませることにしたのである。


「お母さん、フラムお姉ちゃん! あれは何です?」


「うーん、ガラス細工かしら?」


「ん? 匂いからするに飴細工――飴で作った人形だな。ああ見えて食べられるんだぞ」


「食べられるお人形さんですか!? すごいです……」


「よし、買ってみるか。主よ、マリーとナタリーとそこの出店まで行ってくる」


 人混みを掻き分けてフラムとマリー、そしてナタリーさんの三人がキラキラと宝石のように輝く飴細工を買いに行く。

 ちなみに今日はフラムがマリーとナタリーさんの案内役兼護衛となっている。

 いつもであればディアがマリーの面倒を見るのだが、今日はこの人混みだ。

 魔法による範囲攻撃を得意とするディアよりも遠近両面で長けているフラムの方が護衛として適任だったため、今日はフラムが二人の護衛役となっていた。


 フラムたちが飴細工を買いに行っている間、邪魔にならないよう道の脇に移動した俺とディアが二人きりになる。


「マリー、楽しそうにしてるね、ずっと笑顔だもん。ドレス姿もかわいいし」


 今日のマリーはエドガー国王から貰ったドレスを身に纏い、おめかしをしていた。

 ただし、ドレスとはいっても、そこまで派手なものではない。

 言うなれば『ちょっと良いところのお嬢さん』といった感じだろうか。


「お祭り自体が初めての経験みたいだからね。俺だってこの規模のお祭りってなると、何だかソワソワしてくるよ」


「こうすけも? そう言えば、こうすけが元いた世界ではお祭りってあったの?」


「あるよ。けど、ここまで大規模なお祭りを体験したことはなかったなぁ……。それにお祭りって言っても、だいぶ雰囲気が違うから」


 この世界に来て早一年。

 たった一年で記憶が薄れることはないが、それでも遥か遠く昔のように俺は感じていた。


 ディアの言葉で懐かしい記憶が次々と呼び起こされていく。

 友人と行った夏祭りや学生生活、他にも日本にいた頃のほんの些細な出来事まで、この世界に来てから無意識に閉じていた記憶の扉が一気に開け放たれる。


「……こうすけ? もしかしてこの世界に来たことを後悔してない……?」


 俺が醸し出す雰囲気の機微を敏感に察知したのか、ディアが不安そうな眼差しを向けてそう尋ねてくる。

 紅く輝くルビー色の瞳を、俺は微笑を浮かべて見つめ返す。


「後悔なんてしてないよ。俺は今この時を精一杯生きて楽しんでるから。それに……何度も夢の中に出てきたディアと、こうして――」


 顔が熱くなっていき、心臓の鼓動が速くなっていく。

 お祭りの雰囲気に流されていることは重々承知だ。

 胸がくすぐったくなるのを感じつつも、それでも俺は全力で勇気を振り絞り、柄にもなく恥ずかしい台詞を口にする――つもりだった。


 が、ただ俺が不幸なのか、それとも神の悪戯か。

 俺の言葉どりょくを遮り、突如として若い女性の悲鳴が轟いた。


「――きゃーーー!!!」


 次に聞こえてきたのは木材が次々にへし折れる音だった。


 良い雰囲気が台無しだ、なんて思っている場合ではない。

 音が聞こえてきた方向に目をやると、そこにあったのはフラムたちが向かったはずの飴細工の出店だった。


 数百はいたであろう大勢の人たちが蜘蛛の子を散らすように音の発生源から走り去っていく。

 幸運と言うべきか、そのおかげで視界が開ける。


「こうすけっ」


 焦燥感に駆られたディアの声が鼓膜を打つその最中、俺の視界に飛び込んできたのは崩壊した飴細工の出店と、マリーとナタリーさんを背に庇いながら仁王立ちするフラムの姿だった。


 考える間もなくすぐさま駆け寄り、フラムたちのもとへ。

 すると、砕けた飴細工が散りばめられた瓦礫の上に、気絶した一人の男が寝転がっていた。


「フラム、一体何が?」


「いやなに、こいつが急にマリーに……いや、私たちに襲い掛かってきてな、軽く捻ってやっただけだぞ」


 フラムの口振りに引っ掛かるところがあったが、今は状況確認が最優先だ。


 気絶した男の格好を見る限り、この店の店主ではなさそうだ。

 薄汚れた衣服に、手入れのされていない無精髭。

 髪はボサボサで男からは鼻をつんざくほどのきつい体臭が漂ってくる。

 その様子から察するに、この男は貧民街の住民とみてほぼ間違いないだろう。

 念のため、他に危険人物はいないかと周囲を見渡すが、怪しげな人物は他には誰もいない。

 その代わりに見つけたのは、飴細工店の店主らしき男性だった。

 その男性は何が起こったのか未だに理解できていないようで、両目を見開き、ぽっかりと大口を開けて愕然としている。


 稼ぎ時に大切な店を失ったのだ。頭が真っ白になり、目の前が真っ暗になってもおかしなことではない。


 何はともあれ、まずは沈静化を図るべきだろう。

 フラムたちを襲った男は気絶中ということもあり、逃亡する恐れはない。

 ひとまずは飴細工店の店主への謝罪を優先することにしよう。


 ディアが店主に怪我がないかを確認し、その後に店が破壊されたことによる損害額の算出と賠償金について話を詰めていく。

 その結果、店に並べてあった飴細工の数々はもちろん全て買い取り、その他にも店の修繕費や営業を再開するまでに稼いでいたであろう利益などを大まかに算出してもらい、そこから慰謝料を上乗せした額を支払うことになった。


 俺たちが招いたことではないとはいえ、迷惑を掛けてしまったことには変わりない。

 店主に金貨が詰まった袋を渡す。当然、それなりに色をつけている。


「ご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ございませんでした。金貨が百枚入っていますので、念のためにご確認を」


「き、金貨百枚!? いくらなんでもそんなに受け取れねえよ! それにそこの姉ちゃんや嬢ちゃんたちは被害者だろう!?」


 店主ははちきれんばかりの巾着袋を開けるだけ開け、驚くだけで枚数を確認しようとしない。

 袋の中で黄金に輝く金貨とその重みだけで大体の枚数に見当がついているのか、俺の言葉を一切疑っていないようだ。


 金貨百枚――日本円にして約一千万。

 支払い過ぎかもしれないが、この世界にはおそらく保険会社も失業保険もないのだ。

 もし万が一、この件を切っ掛けに店主やその家族が路頭に迷うようなことがあったら寝覚めが悪い。

 そのことを考えると、たとえ支払い過ぎていようが、俺の気持ち的には楽になる。

 後顧の憂いをなくすためにも、俺としては必要な出費だった。


 申し訳なさそうに何度も頭を下げる店主を見送り、俺たちは未だ気絶し続ける男の回復を待つ。

 軽い怪我を負っていたが、それらは既にディアが治している。あとは男の意識が戻るのを待つだけだ。


 そして待つこと数十分、ついに気絶していた男の意識が戻る。


「……っ、何が、何が起きた、んだ……?」


「――ようやくお目覚めか。さて、貴様には聞かなければならないことがいくつかある。私に殺されたくなければ大人しく言うことを聞いた方がいいぞ?」


 満面の笑みを浮かべているフラムだったが、その表情とは裏腹に静かなる怒りの炎を燃やしていた。

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