第670話 人族と竜族

 魔武道会を二日後に控えたその日、巨塔ジェスティオーネではエドガー・ド・ラバールを招いて『四公会議』が開かれていた。


 大公であり議長を務めるダミアーノ・ヴィドーの簡単な挨拶から始まったこの会議の目的は大きく分けて三つ。


 一つは謝罪だ。

 未だ犯人は不明なものの、紛れもなくブルチャーレ人によってエドガーの命が狙われた。それも複数回に渡って。

 ブルチャーレ公国にとってラバール王国は重要な同盟国だ。関係悪化を防ぐためにも、謝罪の場を『四公会議』に設けたのである。

 既にダミアーノとエドガーの間で個人的な謝罪は済ませていたが、公の場で正式な謝罪を行うことで両国が良好な関係を維持し続けているという対外的なアピールの意味合いも大いに含まれていた。


 二つ目は情報共有である。

 マギア王国とシュタルク帝国の戦争に関する情報の収集に遅れを取っていたブルチャーレ公国に、エドガーが情報提供を行った。

 無論、いくら同盟国とはいえ、エドガーは知り得た全ての情報を話すことはなかった。

 とりわけ、この戦争の裏で躍動していた『紅』や水竜族の情報に関しては多くを語ることはせず、既に出回っている噂話を織り交ぜた、やや信憑性の欠けるあやふやな情報を伝えたのである。


 では何故、エドガーは同盟国であるブルチャーレ公国に全ての情報を伝えなかったのか。

 彼の意図するところは、ブルチャーレ公国に対する――否、ダミアーノを除く四大公爵家に不信感を抱き始めていたからに他ならない。

 元よりこの同盟はエドガーとダミアーノが旧知の仲であったからこそ実現した部分が大きかったのだ。

 逆説的にダミアーノがいなければ、いくらシュタルク帝国を脅威に感じていてもこの同盟が実現したかどうかも怪しい。

 大公が入れ替わる構造になっているが故の信頼の欠如。

 欲望と野望が交錯する、強大な権力を持つ四家。

 その当主たちの胸の内がわからない以上、安易に信頼することなどできようはずがなかった。

 加えて、エドガーはブルチャーレ公国よりも紅介たち『紅』を信用し、信頼していた。

 当然のことながら、互いの利益の上に成り立っている関係であることは重々承知している。

 それでもエドガーはブルチャーレ公国に恩を売るよりも『紅』から、ひいては炎竜族の王であるフラムから反感を買うことになる可能性を避けたいと考えていたのであった。


 そして最後の目的は――竜族について。


 謝罪と一定の情報共有を済ませ、いよいよ会議は最終段階へ突入する。


 重苦しい空気の中、真っ先に声を上げたのは議長を務めるダミアーノだった。

 その真剣な眼差しは、始めにエドガーへ向けられ、そしてここまで仏頂面を貫き続けていたパオロ・ラフォレーゼへと移る。


「何か弁明はあるか? ラフォレーゼ公爵」


 その声には明らかな苛立ちが含まれていた。


 当然の話だろう。

 再三の警告を無視して暴走した挙げ句、ルミエールだけではなくその兄であるイグニスからも不興を買ってしまったのだ。

 竜族の存在を重要視しているダミアーノにとって、それは許されざる背反行為に他ならない。

 ルミエールに兄がいたこと、そしてその兄がラバール王国にいたことは驚くべき真実だったが、今はそれどころではなかった。

 悪化の一途を辿る関係の修復を何としてでも着手しなければならないという使命感にダミアーノは駆られていたのだ。


「言い訳をするつもりはねえ。見通しが甘かった、ただそれだけだ」


 表情一つ変えずに反省の色を見せることなく、パオロはダミアーノの言葉を全て受け入れ、口を閉じた。


「私はラフォレーゼ公爵に厳しい処分を下そうと考えている。異論のある者はいるか?」


 そんなダミアーノの問い掛けに対し、手を挙げる者はいなかった。

 この場にいる誰よりも高齢であるマファルダ・スカルパはただジッと目を瞑り、熱血漢であるウーゴ・バルトローネは鍛え上げられた両碗を組んだまま押し黙る。


 これにて賛成多数により、パオロに処罰が与えられることが決まった。

 とはいえ、パオロはブルチャーレ公国を支える四大公爵家の当主の一人。これしきのことで爵位が剥奪されることはない。

 最終的に多額の罰金を納めることに決まり、パオロへの言及はこれで一区切りとなった。


 そして次にダミアーノは疲労の色が濃くなった顔でエドガーへと視線を移すと、改めてイグニスに纏わる情報を尋ねる。


「ルミエール殿の兄君……イグニス殿が一体どういった御人なのか、今一度訊かせてもらえるだろうか?」


 そう問われた途端に、ずしりとエドガーの胃が重くもたれる。

 プレッシャーと共に喉元まで上がってくる不快感がエドガーを襲う。


(あれだけの騒ぎを起こしたんだ、流石にイグニスのことを隠し通すのは無理があるな……。それに向こうはラフォレーゼ公爵から直接イグニスの存在を訊いてしまっている。ここでだんまりを決め込むのは得策じゃないか……。であれば――)


 一度腹を括ってからは舌が滑らかに動いた。

 何より、イグニスには素性を隠す気がさらさらなかったとの報告も受けている。

 こういう展開になることをわかった上でイグニスは行動に移ったのだろうとエドガーは推測し、ありのままの事実を述べていった。


「イグニスはフラムの――炎竜王ファイア・ロードの右腕のような存在だと訊いている。……もうじき一年が経つだろうか。前回の魔武道会の後から突如として現れ、以降はフラムと共にラバール王国で生活を共にしている」


 そう語ったエドガーとパオロを除いた三人が途端にざわつき始める。

 ルミエールが滞在していることもあって、竜族の存在にはこの場にいる皆はもう慣れが生じ始めていた。

 が、炎竜王の右腕ともなれば、話は別だ。

 もはやその実力は聞くまでもない。

 彼らが知るルミエールの実力でさえもブルチャーレ公国全土を見渡してみても飛び抜けているのだ。その兄であるイグニスが、炎竜王の右腕であるイグニスが弱いはずがない。


 それでもダミアーノは確認をする。

 ブルチャーレ公国を預かる身として、確認をしなければならないと心が訴えかけてきたのだ。


「……して、その実力は?」


「申し訳ないが、わからない。そもそも測る物差し自体がどこにもないんだ。ただ、これだけは言える。――絶対に敵に回してはならないと」


 イグニスが優秀であることは、これまで交流をしてきた中でわかっている。

 その一方で、イグニスに冷徹な面があることもエドガーは知っていた。


 フラムには大なり小なり情がある。

 事実、気に入った相手に対しては人族と竜族の隔たりを取っ払ってまで気にかけてくれている節がある。

 自身の愛娘であるアリシアが良い例だ。

 常日頃から気に掛け、アリシアが頼めば鍛錬にも付き合うほどの面倒見の良さを見せてくれている。


 しかし、イグニスは違う。

 情にほだされることなく常に自身が仕えている者を第一優先にして動く。

 情が付け入る隙など何処にもありはしない。


 全ては王のために。

 そのためならば、どのようなことにも躊躇うことはない。

 エドガーは極めて客観的にイグニスのことをそう分析していた。


 一瞬、静まり返る会議室。

 その沈黙を破ったのは最年長であるマファルダだった。

 覇気のないしゃがれた声でマファルダは危機感を募らせた言葉を告げる。


「ラバール王国には炎竜王だけではなく、王の右腕までいるとはのう。それに対してブルチャーレはどうじゃ? ルミエール殿しかおらぬ。そればかりではないぞい。どちらもまだ噂の域を超えぬ話じゃが、マギア王国には水竜族が、シュタルク帝国には地竜族が背後におるというではないか。ラバール国王陛下よ、炎竜族はラバール王国の味方をしてくれるのかい? 同盟を結んでいる我らブルチャーレのために炎竜族は動いてくれるのかい?」


「……スカルパ公爵。生憎だが、それだけはまずあり得ないだろう。炎竜族を頼ると考えこと自体が間違っている。そもそもだ、我がラバール王国で確認が取れている炎竜族はフラムとイグニスのみ。もちろん、炎竜王であるフラムの鶴の一声があれば、炎竜族全体が動くことはあり得るかもしれないが、それでも炎竜族の存在を前提とした国家戦略を練るのは大きな間違いだろう」


 炎竜族を戦力の一つとして考えることの危険性をエドガーが訴えかけると、それに同調する形でウーゴが大きく頷く。


「然り! これは我ら人族の問題だ! 竜族を頼りにするというのは間違っている! それにマギア王国との戦争でシュタルク帝国は大きく疲弊しているはず! そのようなシュタルク帝国軍に遅れを取るほど、我らブルチャーレ公国軍は軟弱ではない!」


 声を張ってそう意気込むウーゴに、マファルダは酷く疲れ切った声で、こう独り言を呟いた。


「……もし噂通り、シュタルク帝国に地竜族がついていたとしても同じことが言えるのかのう……」

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