第665話 失意の底

 夜を告げる闇がパオロ・ラフォレーゼを恐怖に陥れる。


 イグニスが生み出した地獄絵図。

 私兵たちが上げた阿鼻叫喚の声が未だに耳にこびりついて離れない。


「はぁ……はぁ……はぁ……くそっ!」


 憤怒と羞恥が入り混じった強気な声を上げるが、その心の奥底では確かな恐怖が残り続けていた。


「どうしてだ、どうしてだ、どうしてこんなことに……」


 本能がイグニスを恐れ続けていたのだ。

 額だけに留まらず、全身から大粒の汗が吹き出る。

 身体は震え、呼吸は酷く乱れている。


 触れてはならぬモノ――竜の逆鱗に触れてしまった。

 欲にまみれ、力に溺れ、自惚れていた。

 ブルチャーレ公国を実質的に支配している四大公爵家の跡取りの一人として生まれ、そして紆余曲折がありながらも当主となったことでパオロは己を過信していたのだ。


 これまでの人生、上手くやってきたという自負がパオロにはあった。

 当主になるために兄弟を事故死に見せ掛けて暗殺し、実の両親でさえも躊躇なく手にかけて得たラフォレーゼ公爵家の当主の座。

 当主になってからも莫大な財産を使い、腕利きの冒険者や名の知れた傭兵を引き抜き、私兵として雇い入れ、権力だけではなく武力をも手に入れてきた。


 やること為すこと全てが順調だった。

 だからこそ勘違いしてしまった。

 ブルチャーレ公国の頂点――大公になれる日が来るのではないかと。

 無論、それが簡単な道ではないことはわかっているつもりだった。


 ブルチャーレ公国の大公は、四大公爵家の当主が順々に入れ替わる仕組みだ。

 現大公であるヴィドー公爵家、スカルパ公爵家、ラフォレーゼ公爵家、そしてバルトローネ公爵家という順で大公の座が入れ替わる。

 基本的には大公が入れ替わる条件は『死』のみ。

 例外的に健康上の問題や、貴族や平民からの求心力を著しく失えば、大公の座から降ろされることもあるが、例外は所詮例外に過ぎない。


 順当に世代交代が進めばパオロが大公となるのは次の次。

 まだ齢二十であるパオロには、いずれ大公となる未来が訪れるように思えるかもしれない。


 が、現実は全てを手に入れようとしていたパオロに対してあまりにも非情だった。

 散々手を汚してきた天罰と呼ぶべきか、後先考えてこなかったツケと呼ぶべきか。

 ダミアーノ・ヴィドーが死すれば、次の大公はスカルパ公爵家の当主が引き継ぐ。

 そこがパオロにとって最大の障壁となっていたのだ。


 スカルパ公爵家の現当主であるマファルダは齢は既に八十近く。

 四十近いダミアーノよりも長く生きることは、ダミアーノに余程のことがなければ、まずあり得ない。

 それに、そもそもダミアーノが死んだところでマファルダの年齢を考えると、大公の座をマファルダが引き受けるとも考え難かった。

 ダミアーノの死と同時に、マファルダは当主の座を跡継ぎに譲り渡すだろうとパオロは考えていたのだ。


 天の采配か、あるいはただの偶然なのか。

 マファルダの二人の息子は既に病でこの世を去っていた。

 ともなると、必然的に跡継ぎはマファルダの孫になる。

 六人いる孫たちの中で誰が跡継ぎ筆頭候補なのかはマファルダの心の中を覗くしか方法はない。

 いずれにせよ、マファルダが孫に当主の座を譲り渡してしまえば、パオロが大公となる未来は遥か遠い未来となるか、もしくは永遠に訪れないかの二つに一つしかなかった。


 故に、仮にダミアーノの暗殺したところでパオロが大公の座に届くことはない。

 大公になるためにはマファルダの跡継ぎをも手にかける必要が出てくるからだ。

 だが、大公を二人も手にかけるなど、あまりにも非現実的。

 もし暗殺に成功したとしても、新たに大公となったパオロに疑いの目が向けられることは火を見るよりも明らか。

 他の四大公爵家だけではなく、ブルチャーレ公国全体が黙っているはずがない。


 そうなる未来がパオロにも簡単に想像がついた。

 だからこそパオロは暗殺とは違う、別の発想に思い至ったのだ。


 それこそが『力』の一極集中である。

 権力、財力、そして武力。

 これらの『力』を四大公爵家のどの家よりも持つことで世論を味方につけ、大公が入れ替わる仕組み自体を覆そうと考えたのだ。


 財力に関してはパオロが当主に就いた時から、他の四大公爵家を大きく引き離していた。

 元々ラフォレーゼ公爵家はブルチャーレ公国の北部に自然豊かな領地を持っており、農業や林業などの第一次産業で得た莫大な貯えがあったのだ。

 加えて、パオロが当主となってからそう時間が経たぬうちに、がついたことも大きい。

 その協力者から齎される利益は、元々貯えのあったラフォレーゼ公爵家をより豊かにさせていったのだった。


 それらの財源を原資に、パオロは次に『武力』の集積に着手し始める。

 ブルチャーレ公国は元来、シュタルク帝国に隣接する東方に広大な領地を持つバルトローネ公爵家が『武』を掌握し、ブルチャーレ公国の剣となり盾となっていた。

 騎士から民兵まで、ブルチャーレ公国の軍事を司る多くの者たちがバルトローネ公爵家の傘下にあると言っても過言ではない状況が長年に渡り続いていたのである。


 だが、それも当然と言えば、当然のことだ。

 シュタルク帝国の脅威からブルチャーレ公国を守り続けた実績がバルトローネ公爵家にはあるのだから。


 今さらになってパオロが付け入る隙など何処にもありはしなかった。

 だからこそパオロは冒険者や傭兵に目をつけ、積極的に登用を行っていたのだ。

 大金を積み、現役の冒険者を引退させてまで私兵として登用したこともこれまでに多々あった。


 だが、限界は想定よりも早く訪れてしまう。

 傭兵団ならまだしも、冒険者パーティーを引き入れるのは、いくら莫大な財産を築き上げていたパオロでも流石に限界があった。


 Sランク冒険者ともなれば、その実力は保証されている。

 武力を求めるパオロとしては、まさにもってつけの人材だと言えるだろう。

 しかし、その一方でSランク冒険者を引き入れるためには相当な無理をしなければならなかった。


 Sランク冒険者ともなれば稼げる額が桁違いとなる。

 ただ給料を与えるだけではパオロに雇われるよりも冒険者として活動していった方が簡単に稼げてしまうのだ。

 それこそ法外な給与を支払わなければ、Sランク冒険者パーティーを引き入れることなどできやしなかった。

 それでもパオロは武力を集めるため、そして大公となるために大枚をはたいて数組のSランク冒険者パーティーを引き入れることに成功していた。


 軍事力とは数よりも質。

 対マギア王国との戦争でシュタルク帝国がそのことを証明していたことからも、パオロは自分の考えが正しいのだと確信していたのである。


 そして、パオロは最後に『銀の月光』に――否、ルミエールに目をつけた。

 お伽噺で語られるような絶対的な強者である竜族さえ己が手中に収めてしまえば、バルトローネ公爵家を超える武力が得られると信じ、行動に移したのである。

 ラフォレーゼ公爵家の経済的な協力者の反対をも押し切り、ルミエールに手を出そうとしたのだ。


 その結果が、この惨敗である。

 醜態を晒しただけではなく、一部とはいえ私兵や冒険者たちからの求心力もかなり失ってしまった。


 思い出すだけで虫酸が走って仕方がない。

 だが、それ以上にイグニスへの恐怖がパオロの中で上回り、今も醜態を晒し続けている。


「くそっ、くそっ、くそっ! くそ……が……」


 枕に拳を散々叩きつけ、中から羽毛が飛び散る。

 次第にその拳は力をなくし、パオロはベッドの上で座りながら項垂れることしかできなくなっていた。


 その時だった。

 寝室の窓がゆっくりと音も立てずに開き始め、そこから暖かなそよ風が吹き込んで来たのは。


 そして、真っ暗な闇に支配されていたパオロの寝室に三つの影が現れる。

 だが、パオロはその三つの影を見ても驚くこともせず、ただジッと虚ろな瞳でぼんやりと見つめ返し、先頭に立つ男に向かってゆっくりと口を開いた。


「……何の用だ、《流浪》。お前の忠告を無視して痛い目を見た俺を馬鹿にしに来たのか?」

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