第664話 契約締結

 リディオさんの屋敷に到着した俺たちは、ラフォレーゼ公爵とのいざこざを伏せたまま、『銀の月光』との契約を見届けていた。


 無論、屋敷に到着するまでに口裏合わせはしてある。

 ラフォレーゼ公爵との間に軋轢があると知られたら面倒なことになることは明白。

 到着が遅れたのは知り合いの貴族と偶然鉢合わせしたからという理由で何とか乗り切ることにしたのである。


「これで契約は成立ですね」


 『銀の月光』を代表してオリヴィアがサインをした契約書にリディオさんが目を通し終え、確認を済ませた。


 これで暫くの間、『銀の月光』はリオルディ男爵家から支援を受ける冒険者として活動していくことになる。

 とはいえ、あくまでも表面上だけの話だ。

 実際の契約内容を大雑把に説明すると『ダンジョンで得た収益の一割をリオルディ男爵家に納めること』、ほぼこれだけ。

 その他には契約期間やら契約に違反した場合のペナルティなども記されているが、どれもこれも大した問題にはならないだろう。

 今、大切なのは、表向き『銀の月光』がリオルディ男爵家から支援を受けているという事実のみ。

 つまるところ、虫除けとしてリオルディ男爵家の名さえあれば、十分なのだ。

 これで『銀の月光』に――いや、ルミエールにちょっかいをかけてくる貴族はなかなか出て来ないだろう。


 しかし、これで万事解決とはならないのが残念なところだ。

 ラフォレーゼ公爵に釘を刺したことで改心してくれれば良いのだが、まだ何の確証もない。

 契約解消を狙い、リディオさんの命を狙ってくる可能性は否定できないし、歯向かってきた俺たちへの仕返しを企んでいることも十分に考えられる。


 それに、ルミエールを狙っているのがラフォレーゼ公爵だけとは限らないのも問題だ。

 水面下でルミエールを狙う者がいても何ら不思議ではない。それこそルミエールが竜族であるとラフォレーゼ公爵の私兵団の前でイグニスが宣言をしてしまった以上、瞬く間に情報が拡散されてしまうと思うべきだ。

 その結果、ルミエールという個の力を求める者が新たに出てくることも想定しておかなければならない。リディオさんを狙う者の存在も同様だ。


 危機に晒されているとも知らず、リディオさんは契約書をじっと見つめた後にホッと安堵の息を吐く。

 間違いなく彼の投資家人生の中で最大の契約だったはずだ。緊張するなという方が無理な話だろう。

 加えて、彼は大の冒険好きであり、冒険者マニアでもある。

 そんな彼が上級冒険者――それも、今もっとも勢いのあるSランク冒険者パーティーと契約を締結するまでに至ったのだ。リディオさんなりに何か思うところがあったに違いない。


「より良い関係を築いていきましょう」


 オリヴィアが手を差し伸べ、その手をリディオさんが力強く握り返す。


「ええ、こちらこそ。当家としては、少し心苦しく思うところもありますが……」


「心苦しい? それは何故でしょう?」


「『銀の月光』の皆さんは、当家の名のもとに自由を求めておられます。ですが当家は所詮、男爵位。皆さんが望むほどの影響力などありませんから、正直露払いになれるとはとても……」


 人が好いリディオさんらしい心配だ。

 確かにリオルディ男爵家は平民ではなく立派な貴族といえども、貴族社会の中での地位は下から数えた方が早い。

 他の貴族たちへの露払いもとい牽制になれるかどうかは実に微妙なところだろう。


 だが、それでも問題はない。

 断る口実さえできてしまえば、その後は『銀の月光』が上手く対処してくれるに違いない。

 それに、ラフォレーゼ公爵との一件もあったのだ。同じ轍を踏むほど彼女たちは馬鹿ではない。


「ううん、大丈夫……。あとはオリヴィアが何とかするから……。私も頑張る……」


「我のことも忘れてもらっては困る。二度とあのようなくだらん噂は流させん。もし、また同じことが起こるようであれば……」


 やや不穏な空気をルミエールが垂れ流す。

 余程今回の一件に腹を立てているのだろう。

 矜持や恥辱を傷つけられたばかりか、実兄と一族の王にまで迷惑を掛ける結果となってしまったのだ。その怒りは俺の想像を遥かに超えているのかもしれない。




 それから暫くの間、歓談を続けた俺たちは空の色が暗くなる前にリディオさんの屋敷を後にしたのであった。


 その帰りの道中、イグニスはゆっくりと歩く速度を緩めると、足を止めて頭を下げた。


「では予定通り、私めは単独で行動させていただきます」


「イグニスお兄ちゃん、どっか行っちゃうです?」


 何も事情を聞かされていないマリーは首を傾げ、悲しそうな目でイグニスを見つめる。

 その小さな頭を、隣にいたディアがそっと優しく撫でて微笑んだ。


「うん、ちょっとだけね。イグニスはルミエールのお兄ちゃんだから、もっとたくさん会ってお話ししたいことがあるんだって」


「イグニスお兄ちゃんは、お兄ちゃんなのですっ!」


 もっともらしい理由でマリーを納得させることに成功したディアだったが、どうやらイグニスからしてみれば不本意だったらしい。

 イグニスにしては珍しく、そこはかとなく困った表情のまま眉をひくつかさせている。

 そんな面白おかしい状況をフラムが見逃すはずがなかった。


「くくくっ……。うむ、頑張って来い。イグニスお兄ちゃん」


 実際はルミエールに会いに行くのではなく、リディオさんの安全を守るため、身辺警護を陰ながら行うことになっているのだが、マリーがいる手前イグニスは不承不承で頷くしなかった。


「……行って参ります」


 こうしてイグニスは俺たちのもとから離れ、別行動に。

 その後、宿に戻るとフラムから『すっかり忘れていた』と切り出され、エドガー国王への報告をロザリーさんから頼まれていたことを伝えられたのであった。


――――――――――


「いつつっ……。ロザリー、胃薬を……」


「僭越ながら陛下、つい先程、治癒魔法師の治療を受けたばかりでございます」


 時計の針が十二時を回った深夜、エドガーとロザリーは紅介たちが起こした騒動の情報を精査していた。


 胃を押さえ、弱音を吐くエドガー。

 治療は既に終わっており、結果は分かりきっていたことだが、異常なし。精神的な負荷からの胃痛ともなると、治癒魔法師の領分でなかった。


 その代わりにロザリーはリラックス効果のあるハーブティーを用意し、ティーカップに注ぐ。

 それをエドガーは一気にあおり、やや乱暴にティーカップをソーサーに置き、これまた乱暴に口元を袖口で拭った。


「どうしてあいつらはこうも問題を起こしてくれる……。で、ラフォレーゼ公爵家から抗議声明でも届いたか?」


「いいえ、今のところは。こちらでラフォレーゼ公爵家の動向を調査致しましょうか?」


「何もないのなら放っておけ。こちらが探りを入れていることに気付かれるほうが面倒だ。それよりも今はリオルディ男爵の方が気になる。何故コースケたちは男爵に目をつけた? 宴の場にはもっと有力な貴族がいただろうに」


「私の憶測になりますが、単に都合の良い存在だっただけなのかもしれません」


 ロザリーの推察を聞きながら報告者に目を通す。

 そこには紅介たちと『銀の月光』が接触していたことや、『銀の月光』がラフォレーゼ公爵に目をつけられていたことが記載されていた。


「……あり得なくもないが、あの優しすぎるコースケの性格を考えると違う気もしてくるな。だが、今回の場合はイグニスの妹のルミエールが絡んできている。竜族のことともなれば、非情な決断をしてもおかしくはないと見るべきか……? どちらにせよ、今はコースケの報告を待つしかない。俺の方でもダミアーノに話をつけておくか……」

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