第663話 観戦チケット
紅介たちがラフォレーゼ公爵と対峙していたその最中、リディオ・リオルディ男爵の屋敷に来訪があった。
対応にあたったのは当主であるリディオと、フラムの二人のみ。
ナタリーとマリーに関しては屋敷の来客室で待機するようフラムから言い付けられていた。
庭に出て、門まで赴き、来訪者を出迎える。
門の前に姿勢を正して立っていたのは、フラムもよく知る人物だった。
「突然の訪問、失礼致します。貴方様がリディオ・リオルディ男爵で間違いございませんか?」
黒髪に黒い瞳。
感情を覗かせない端麗な容姿からは、その人物が只者ではない印象を強く抱かせる。
何より、変わっていたのはその格好だ。
メイド服で身を包んでおきながら、さも当然のように男爵の家を単独で訪ねてくるその不自然さは、リディオを混乱させるには十分過ぎた。
「私がリディオ・リオルディで間違いありませんが、貴女は一体……?」
相手はメイド。十中八九、身分はリディオが上だ。
にもかかわらず、思わず敬語を使ってしまっていたのは、リディオがそのメイドを激しく警戒していたからであった。
「名乗り遅れてしまい、申し訳ございません。私の名は――」
その一方で、リディオと共に来訪者を出迎えたフラムはメイド服の人物の声を遮り、その名を呆れ返った声で呼んだ。
「ロザリーよ、どうやら逐一私たちの行動を監視していたようだが、そんなに心配だったか?」
紅介は気付いていなかったが、フラムは気付いていた。
それは巨塔ジェスティオーネを出たすぐ後のこと。
群衆に紛れたロザリーの部下たちがラフォレーゼ公爵とのやり取りを監視していたのである。
ロザリーはロザリーで紅介たちに気付かれないように、人員を新顔で固めることで対応していたのだが、紅介の目は誤魔化せてもフラムの類稀な第六感とも呼べる感覚を誤魔化せなかったのだ。
「……フラム様、暫くお待ち下さい。今はリオルディ男爵から警戒を解いていただくことが最優先事項ですので。私の名はロザリーと申します。ラバール王国国王エドガー・ド・ラバール陛下の使用人を勤めさせていただいている身でございます」
しれっとリディオに嘘を吐くあたりが、彼女の強かさを表している。
彼女の表向きの立場はラバール王国第一王子ジュリアン・ド・ラバールのメイド兼護衛。裏の顔こそ秘密部隊『
そんな裏事情をリディオが知る由もなく、フラムの知り合いであることもあって、ロザリーの言葉をそのまま鵜呑みにして話を続ける。
「ラバール国王陛下の使用人……ですか? そのような方が何故当家をお訪ねに?」
不自然極まりない状況に、リディオを不安が襲う。
それもそのはず、突然大国の王の使用人が屋敷を訪ねてきたのだ。何がなんだか理解できないが、あたかも自分が罪人になったような感覚を抱いてしまうのも無理からぬ話だろう。
しかし、その後に続いたロザリーの言葉を聞き、リディオは胸を撫で下ろすことになる。
「偶然、ラバール王国の貴族であられるフラム・ルージュ男爵がリオルディ男爵のお屋敷に入っていく姿をお見かけ致しまして、ご挨拶を兼ねてお訪ねした次第でございます」
堂々とそう言いのけてみせたロザリーだったが、屋敷を訪ねた理由としてはかなり弱く、説得力に欠けていた。
リディオはともかく、フラムがそのような嘘に騙されるはずもなく、小さな声で抗議する。
「ったく、白々しいにも程があるぞ」
「……」
微笑を浮かべ、完全に無視を決め込むロザリー。
頭を素早く回転させた彼女は、今ここでフラムと話し合ってもリディオが混乱してしまうだけだと判断し、その場を濁すことにしたのである。
それからロザリーは視線だけでフラムと意思疎通を図っていく。
『揉め事を起こされましたね?』
『知らん。私たちは何も悪くはないぞ』
『あのラフォレーゼ公爵と揉め事を起こされるとは……。こちらも全力でフォローは致しますが、上手くいく保証はありません』
『必要はないし、問題もない。この件は全てイグニスに任せた。奴なら上手くやってくれるだろう』
『承知致しました。陛下にもそのようにお伝えしておきます』
この間、僅か五秒。
奇跡的に会話が成立していたのは、二人が二人とも優れた洞察力の持ち主だったことと、事前に両者の情報を互いに持っていたことが大きい。
視線での会話を終えたロザリーは視線をリディオに向き直し、右手に携えていた鞄からある物を取り出し、手渡した。
「……? えっえっえっ!? これはっ!!」
リディオに手渡されたのは一枚の真っ黒な紙切れだった。
無論、ただの紙切れではない。
見る者が見れば一目でわかるその黒い紙は、魔武道会の観戦チケットだった。
加えて、光沢のある黒い紙には白いインクで大きくこう文字が書かれていたのである。
――『VIP席』。
上級貴族でもなかなか手に入らないと巷で噂されているVIP席の観戦チケット。
金で手に入るような代物ではなく、正真正銘ブルチャーレ公国が認めた者にしか配られない超希少な観戦チケットが、何故かリディオの手元に届いたのだ。
その驚きようは尋常ではない。
チケットを持つ手を震わせ、瞬きを繰り返す。
夢ではないか、偽物ではないかと脳裏に過っては、そんなことはあり得ないとさらに鼻息を荒くする。
生粋の戦闘好きであるリディオは興奮冷めやらぬ中、何故自分にVIP席のチケットが渡されたのかとロザリーに問い掛ける。
「ど、どうしてこれを私に? このような貴重な物を戴けることになった理由に心当たりがないのですが」
「フラム・ルージュ男爵とご懇意にされているようでしたので」
詳細を語るでもなく、かなりざっくりとした理由に納得がいくはずもなし。
一気に興奮が冷めていったリディオは理性を取り戻す。
「いやいやいや……。これはいくらなんでも……」
そんな中、ロザリーは特にリディオを気にするでもなく、フラムのもとまで歩みを進めると、先程と同じようにフラムにもチケットを手渡していた。
しかもその数はなんと六枚。
フラムら『紅』だけではなく、イグニスからナタリー、そしてマリーの分までVIP席のチケットを用意していたのである。
「ふむ、なかなか気が利くではないか。で、見返りは何だ?」
リディオからさりげなく距離を取ったフラムは、ロザリーからチケットを受け取る瞬間にその真意を問い質していた。
「こちらでも一定の情報を手に入れてはいますが、今日の騒動の詳細な報告をお願いしたく。今頃、私の部下から報告をお受け取りになった陛下はさぞかし胃を痛めておられるでしょうから……」
自国の貴族がブルチャーレ公国の四大公爵家の一つ、ラフォレーゼ公爵家に喧嘩を売っただけだったなら、まだやりようはいくらでもあっただろう。
しかし、紅介たちは違う。
男爵位こそ与えてはいるものの、あくまでもそれは表面的なものでしかなく、実際は他の貴族とは一線を画した存在だ。
それらに加え、マギア王国で暗躍しているプリュイら水竜族とも繋がりがあるともなれば、如何にエドガーが大国の国王と言えども、紅介たちを罰することなどできようはずがないのだ。
もちろん、そんな裏事情があることを紅介たちに直接言うほど、エドガーを含むラバール王国の者たちは愚かではない。
悪人ではないとはわかっているが、もし好き放題を許す旨を伝えれば、どんな問題が起こるともわからないからだ。
下手をすればラバール王国そのものが乗っ取られてしまう。
そのようなリスクを取れるはずもなく、ラバール王国の極一部の者たちの間だけの暗黙の了解と化していた。
エドガーの胃のことなどどうでも良かったが、ラバール王国がフォローに入ってくれる可能性を考えたフラムは、まるで他人事のようにロザリーの申し入れを快く受け入れる。
「うむ、そうするように伝えておこう」
「感謝致します。ではリオルディ男爵、私にはまだやることが残っていますので、このあたりで失礼を。特等席で魔武道会をお楽しみ下さいませ」
「えっ? え、ええ……」
それだけを告げ、背中を向けて去っていったロザリー。
残されたリディオは訳がわからないまま、チケットを片手にその後ろ姿を見送った。
それから暫くして、リディオの屋敷で紅介たちは無事に合流を果たしたのであった。
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