第662話 踊る愚者
Bランク冒険者パーティー『黒狼の牙』が容易く捻られ、醜態を晒したことで、ラフォレーゼ公爵の表情が引き締まる。
これまでの不遜な態度はどこへやら。
今になってようやくイグニスに脅威を覚えたところで遅い。あまりにも遅過ぎる。
竜族にちょっかいを出すだけでは飽き足らず、喧嘩まで売ってしまったのだ。
確かに外見だけを見ればルミエールはただの少女にしか見えない。
いくら人間離れした実力を持っているとはいえ、対話もできる。
決して親しみやすい性格とは言い難いが、それでも対等な――いや、権力で押さえつけ、優位な立場で交渉を進められるとでも勘違いしてしまったのだろう。
そもそも、ラフォレーゼ公爵は竜族を勘違いしていた。甘く見過ぎていた。
彼の失態の数々は、竜族を本質を見極めきれていなかったことが全てだろう。
認識の甘さが導いた、自業自得の結末。
同情の余地はどこにもなかった。
ラフォレーゼ公爵の私兵団は雇い主の危機だというのに、一向に動こうとしない。
武器を構えるだけ構え、イグニスをヘルムの奥にある双眸で怯みながらも懸命に睨みつけていた。
だが、今の彼らにはそれしかできない。
つい今しがた目の当たりにした『黒狼の牙』の苦しむ姿に戦慄し、本能が恐れたのだろう。
そして、イグニスが本当に竜族であることを改めて認識し始めたに違いない。
Bランク冒険者が軽く捻られたという事実は、それだけで私兵たちを恐怖させるのに十分過ぎる効果を発揮していた。
「……俺に手を出せばどうなるのか、わかってんのか?」
「さあ? どうでしょうか。私めが推測するに、どうにもならないかと。少なくともここにいる者たちだけでは私めを害することは不可能でしょう。それに貴方も理解しているのでは? 我ら竜族に喧嘩を売るということが、どういうことなのかを。そのような度胸が貴方にあるとは、とてもではありませんが、見えませんね」
ラフォレーゼ公爵の端正な顔が激しく歪む。
図星をつかれただけではなく、自身がイグニスの手のひらの上でいいように弄ばれていると理解したのだろう。
相手が相手なら暴力と権力で始末できたかもしれない。
しかし、相手は竜族であることが濃厚となった今、そう簡単には手が出せない。
手を出せば身を滅ぼすのは自分だと、ラフォレーゼ公爵はきっと理解しているのだ。
だからなのだろう。ラフォレーゼ公爵はこの期に及んで手を変えてきた。
暴力と権力が通じない相手だと認識し、別の方法で優位性を握ろうとしてきたのだ。
「この際、貴様の言い分の大部分を信じてやる。ルミエールの兄であり、ラバール王国と繋がりがあるということをな。だがな、そうなると俺が知っている情報に齟齬が生じてくる。ラバール王国にいる竜族は女のはず。男の竜族がいるなんて話は聞いたことがねえ」
「それがどうか致しましたか? 何の問題があるというのでしょう」
「大ありだろうが。ラバール王国とブルチャーレ公国の軍事同盟は対シュタルク帝国を想定し、締結したことになっている。だが、その経緯はかなり特殊で複雑だ。両国に紛れ込んでいた竜族の存在を秘匿しつつも、竜族を抱え込んだ両国がぶつかり合わないための制約として軍事同盟を結んだ側面があるんだよ。貴様はお伽噺を知ってるか? かつて、たった一体の竜によって国が滅ぼされたっつう話を。多くの人間がそのお伽噺を知ってるし、信じてもいる。それは俺だって例外じゃねえ。まあ、文明も知恵も大して発達していなかった時代の話だろうが、それでも今だに語り継がれるっつうことは、それだけ竜族の力が人間とは隔絶したものだったつうことは容易に想像がつく。そんな伝説上の存在である竜族がここ数ヶ月で次々と表に出てきやがった。マギア王国の女王が竜族から加護を授かったっつう話から、まだ噂話の範疇を出ない確度のない情報だが、シュタルク帝国にも竜族の影がいくつもちらついてやがるっつう話もある。だからこそ、ブルチャーレ公国は他の大国に遅れを取らないためにも、ラバール王国とのより強固な同盟が必須と考えていた。なにせ、竜族の数で劣っていると思わされていたからな。それなのに、まさかラバール王国がフラムという竜族以外にも竜族を匿っていたとは……。怒りを通り越して呆れてくるぜ」
今の話の中に、驚愕すべき新事実は何一つとして含まれていなかった。
それもそのはず、俺たちはエドガー国王から同盟に至った経緯を直接訊いていたし、何よりイグニスは当事者なのだ。知らないという方がおかしな話だろう。
おそらく、ラフォレーゼ公爵もそれを承知の上で長々と語ったに違いない。
その意図するところが、時間稼ぎにあったことも容易に想像がつく。
今頃、ラフォレーゼ公爵は懸命に頭を巡らせ、この窮地から脱する方法を模索しているのだろう。
が、そのような真似をイグニスが許すはずがない。
「――無駄話が過ぎますよ?」
イグニスの右指が鳴る。
それは悪夢を知らせる合図だ。
直後、ラフォレーゼ公爵の私兵団を轟々と燃え盛る白炎が包み込む。
こうしてまた悪夢が始まったのである。
「「がああァァァァァあぁあぁッ!!」」
耳を劈く悲鳴、救いを求めるしゃがれた声、許しを請う祈り、そしてラフォレーゼ公爵への怨嗟が闘技場に響き渡る。
闘技場の舞台上が、再び阿鼻叫喚地獄と化す。
たとえそれが幻によって引き起こされたものであろうが、その光景はあまりにも惨たらしく酷い有様だった。
お抱えの私兵団が苦しむ様を見て、自分に向けられる怨嗟の声を聞いて、未だ一人無事であったラフォレーゼ公爵は、ついにその強気な態度を崩す。
「や、やめろ! やめてくれ! ――やめてください!!」
雇い主が竜族の怒りを買ったせいで、こうして苦しめられているのだ。
もしここでラフォレーゼ公爵が何もせずに動こうとしなかったら、地獄から解放された私兵団が一斉に反旗を翻し、ラフォレーゼ公爵に強い恨みをぶつけて来ようことは火を見るよりも明らか。
その点を踏まえると、今だけはラフォレーゼ公爵の行動は正しかったと言えるだろう。
力尽き、地に倒れ伏す私兵団。
耳を塞ぎながら膝から崩れ落ち、俯くラフォレーゼ公爵。
その様子に満足したのか、イグニスは白炎を掻き消し、彼の私兵団を地獄から解放した。
「よろしい。私めも鬼ではありません。最初からそのように謙虚に振る舞っていれば、このような真似をせずに済んだのですがね」
「……」
ラフォレーゼ公爵にはもう返事をする気力すら残されていなかった。
それでもイグニスはラフォレーゼ公爵に説くように言葉を続ける。
「力を欲する亡者と化してしまったのは残念としか言いようがありませんが、そんな貴方にいくつか有益な情報を提供致しましょう。それをどう活かすかは貴方次第ですが」
無気力に顔を上げると、虚ろな瞳でラフォレーゼ公爵はイグニスの顔を見つめた。
「おっと、その前に自己紹介がまだでしたね、私めの名はイグニス。
「イグ、ニス……」
「まだまだ未熟な身ではありますが、この名を覚えておいて損はないでしょう。たとえ貴方が私めの名を誰に知らせようともお咎めすることは決してございませんので、お好きにしてくださって構いません。しかしながら、まずは貴方の――いいえ、ブルチャーレ公国の方々の認識を改めていただく必要がございます」
それからイグニスは、聞いているのか聞いていないのか定かではないラフォレーゼ公爵に淡々と事実を伝えていった。
その内容は自身を含めた炎竜族が、どの国の後ろ楯にもなってはいないということ。
ラバール王国にも同様の認識を共有させていることなど、多岐に渡った。
そして最後にイグニスは、一つ咳払いをして注目を引き付けると、強調するようにこう言った。
「ブルチャーレ公国が今、注意すべきは地竜族のみ。だからといって他の竜族を取り込もうとすれば、必ずや痛い目に遭うことになりますので、その点はご注意くださいませ。それさえわかってくだされば、あとはご自由にしていただいて構いません。――よろしいですね?」
こうして竜族に目を付けられた愚者は、その後も
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