第661話 竜の逆鱗

 ――妹。


 その単語の意味するところを知る者はこの場では限られている。

 そして、兄を名乗るイグニスの真の正体を知る者も。


 ラフォレーゼ公爵が連れて来た冒険者と私兵はその単語を聞いても態度に何の変化も現れない。

 当然だ。ルミエールの正体を知る者は極一部。貴族の中でも限られた者しか知り得ぬ情報を、末端の兵たちが知るはずもない。

 だが、ラフォレーゼ公爵は違う。

 四大公爵家の当主ともなれば、ルミエールの正体を知って然るべきだ。否、知っていたからこそ、こうして散々ちょっかいを掛けてきた。

 故に、イグニスが唐突に放ったその一言をラフォレーゼ公爵は無視することなどできやしない。


 嘘か真か。

 イグニスの表情を、一挙一動を、まじまじと鋭い眼差しを向けて観察し、ゆっくりと口を開いた。


「……場所を移す。ここでは衆目を集め過ぎちまう」


 ラフォレーゼ公爵が導き出した結論は真偽不明と言ったところだろう。

 少なくともその言動から、イグニスがルミエールの正体を知っていることはわかったはず。

 荒唐無稽な嘘だと断じるには早すぎ、かといって鵜呑みにすることはできない。

 衆人環視の中で真偽を確かめるのは国家機密の漏洩に繋がる恐れがあると判断し、場所を変えることを提案してきたとみるのが妥当なところだ。


「付いてこい。馬車を用意してある」


 くるりと俺たちに背を向けたラフォレーゼ公爵は、こちらを一瞥し、歩みを進めていった。


「ほう、意外にも少しは頭が回るようだな」


 遠回しに『もっと馬鹿だと思っていた』と言いのけたフラムは、何故か足を動かそうとはせずにその場に留まり、言葉を続ける。


「主よ、私はマリーとナタリーを連れてリディオの屋敷に向かっておく。その方が何かと都合が良いだろう?」


 フラムにしてはやけに気が回る提案だった。

 ナタリーさんとマリーを一触即発の状態になりかねない場所に連れて行くのは気が引けると思っていたところ。

 それに加え、今現在リディオさんは何も知らずに屋敷で俺たちのことを待ち続けている。

 それだけには留まらず、このタイミングでラフォレーゼ公爵がリディオさんの屋敷に私兵を差し向けてくるかもわからないのだ。

 流石にいきなり殺害を試みるような真似はしてこないとは思うが、念のためにも誰かをリディオさんに付けておいた方が安全なのは確か。

 その役目をフラムが自ら引き受けてくれるとは正直あまり考えていなかったが、今はその言葉に甘えることにした。


「ああ、頼むよ」


「うむ、任せよ。それと――イグニス」


 途端、フラムの表情が王のそれに変わる。

 俺たちに普段見せることのない、威厳に満ち溢れた顔つきでイグニスの名を呼んだ。


「今回の対処は全てお前に任せる。たとえ我が一族に迷惑を掛ける形になるとしても気にすることはない。お前の好きにしろ」


「感謝致します、我が王よ」


 仰々しいほどに深く丁重に頭を下げたイグニスに、フラムは普段の表情に戻って、片手をひらひらと振ってこの場を後にしたのであった。




 ラフォレーゼ公爵が用意した馬車に乗り、移動を開始。

 十分と掛からず馬車が停車し、降りるように指示を受ける。


 俺たちが馬車から降りた目の前にあったのは巨大な円形の建築物。

 さながらコロッセオを想起させる建物で、ここが何に使用される建物なのかは一目で理解できた。


「ここが魔武道会の会場みたいだね。まだあまり賑わってないみたいだけど」


 まだ魔武道会まで数日あるということもあり、ディアが言うようにこの辺りにはまだ祭りの雰囲気はない。

 出店などもなく、周囲にいたのは数十人の観光客らしき者たちくらいだった。


 その後、俺たちは闘技場の中へと入ることを促される。

 立ち入り禁止の札があちらこちらに掛かっていたが、四大公爵家の当主ともなれば関係がないのだろう。

 闘技場に駐在していた警備兵に止められることもなく、俺たちは闘技場の中へと進んでいき、やがて観客席ではなく、戦士たちが戦う闘技場の中央に辿り着いた。


 綺麗に石畳が敷かれた舞台の上で互いが向かい合う形を取り、ようやく場が整う。

 最初に口を開いたのはここに俺たちを連れてきた張本人であるラフォレーゼ公爵だった。


「ここなら誰の邪魔も入らねえ。で、そこの執事服の男。お前はルミエールの兄だと自称してきたが、まずはその証拠を出しやがれ」


 ラフォレーゼ公爵の双眸には、イグニス以外は映っていないようだ。

 俺とディアだけではなく『銀の月光』をもその存在を無視し、イグニスとの問答を始めた。


「証拠と言われましても困りますが、そうですね……。ルミエール、貴女の口から証言しなさい」


 イグニスとルミエール。

 この二人には兄妹関係以上に、絶対的な上下関係があることはこれまでの言動から察するに明らか。

 名指しをされてしまった以上、ルミエールに拒否する権限はなかった。


「パオロよ、よく聞け。この方が我の兄上で間違いない」


 ルミエールがこう証言をした以上、ラフォレーゼ公爵も認めるしかないだろう。

 何せ、ルミエールは竜族だ。下等な人間の指示によって偽証をするとは思えないし、それ以上に人間を自分の兄だと認めることなどあり得ない。


 普通ならそう考えて然るべきだ。

 しかし、ラフォレーゼ公爵は派手な外見と横柄な性格とは裏腹に、疑り深い性格の持ち主だったらしい。

 胡乱げな目を向けるだけで、ルミエールの証言を認めなかった。


「そう言わせるだけなら金を積めばどうとでもなるだろうが。違うか?」


「……我まで愚弄するか、パオロっ!」


 金で動くと思われたことが余程心外だったのだろう。ルミエールは明確な敵意をラフォレーゼ公爵に向ける。

 まさに危惧していた一触即発の雰囲気の中、イグニスだけは小さく笑い、再度証拠の提示を行う。


「これだけではご納得していただけませんか。でしたら、ラバール王国国王エドガー・ド・ラバールに問い合わせてみるのも一つの手かと。ただし、大公でもない貴方に正式な返答があるとは限りませんが」


「――貴様、いい加減にしろよ?」


 イグニスに煽られたラフォレーゼ公爵はドスの効いた声で威嚇する。同時に、その後ろで待機を命じられていた冒険者や私兵が一斉に武器を構え、圧を強めていく。


 ラフォレーゼ公爵は自身の立場を勘違いしているようだ。

 確かにブルチャーレ公国の四大公爵家の当主ともなれば、その力が及ぶ効果と範囲は俺の想像を遥かに上回るのかもしれない。

 ブルチャーレ公国だけではなく、ラバール王国の貴族に対しても大きな発言力を持っているのかもしれない。


 だが、その権力は、脅迫は、俺たちには通じない。

 ましてや竜族であるイグニスに人間社会の常識を訴えたところで、意味があるはずがないのだ。


 ルミエールという存在が身近にいながら、ラフォレーゼ公爵は何も学んでいなかったらしい。

 竜族に喧嘩を売るというその意味を、その罪を。


 イグニスの顔から一切の情が消え去る。

 内には轟々と燃え盛る炎が、表面には万物を凍てつかせる冷徹さが現れていく。


 そして、イグニスは最終警告を行う。


「何も信じない愚者に何を説いても無駄のようだ。故に、これから話す言葉を最終警告、そして最後の提示とする」


 イグニスは執事の皮を脱ぎ捨て、口調を変えた。


「容易に証明してみせよう。愚者をこの場で殺すことによって」


 闘技場の空気が一気にピリつく。

 殺意を隠そうともしないイグニスに対し、ラフォレーゼ公爵の私兵は動じることなく、その時に備える。

 その様子から察するに、彼らは自分たちの腕に余程の自信を持っていそうだ。

 十中八九、ラフォレーゼ公爵が大金を積んで指折りの実力者を集め、構成した私兵団なのだろう。


 だが、過度な自信は身を滅ぼすことを彼らは知らない。

 自分と相手の力量差を見極められていない時点で彼らの実力などたかが知れていた。


「俺を殺すだと? はっ、笑わせてくれる。それだけ威勢の良い台詞を吐けるところだけを見ても、貴様は俺を殺すことができるほどの実力を持っていることは確かなんだろうな。それに俺も自分の実力は大したことがないと自覚している。だがな、俺を殺せばそれこそ貴様はおしまいだ。いや、貴様だけじゃねえ。ここにいる他の奴らも、さっきまで貴様らと一緒にいた女子供も例外なく死が与えられることになる。他にも貴様らの親類縁者全員が死罪だ。そうなる覚悟が貴様にはあるってんのか?」


 臆することなくそう言い放ったところを見る限り、心の底からそう思っているのだろう。


 だが、その一言一言には焦りが見え隠れていた。

 もはやラフォレーゼ公爵は引くに引けない状況に陥っているのだ。

 殺されることはないと勝手に決めつけている一方で、イグニスがルミエールの兄である可能性をラフォレーゼ公爵は完全には否定し切れていない。

 もし本当にイグニスが兄だった場合、それは即ち竜族を相手に喧嘩を売ったことになるのだ。


 ここまで来てしまえば、ラフォレーゼ公爵の立場からすれば、どう転ぼうともイグニスの存在を認めるわけにはいかない。

 認めてしまえば最後、ラフォレーゼ公爵は竜族の怒りを買った愚か者だと他の貴族から揶揄されるばかりか、ルミエールを神のように扱っているブルチャーレ公国から追放されることだって十分に考えられる。

 だからこそ、ラフォレーゼ公爵は今の姿勢を崩そうとはしないのだろう。


 が、イグニスは非情だった。

 愚者にかける情けなど持ち合わせていなかった。

 執事の皮を被り直すと微笑を浮かべ、口を開く。


「もう今さら隠す必要はありませんね。――人間の法で我ら竜族を縛れるとでも? もしそのような思い違いをしているのであれは片腹痛い。もう少しわかりやすく説明して差し上げましょう。たとえるなら、そう……ゴブリンが制定した法に貴方方人間は従いますか? 否、下等な魔物であるゴブリンの法など無視するでしょう。それどころか法の存在にさえ気付こうともしないでしょう。どうでしょうか? これならいくら愚かでもご理解していただけたのではありませんか?」


 突如として、竜族の存在を暴露したイグニス。

 その影響力は凄まじく、半信半疑ながらもラフォレーゼ公爵の私兵団はこぞってざわつき始めた。


「……」


 それとは対照的に、ラフォレーゼ公爵は額に僅かな汗を浮かべながら沈黙を貫いていた。


「ここに来てだんまり、ですか。でしたら、もう少し危機感を持っていただきましょう。――ほら」


 俺の『魔力の支配者マジック・ルーラー』が、イグニスから放出された魔力反応を捉える。

 そして次の瞬間、ラフォレーゼ公爵の横で突っ立っていた冒険者パーティー『黒狼の牙』の五人が白い炎に包み込まれた。


「――があああああああぁぁぁぁッ!?!?」


「あづい! あづい! だれが、だれがみず、みずを……」


 白炎に包み込まれた『黒狼の牙』は阿鼻叫喚と化す。

 もがき苦しむ者、水を求める者、助けを求める者と、その反応は三者三様だったが、共通してイグニスの白炎によって尋常ならざる苦痛を受けていた。


 このままでは焼け死んでしまう。

 が、そう思っていたのは『黒狼の牙』だけだった。

 俺たちの目に映っていた光景は異なる。

 白い炎に包まれていながらも、『黒狼の牙』の者たちは誰一人として、髪の毛一本たりとも燃えていなかったのである。


 それが意味するところは一つ。

 イグニスが生み出した白い炎は幻。

 幻痛を与えるだけの能力だったのだ。


「だず……げで……」


 地面に倒れ伏しながらも、懸命に『黒狼の牙』の一人がイグニスへと手を伸ばす。

 その姿を見たイグニスはようやく満足したのか、指をパチンと鳴らし、白炎を掻き消した。


「この辺りにしておきましょう。ただの幻痛を与えていただけとはいえ、このまま放置しては発狂して死んでしまうでしょうし。では、ラフォレーゼ公爵。次は貴方も彼らと同じ苦痛を味わってみますか?」

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