第660話 待ち伏せる者

 投資家と冒険者の契約は詳細を詰めた後に正式な書面の上で交わされる。

 中には極秘事項もあり、衆目のあるダンジョン内では契約を纏められないということで、俺たちはダンジョンから出ることにし、全員でリディオさんの屋敷に向かう運びとなった。


 そして、約一時間半をかけてダンジョンから帰還した俺たちは巨塔ジェスティオーネの一階に到着。

 そのままの足でリディオさんの屋敷に向かおうとしたその時、俺の『観測演算オブザーバー』が無数の人の群れから、とある者たちの反応を掴む。


 あらかじめ想定していた展開だ。俺に焦りはない。視線をディアへ飛ばし、意思疎通を図る。

 返ってきたのは覚悟の据わった紅い瞳と力強い首肯。そのやり取りを見ていたフラムとイグニスからも勇ましい微笑が戻ってくる。


 準備は整った。

 さて、動くとしよう。


「リディオさん、少し近道をしませんか?」


 巨塔ジェスティオーネから強い日差しが降り注ぐ外へと出ようとしていたリディオさんをそう言って呼び止める。

 目的は当然、リディオさんを真相から遠ざけるため。


「近道ですか? 屋敷までの道筋なら全て網羅しているつもりですが」


 それはそうだ。

 リディオさんは正真正銘、ブルチャーレ公国の貴族。ましてやラビリントに居を構えている。よそ者の俺よりも余程この辺りの地理には詳しいだろう。

 だが、俺が言っているのは知識どうこうの話ではない。


「少し語弊がありました。この場合、近道ではなく時間の短縮と言った方が適切かもしれません。リディオさんは空間魔法をご存知で?」


「ええ、それはもちろん。アイテムボックスを作製することで巨万の富を生み出す。誰しもが憧れる有名なスキルですから。他にも転移ができるなどとも聞きますが、転移には膨大な魔力が必要となるため、短時間の戦闘ならまだしも、移動に使うには全く適さないともされていますよね」


 伊達にダンジョン探索を趣味とはしていないようだ。

 リディオさんのスキルに関する造詣の深さは冒険者にも引けを取っていなかった。

 ただし、その知識は俺には当て嵌まらない。

 空間魔法の最上位スキルである『空間の支配者スペース・ルーラー』を持つ俺には。


「概ね正解です。ですが、全く使えないという訳でもありません。大体でいいので、リディオさんの屋敷の位置を教えていただけませんか?」


 俺が変に濁したせいで、リディオさんは若干困惑しながらも、屋敷のある方角とおおよその距離、そして屋敷の外観を俺に教えてくれた。


「西に約五百メートルですね、わかりました。では行きましょうか。まずはリディオさんと護衛の皆さんをお送りします」


「???」


 スキルが進化したことで直接触れることなく転移が可能となっている。

 困惑を通り越し、混乱するリディオさんをそのままに、俺は『空間の支配者』を使用。

 視界がガラリと変化し、蒼く晴れたラビリントの上空に転移。それから何度か転移を繰り返し、無事にリディオさんたちを屋敷に送り届けたのであった。


 現実を受け止めきれていないのか、屋敷の前でぽっかりと口を開けたままになっていたリディオさんに一声掛けてから俺は巨塔ラビリントにすぐさま戻り、再度ディアたちと合流を果たす。


「本当に転移で送り届けたというのか? 俄には信じられないな……」


 オリヴィアが正直な感想を口から漏らしていたが、それに構うことなく、俺はこの後に予想される展開を『銀の月光』に伝える。


「塔の外にラフォレーゼ公爵が俺たちの――いや、『銀の月光』の帰りを待っているみたいだ。たぶん『黒狼の牙』っていう冒険者が十階層での俺たちの会話を盗み聞きしてラフォレーゼ公爵に伝えたんだと思う」


「『黒狼の牙』と言えばラフォレーゼ公爵家お抱えの冒険者パーティーとして有名だ。なるほど……奴らが私たちの噂をダンジョンで吹聴して回っていた犯人か」


 至って冷静にそう返事をしてきたオリヴィアだったが、その表情は氷のように冷え切っている。もはや憎悪と嫌悪を隠そうともしていなかった。


「売られた喧嘩は今度買うとして、この後はどうするの……? コースケ殿……いや、コースケさん……? が、私たちのことも送ってくれるとか……?」


 片やノーラは口振りとは真逆に、相も変わらず眠たげな表情のまま。

 『黒狼の牙』のことを有象無象の一つ程度にしか思っていないのだろう。そんなことよりも俺の呼称に悩んでいた。


「無理に敬称なんてつけなくていいよ。普通にコースケって呼んでほしい。それと、この後のことは俺たちに任せてくれないか? 『銀の月光』の三人は大人しく見守ってくれるだけでいいから」


「それはありがたい話だが、私たちがその場にいるだけで余計な混乱が生じてしまうのではないだろうか? 下手をすれば、大事になりかねないと私は思うが……。ルミエールはどう思う?」


 オリヴィアに急に話を振られ、ルミエールの目が一瞬大きく開かれる。


「……いや、特に思うところはない。我は従うだけだ」


 彼女らしからぬしおらしさを見せているのはイグニスというストッパーの存在があったからであることは言うまでもない。

 こうして、三人から同意を強引に得た後、俺たちはこそこそと隠れるような真似を一切せずに堂々と巨塔ジェスティオーネの外に出た。


 外に出た俺たちを待っていたのは祭りの喧騒とは異なる人混みだった。

 ただし、人混みと言ってもそこには規律がある。

 さながら軍隊のように綺麗に列を成す人の数は、ざっと数えて二百を超えていた。

 一部を除き、その装備は統一されており、ヘルムの奥から見え隠れしている数多の双眸からは何の感情も汲み取れない。


 そして、その最前列には歓待の宴で遠目からその姿を初めて目にした男が立っていた。

 その男の名を知らぬ者はここブルチャーレ公国にはほとんどいないだろう。


「……ラフォレーゼ公爵」


 後ろにいるオリヴィアから憎悪が籠められた声が漏れ出る。

 その声は周囲の喧騒に掻き消されることなく、ラフォレーゼ公爵の耳まで届いた。


「何やら随分とお冠のようだが、生憎と恨まれるようなことをした覚えはねえな。そんなことよりも、話は訊かせてもらったぜ? リオルディの野郎と手を組もうとしてるってな。で、肝心のリオルディはどこに行きやがった? まさかとは思うが、尻尾を巻いて逃げ出したなんてことはねえよなあ?」


 俺を間に挟んでいるにもかかわらず、まるで存在していないかのように会話を続けているあたり、どうやら『銀の月光』とリディオさん以外はラフォレーゼ公爵の眼中にないらしい。

 清々しいほどの無視っぷりに呆れるのではなく、その図太い精神に思わず称賛してしまいそうになる。


 が、ぼーっと突っ立っている場合ではない。

 失礼を承知でオリヴィアを背中に隠すように前に出て、会話を試みる。


「横から失礼を。私の名は――」


 最初から喧嘩を売るのではなく、懇切丁寧に自己紹介を始めようとした俺だったが、鋭い眼光と共に発せられた声で遮られてしまう。


「――どこの馬の骨かは知らねえが、お前に喋ってもいいと許可を出した覚えはねえぞ」


 やはりと言うべきか、ラフォレーゼ公爵は俺の名前どころか顔にも覚えがないらしい。

 歓待の宴にいたことすら記憶にないことからわかるように、俺たちがラバール王国の貴族であることも知らないようだ。


 今の会話で得た情報はそれだけではない。

 俺の左隣でマリーを背負いながら立っているフラムの顔にピンときていない様子から察するに、ラフォレーゼ公爵はラバール王国が抱えていると表向きされている炎竜族の顔を知らないとみて、まず間違いなさそうだ。

 でなければフラムの前で横柄な態度ができるわけがない。

 もし知っている上で今の態度を貫いているのだとしたら余程の馬鹿か、相当な胆力の持ち主ということになる。


 普通に考えればどちらの線もあり得ない。

 となると、やはりラフォレーゼ公爵はフラムの正体を知らないと考えるべきだろう。


 頭の中で次の展望を組み立てていく。

 俺たちが望む展開になるように、ここからどうやってラフォレーゼ公爵を誘導していくかが肝となる。


 しかし、俺たちが取れる選択は限りなく少ない。

 向こうは力を、ルミエールを求めているのだ。

 金で解決できる問題ではないし、かといって俺の説得を受け入れてくれるはずもなし。

 ともなると必然的に選択肢は一つに絞られていく。


 それは――脅迫だ。

 ラフォレーゼ公爵が持つ権力を無視し得るほどの強烈な脅迫を用いることで、手を引いてもらう流れを作るしかない。


 俺がそう頭の中で答えを導き出すや否や、次の瞬間には俺と全く同じ答えに辿り着いたのであろうイグニスがそっと前に一歩踏み出すと、ラフォレーゼ公爵に向かってこう言ったのであった。


「――私めの妹にちょっかいを掛けている愚か者は貴方で間違いありませんね?」

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