第659話 利害関係

 リディオさんを引き連れ、『銀の月光』のもとへ向かう。

 護衛のCランク冒険者たちとフラム、ナタリーさん、マリーは留守番だ。

 出来レースとはいえ、表面上は交渉の場。不必要にぞろぞろと大勢で押し掛ける場面ではないため、必要最低限人数で向かうことにしたのである。


 軽やかな足取りで歩く俺とは違い、リディオさんの足取りはだいぶ重い。

 嫌々といった感じではなく、緊張感と重圧に押し潰されそうになっているようだ。


 対する『銀の月光』の雰囲気もどこかおかしい。

 遠目から見ていた時には気付かなかったが、三人が三人共、何処となくピリついた雰囲気を醸し出している。


「話し掛けても大丈夫なのでしょうか……。あまり機嫌が良さそうには見えないのですが」


「ここはダンジョンですし、少し気が立っているだけかと」


 やや苦しい言い訳だったが、何とかリディオさんを納得させることに成功させ、俺たちはついに『銀の月光』と対面する。


 隣に立つリディオさんから息を呑む音が聞こえてくる。

 過度な緊張による発汗が顔に現れていた。

 交渉事は第一印象が大切だ。失敗は許されないという気持ちがリディオさんからまざまざと伝わってくる。

 しかしリディオさんは経験が浅いとはいえ、貴族社会に揉まれた貴族。素早く思考と表情を切り替え、爽やかな笑みを浮べてコンタクトを図った。


「突然のお声掛け、失礼します。私の名はリディオ・リオルディ。リオルディ男爵家の当主を務めさせていただいております」


 貴族の身であらながら冒険者に対して低姿勢で自己紹介を行うリディオさん。権力を笠に横柄な態度を見せないあたり、人の良さがうかがえる。


 掴みとしては上々の切り出しだ。

 仮にこれが出来レースではなかったとしても、貴族がここまで低姿勢で冒険者に接触してくれば、誰だって少しくらいは耳を貸そうと思ってしまうに違いない。

 身分に囚われずに、対等かそれ以上の丁寧な対応ができるのはリディオさんの性格の良さからくる美徳とも言えるだろう。


 リオルディさんが自己紹介を終えると、『銀の月光』を代表してリーダーであるオリヴィアが柔らかな微笑と共に受け答える。


「ご丁寧にありがとうございます、リオルディ男爵。私は『銀の月光』のリーダーを務めるオリヴィアと申します。以後、お見知りおきを」


 ここからはそれぞれ演技力が問われる場面だ。

 リディオさんが何も知らないことは彼女たちにもイグニスを通して事前に伝えてある。

 如何に自然に、そしてリディオさんに悟られないよう言葉を慎重に選びながら受け答えをしていき、最終的には支援を受ける形に持っていかなければならない。


 その際に、乗り越えなければならない問題が二つある。

 一つはこのやり取りが事前に仕込まれた物であることをリディオさんに悟られないこと。

 この事実が露呈するようなことがあれば、リディオさんはすぐさま手を引いてしまうだろう。

 何せ、『銀の月光』は四大公爵家の現当主であるパオロ・ラフォレーゼ公爵に目をつけられているのだ。

 真実はどうであれ、一介の男爵家が公爵家に喧嘩を売るような真似をすれば、只では済まない。

 ましてやルミエールは極一部の者しかその正体を知らぬ竜族だ。

 実態はどうあれ、ブルチャーレ公国にとって虎の子のような存在となりつつある彼女をリオルディ男爵家が独占することになるのは望ましい展開ではない。

 妬まれるだけならまだマシだ。下手をすれば政治的圧力を加えられたり、最悪の場合、命を狙われることにもなりかねない危険性を孕んでいる。

 それらの真実をリディオさんが知ってしまえば、間違いなく手を引くことになってしまう。


 もう一つは、リディオさんに疑念を抱かせないこと。

 リディオさんが言うには、Sランク冒険者ともなるとまず投資家からの支援を受けることはないという。

 もちろん、前例がないわけではない。『黒狼の牙』の言葉を信じれば、ラフォレーゼ公爵は数組のSランク冒険者を抱えているとのことだ。

 そのことからもわかるように、可能性はゼロではない。

 しかしながら、リディオさんは男爵。公爵とは比較にもならないことは本人が誰よりも承知しているはず。

 そんな彼から、ブルチャーレ内でその名が知れ渡っている『銀の月光』が支援を受けるとは普通では考え難い。

 もしここで、すんなりと『銀の月光』がリディオさんから支援を受けると答えてしまえば、何か裏があるのではないかと疑念を抱くだろう。

 そして一度疑いを持ち始めたら、リディオさんは徹底的に情報収集に励み、裏を知ろうとしてくるに違いない。

 無論、男爵が集められる情報には限界がある。とりわけ、ルミエールに関する情報は男爵程度では知り得ることは不可能に近いと考えて然るべきだ。


 リディオさんでは『銀の月光』の置かれている立場に辿り着けやしない。

 頭の中では半ばそう確信しているものの、それでもやはり疑いを抱かれるような真似は避けるべきだ。

 もしこのチャンスを逃せばおそらく次はない。『銀の月光』を取り巻く状況を打破するためにも、リディオさんには何の疑いも持たせず、快く彼女たちを受け入れてもらわなければならない。

 そのためにも、俺たちの――いや、『銀の月光』の演技力が今ここで試される。


 つつがなく全員分の自己紹介を終え、軽い雑談を交えたあと、いよいよ本題へと移る。

 襟元を正したリディオさんは一つ小さな咳払いをし、『銀の月光』一人ひとりに視線を合わせると、こう切り出した。


「……ところで、不躾な質問になってしまいますが、『銀の月光』の皆様はラフォレーゼ公爵からご支援を受けていらっしゃるのでしょうか? 少し小耳に挟んだもので」


 途端、オリヴィアの眉が一瞬ピクリと吊り上がる。

 しかし、それは一瞬の出来事。次の瞬間には何事もなかったかのように自然な笑みのままオリヴィアは首を左右に振っていた。


「そのような事実は全くありません。どこの誰かは知りませんが、面白可笑しくデマを吹聴して回ったのでしょう」


「なるほど、そうでしたか。やはりSランク冒険者ともなると、知らぬ間に妬み嫉みを買ってしまわれるのでしょうね。ある種、人気者の宿命とでも言うべきでしょう」


「私たちなどまだまだ若輩の身。今は少しばかし目立っているだけで他のSランク冒険者とそう変わりはありません。油断をせずともAランク冒険者に足元を掬われることだってあるでしょう」


「そうそう、オリヴィアの言う通り……。私たちなんてまだまだ……」


 オリヴィアに同調する形でノーラが会話に加わる。

 その間、二人の視線は俺とイグニスを往き来していた。

 言外に『貴方たちのことだ』と言われているような気がして、反応に困ってしまう。


 何はともあれ、ここまでは順調な滑り出しと言ってもいいだろう。

 リディオさんが疑念を抱いている様子は見受けられないし、『銀の月光』の受け答えも満点に近い。

 それらに加えて、イグニスが視線だけでルミエールの口を塞いでいたことも大きかった。

 演技力に期待できないルミエールが下手に口を開けば、場が混乱するだけ。イグニスの独断によって、ルミエールに口を挟ませる余裕を与えなかったのはファインプレーだった。


「またまたご謙遜を。ですが、もし本心からそう思っているのであれば、何か私に手伝えることはありませんか? ダンジョン探索における雑費や、武具の整備代など、できることがあるのなら、是非とも私としては皆様にご協力したく」


 自然とも不自然とも言い難いリディオさんの切り出しに、オリヴィアは顎に手をあて、悩む素振りを見せる。

 もちろん、これは演技だ。答えは既に決まっている。

 だが、ここで簡単に首を縦に振れば、断られることを前提に提案を行ったリディオさんは大なり小なり疑念を抱いてしまうかもしれない。


 慎重に言葉を選ばなければならない場面。

 たっぷりと時間を掛けたオリヴィアは、ノーラとルミエールに目配せをした後、リディオさんに向き直り、口を開く。


「ありがたいご提案ですが、資金繰りに関しては特に困るような状況にはありませんので」


「そう、ですよね……。これは要らぬお節介を――」


 その返答に、明らかに気落ちした様子のリディオさんだったが、その後に続いたオリヴィアの言葉で期待に満ちた表情を見せることになる。


「しかしながら、別の面で是非ともご協力を願いたいことが。既にリオルディ男爵はご存知だったようですが、今私たちは『ラフォレーゼ公爵から支援を受けている』という、くだらない噂話に煩わされていましてね、奇怪な視線を受けることが多く、困っているのです。私たちとしては、誰にも縛られることのない自由を求めています。しかし、こうも噂が付き纏ってくると、流石に……。しかも、噂されている相手が四大公爵家であるラフォレーゼ公爵ともなると、度を超えた注目を集めてしまい、困り果てているのです」


「つまり、資金的な援助ではなく、噂話を払拭するための露払いの役割を担って欲しい。そういうことでしょうか?」


「御名答。私たちが求めているのは自由、ただ一つなのです。表向きはリオルディ男爵から支援を受けている形にしていただき、その実、私たちは以前と変わらぬ自由な冒険をしたいのです。無論、資金援助は必要ありません。その代わりに私たちはダンジョン探索で得た収益の一割をお支払いしましょう。如何でしょうか?」


 リディオさんの立場になって考えてみても、決して悪くない話だ。

 ブルチャーレにおける投資家とは本来、資金援助をすることで将来的な収益を狙う形式を取っている。

 だが、今回の場合は資金援助を必要としておらず、資金を投入することなく収益を得られるため、赤字になることは絶対にない。

 リスクなく、ほぼ確実に利益を上げられるともなれば、これほど美味しい話は他にはそうないだろう。

 加えて、『銀の月光』を支援しているという泊までついてくるのだ。貴族社会での地位向上まで狙える、最良の契約と言っても過言ではない――ように思えるだろう。


 が、実態はそこまで甘くはない。

 名を貸すだけとはいえ、貸す相手がブルチャーレ内で名を馳せている『銀の月光』ともなれば、相応の覚悟が必要となってくることは明らかだ。

 嫉妬を買うだけなら安いが、当然のように恨みや憎しみなどの感情を向けられることは想像に難くない。

 特に、上級貴族から向けられる負の感情は厄介極まりないだろう。

 権力にものを言わせた嫌がらせや、貴族社会からの排斥行動に出てくる可能性だって否定はできない。


 Sランク冒険者に投資を行うとは、常にそういったリスクが伴ってくるのだ。

 ダンジョン探索で得た収益の一割を高いと見るか安いと見るかは実に難しいところ。

 リディオさんの判断がここで問われる。


「当家の名を貸すだけで一割……」


 相当悩んでいるのか、思考がだだ漏れになっていた。

 そこにオリヴィアが背中を押す訳ではなく、即決即断を迫る。


「嫌なら断っていただいて構いません。他の貴族の方に提案を持ち掛けるだけですので。もしかしたら……いや、それなりの確率で、私たちが支払いをせずとも契約してくださる方が見つかると思っていますから」


 駄目なら他をあたる。

 そう言われてしまえば、心が大きく揺らいでしまうだろう。

 『銀の月光』のネームバリューを考えれば、オリヴィアの言葉通り、他の貴族が手を挙げることは十分にあり得る。


 千載一遇の好機。

 リディオさんは今、人生の岐路に立っていると言っても決して過言ではない。


 十秒、二十秒と沈黙が続き、そして結論を出す時が訪れる。


 顔を上げたリディオさんの顔つきには、明らかな覚悟が見える。

 俺はその顔を一目見ただけで、返事を聞くまでもなく答えがわかった。


 リディオさんが右手を伸ばす。


「双方が将来、素晴らしい取引だったと思えるよう努力することをお約束しましょう」


「ええ、こちらこそ」


 オリヴィアはその白く靭やかな手で、リディオさんの右手を力強く握り返したのであった。


 ホッと心の中で一息吐いたのも束の間、隣にいたディアから俺だけに聞こえるほどの小さな声で話し掛けられる。


「こうすけ、今九階層に続く階段に『黒狼の牙』が走っていったけど……。どうする? 捕まえる?」


 実は俺も気付いていたが、あえて無視を決め込んでいた。


「いや、放置していいよ。一旦泳がせておいて動向を見てみたいから。一応、このことは後でフラムにも言っておこう。もしかしたら地上に出たときに一悶着あるかもしれないし」


「うん、わかった。心構えはしておくね」

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