第658話 待ち合わせの刻
十階層にあったのは巨大な二枚扉とだだっ広い空間だけ。
魔物が出現する気配は微塵もなく、一種のセーフゾーンのような役割も担っており、その広さはごく一般的な体育館二つ分といったところだろうか。
そこでは百を優に超える多くの冒険者が二つの列を成し、自分たちの順番が来るのを待ち侘びていた。
「この列はどういう基準で分かれているんですかね? 片方だけやけにガラガラですけど」
二つの列のうち、一つは十数人しか並んでおらず、片や長蛇の列。
この二つの列に何の意味があるのかわからず、俺はここのダンジョンに通い慣れているリディオさんにそう尋ねた。
「ああ、あれはボスに挑戦するかどうかで列が分かれているのですよ。ボスに挑戦できる人数に上限はありません。しかし、戦利品は限られてしまいます。ボスから得られる報酬を欲する者は長蛇の列へ、十階層より先に進みたい者は別の列へ。報酬を含め、ボスに一切の手出しをしないことを条件に、別の列に並ぶ者たちはボスに挑戦する者たちと一緒に中へと入ることで時間短縮を行い、早々にこの階層を抜けられる。低階層のボス部屋の前では度々見られる光景ですね」
効率良くダンジョン探索を進めたい冒険者と、魔石や希少アイテムの入手を目的とした冒険者で列を分ける。
暗黙のルールなのだろうが、素晴らしい仕組みだ。
加えて、ボスに挑む冒険者たちの保険にもなり得る仕組みだと言えるだろう。
激闘の末、ボスに殺されそうになったとしても、助けを求めれば先に進むことが目的の冒険者からの救いの手を期待することもできる。
良心に訴え掛けられれば、如何に荒くれ者揃いの冒険者と言えども救いを求める声を無視することは難しい。
考えれば考えるほど、実に最適化された仕組みだった。
「そうでしたか。でしたら、別の列に並ぶ冒険者を観察した方が良さそうですね。十階層のボスを単なる通過点としか考えていないくらいですから、その腕も確かでしょうし」
「流石はコースケさん、まさしくその通りです。私たち投資家の間では『有望な冒険者を探すならここ』と言われているくらい有名なスポットになっているのですよ。十階層まで到達できるのか、そして十階層のボスを歯牙にもかけない実力者なのか。それら二点を踏まえると、冒険者をふるいに掛けるには最適な場所だと言えるでしょう。中には私たちに声を掛けてもらいたいがために実力を偽り、分不相応に別の列に並ぶ者もいますが、そこまで投資家は馬鹿ではありません。その証拠に、あちらの方をご覧ください」
そう言ってリディオさんが向けた視線の先には、十人程度の妙に小綺麗な格好をした者たちが、オペラグラスのような物を目元にあて、冒険者たちが並ぶ列を観察していた。
「あの人たちも投資家なの? 手に持っているのは魔道具……?」
ディアが物珍しそうに小綺麗な格好をしている人たちをジロジロと見つめるが、向こうは一向にこちらの視線に気付く様子はない。大方、投資先探しに没頭しているのだろう。
「私やコースケさんたちのような看破系統スキルを持っていない方々は、ああいった魔道具を用いて冒険者を見極めているのですよ。ブルチャーレにある大型商店では良く売られている商品ですね。もちろん、価格は付与されたスキルのランクによってピンキリなりますが」
リディオさんのように
それこそ上級貴族か大商人ほどの金持ちでなければ手が出せないだろう。
かといって安物で妥協すれば
なるほど、納得だ。俺たちの視線に気付かず没頭するのも理解できる。
投資先を一つ探すのも一苦労。オペラグラス型の魔道具を通して冒険者の実力を見定めなければならない。
使っている魔道具が安物なら、別の要素からも投資先を見極めていく必要が出てくる。
立ち振る舞いや装備、あとは年齢などもそうだろうか。
様々の要素を複合させ、投資先を見極める。
ギャンブル要素は高いが、リディオさんたち投資家が冒険者探しに熱中する理由がようやくわかったような気がした。
それから俺たちは、列に並ぶわけでもなく人混みのない壁際に場所を移し、それぞれ冒険者を目定めていく。
当然、俺たちの目的は『銀の月光』だ。
それ以外は眼中にないのだが、『銀の月光』が到着するまでの間も、リディオさんに悟られないよう冒険者を探すふりをしなければならない。
暇で退屈な時間を過ごす――かと思いきや、なんだかんだ言って、投資先探しに熱中していた。
「フラムお姉ちゃん! あのおっきなハンマーを持ってる人はどうです?」
「んー、駄目だな。スキルに頼らず肉体を鍛え上げたことだけは称賛に値するが、それだけだな」
「じゃあじゃあ――」
とりわけ、マリーの熱中っぷりは相当だった。
感覚としてクイズに近いということもあり、フラムと冒険者探しを楽しんでいた。
和気あいあいと今の時間を楽しむマリーとフラム、そしてその二人を見守るナタリーさん。
が、リディオさんは違った。
冷たい岩盤に腰を下ろし、紙とペンを取り出すと、整った容姿を鬼気迫るものへと変貌させ、ぶつくさと呟き始めたのである。
「あの三人組は攻守のバランスが……。あのパーティーは魔法系統スキルが乏しい……。おっ! いや……あの腰につけた紋章は……既に支援を受けていましたか……。なら……っ!」
たぶん、今のリディオさんの耳には誰の声も届かない。
「ねえ、こうすけ。わたしたちがお手伝いをする必要ってあるのかな?」
俺たちを連れてきた意味があるのかと思っていたのはどうやらディアも同じだったようだ。
「まあ、その時が来れば、多少強引にでも――あっ、あれは……」
俺の視線の先に見知った冒険者たちの姿が映り込む。
九階層で俺たちと一悶着あった『黒狼の牙』だった。
リーダー格の男はキョロキョロと周囲を見渡すと、ダンジョン探索を行う冒険者だというにもかかわらず、どちらの列に並ぶでもなく、九階層と十階層を繋ぐ階段の入り口付近で立ち止まる。
その間に一度俺と視線が合ったが、不機嫌そうな顔を向けてくるだけで特に絡んでくるようなことはなかった。
「……何してるんだ?」
思考が言葉となって口から零れ落ちたその時だった。
九階層から下りてきた一組の冒険者パーティーに『黒狼の牙』が何やら話し掛ける。
時間にしておよそ一分くらいだろうか。
にこやかに談笑をするわけでも、口論をするでもなく『黒狼の牙』に話し掛けられた冒険者たちは列へと並んでいった。
その後も同じような光景が何度も繰り返された。
少し怪訝に思うところはあったが、別に何か俺たちに害があるわけでもない。
結局、俺は『黒狼の牙』を無視することにし、それからは『銀の月光』が到着するまでの間、それとなく冒険者探しを行ったのであった。
時計がないため現在の時刻はわからないが、感覚的に約束の時間がやってきただろうと思い始めたその直後だった。
入り口の前を陣取っていた『黒狼の牙』が蜘蛛の子を散らすように大勢の冒険者が並ぶ列に紛れ込む。
それから数十秒としないうちに彼女たちは現れた。
ウェーブがかった長い銀の髪を靡かすオリヴィアを先頭に、眠たげな表情をしたノーラと、薄紅色のツインテールを揺らすルミエールが十階層に到着する。
すると、列を成していた冒険者たちの視線が一斉に『銀の月光』に集まった。
その注目度は流石Sランク冒険者と言ったところだ。
この場に『銀の月光』を知らない者は誰もいない。そう思わされてしまうほど、彼女たちの注目度は高かった。
尊敬や憧憬、嫉妬やそして何故か懐疑。ありとあらゆる眼差しが『銀の月光』に注がれる。
否応なく脳裏に『黒狼の牙』の影がちらつく中、俺は早速行動に移ることにした。
「リディオさんリディオさん。あの三人、強いですよ。それもかなり」
冒険者探しに没頭していたリディオさんだったが、流石にこの騒ぎの中ではそうもいかなかったのか、俺の呼び掛けよりも前にその視線は『銀の月光』に注がれていた。
リディオさんは右手に持っていたペンの尻で頭を掻くと、困惑の表情を隠そうともせず、こう言う。
「コースケさん、あれがSランク冒険者パーティー『銀の月光』なのですよ。ブルチャーレを拠点にしているいくつかのSランク冒険者の中でも今、最も勢いがあるとまで言われている凄腕のパーティーです。きっと彼女たちは私を含めたそこらの投資家よりも余程稼ぎがあるでしょうし、到底手が届くような存在ではありません。それに、先のいざこざの際に『黒狼の牙』が言っていたように、どうやら既にラフォレーゼ公爵から支援を受けている様子。私程度が付け入る隙など、どこにもありませんよ」
自虐気味に乾いた笑い声を上げるリディオさんだったが、その瞳の奥には諦念と共に、僅かばかりの好奇心と期待が見え隠れしているように俺には見えた。
「『黒狼の牙』の言葉が全くのでたらめの可能性だってありますし、声を掛けるだけ掛けてみてはいかがです? 駄目で
元々と割り切って、打診してみましょうよ」
「ですが……」
無駄なことをしたくないというよりも、貴族としてのプライドが邪魔をしているように見える。
男爵とはいえ、立派な貴族だ。断られることによって生じる面子を重視するのも仕方がないかもしれない。
だが、それでは困る。
それでは前に進めない。
そっと背中を押す言葉を掛け、リディオさんをその気にさせなければならない。
「ほら、まずは立ちましょう。先に取られてしまうかもしれませんよ?」
やや強引になってしまったが、リディオさんの腕を持って立ち上がらせる。
「それに、もし支援を受けてもらえるようなことになれば、リディオさんが――ひいてはリオルディ男爵家が公国内で脚光を浴びることになるかもしれません。そう思えば千載一遇の好機だと思えてきませんか?」
貴族であれば、誰しもが上の爵位を目指したり、貴族社会の中で確立した地位を得ようと考えるはずだ。
それは善良な心を持っているリディオさんだってきっと同じだろう。
これはリディオさん個人だけの話ではない。リオルディ男爵家の未来の話でもある。
リオルディ男爵家の将来を決める岐路、と言ったら流石に過言だろうが、それでも現状を変える千載一遇の好機が目の前に転がっているかもしれないと思わせることが大切だ。
「わかり、ました……。断られたとしても、Sランク冒険者とお話できるだけでも価値がある。そう思い込むようにします」
リディオさんの表情は困惑から引き攣った笑みに変わっていた。
ここまではほぼ完璧だ。
一連の会話の中でリディオさんがルミエールの正体を知らないだろうこともわかった。
もはや障害は何もない。
あとは事後処理だけを考えればいい。
俺は罪悪感に心を苛まれながらも、リディオさんを『銀の月光』のもとまで連れて行ったのだった。
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