第657話 流布

「なっ……」


 男たちの愕然とした表情を見て、頭にのぼった血がサッと引いていく。

 力量差はこれだけでも十分に示せただろう。

 喧嘩になったとしても敵わない、そう思わせた時点で勝敗は決したようなもの。

 リーダーと思われる男の首筋に突きつけた紅蓮を引っ込め、鞘へとゆっくり戻す。

 その間、決して目を離すことはなかった。

 牽制の意味も込めて男の瞳を見つめ続けたまま、そっと空いた左手で男の胸を押し、距離を取る。


「無駄な争いはやめにしよう。お互いのために」


 Bランク冒険者が五人に対して、こちらは戦う術を持たないナタリーさんとマリーを除いても八人もいるのだ。

 質だけではなく、数でもこちらが上。

 どう転ぼうとも絡んできた男たちが俺たちに勝てる要素はない。


 だが、腐っても男たちはBランクだったようだ。

 Bランク冒険者としてのプライドが、ここで簡単に引き下がることを許さなかったのだろう。

 リーダー格の男が顔を真っ赤に染めて唾を撒き散らしてくる。


「――テメエ!! 俺たちを誰だと思ってやがる! どこぞの田舎でぬくぬくとAランクになったのか知らねえが、こちとら腕利きの冒険者がひしめき合うラビリントで実績を挙げてきたんだ! テメエの物差しで語ってんじゃねえぞ、カスが!!」


 そう怒声を上げながらも、男の手がその背中にある大剣まで伸びる様子はない。男の仲間たちも同様に武器を抜こうとする気配がなかった。

 そのことからわかるように口だけは達者で、結局のところ俺と事を構えるつもりはないようだ。


 冒険者ランクに田舎も都会もないことは、冒険者なら誰でも知っている常識である。

 ギルドが指定する依頼のランクは全世界で統一されているのだ。たとえラビリントに冒険者ギルドの本部が置かれていようが、男たちが他国でAランクに至った冒険者に敵う道理などない。

 無論、真の実力を隠して低いランクのまま留まっている例外などもあるが、男たちが俺たちの実力を上回ることなどあり得ないと、俺の眼が教えてくれている。


 俺が黙ったまま話を訊いていると、何を勘違いしたのか男は余計に調子づき、ペラペラと語り出す。


「俺たち『黒狼の牙』とテメエらとは大きな違いがある。俺たちはな、四大公爵家の一つパオロ・ラフォレーゼ公爵様に腕を買われてるんだ。テメエみたいな片田舎の冒険者と同じにすんじゃねえぞ」


「パオロ・ラフォレーゼ……」


 思わぬところからその名を訊き、つい口からラフォレーゼ公爵の名前を零してしまう。

 どうやら俺の反応は男を勢いづかせるには十分過ぎてしまったらしい。

 ニヤリと下卑た笑みを浮かべ、ラフォレーゼ公爵を楯に自分たちの優位性を雄弁に語る。

 その口振りには自分たちの方が偉いのだと思い込んでいる節と、妙な違和感があった。


「どうした? 怖気づいちまったか? まあ、それもそうだろうな。ラフォレーゼ公爵様のもとには有望な冒険者が両指じゃ足りねえほど集まっている。テメエと同じAランクだけじゃねえ、Sランク冒険者だって支援を受けてんだ。そういやあ、さっき偶然見掛けたSランク冒険者パーティー『銀の月光』もラフォレーゼ公爵様の支援を受け始めたっつう話も最近耳にしたな。確かそうだったよなあ?」


「「ウッス!」」


 何処となく台本を読み上げているかのような印象をその台詞から覚える。

 おそらく、ラフォレーゼ公爵の話から『銀の月光』へと無理矢理話を結び付けたいという意図が透けて見えた気がしたからだろう。


 男たちから胡散臭さが漂ってくる。

 そもそものところ、俺たちに絡んで来た時点で何かおかしかったのだ。

 わざとらしく喧嘩を売っておきながら、そのくせ、戦う素振りを一切見せてこなかった。

 金銭を目的にした揺すりでもなく、かといって本気で俺たちのことを邪魔だと思って絡んできたわけでもないだろう。


 であるならば、男たちの目的は最初から『銀の月光』にまつわる噂を俺たちにすることだったのではないかと思えて仕方がない。


 ものは試しだ。

 少し揺さぶり、男たちの反応を確かめることにする。


「……『銀の月光』? 悪いんだけど、俺たちはあまりこの国の冒険者に詳しくないんだ。いまいちピンと来ないな」


 散々、男たちの口振りを『台本のよう』と思っておきながら、俺の演技も大概だった。

 俺のあまりの大根役者っぷりに、マリーを背負ったフラムが今にも笑い出しそうに身体を捩らせている。

 いついかなる時も俺の味方でいてくれると思っていたディアも、やや困惑した表情で遠目から俺の様子をうかがっていた。


「チッ……そうかよ。だったら、もう用はねえ。行くぞ、お前ら」


 そんな大根役者の俺でも何とか男たち『黒狼の牙』を騙せたようだ。

 俺が『銀の月光』を知らないと知るや否や、『黒狼の牙』は興味をなくしたとばかりに俺たちに背を向け、ダンジョンの奥へ進んでいったのだった。




「申し訳ありませんでした……。ブルチャーレの貴族である私が間に入るべきだったと言うのに……」


 休憩を終え、再度十階層へ向けて歩き出したその道中、リディオさんが眉を下げ、謝罪をしてくる。


 これでもう四度目の謝罪だった。

 いくら『大丈夫』と言っても罪悪感が彼の心を蝕んでいるのか、一向に気が晴れる様子はない。


「気にしないでください。これでも冒険者ですから、ああいった揉め事には慣れてますし」


「いや、ですが……」


「相手はラフォレーゼ公爵家を後ろ楯にしていましたし、ブルチャーレの貴族であるリディオさんが強く出られないことは理解できますから。それに、同じ貴族とは言っても男爵と公爵では地位も権力も大きく異なります。公爵家に楯突けばどうなるかってことくらい同じ男爵である自分もわかっていますので」


 付け焼き刃にも劣る、俺の想像の中のそれらしい貴族の常識を語り、リディオさんを懸命に慰める。

 しかし、リディオさんの表情は相も変らず暗いまま。

 ダンジョンに入ったばかりのハツラツとしたリディオさんの姿は今となっては見る影もない。


「わたしが言うのも変だけど、気にしないで。少し嫌な気持ちになったけど、誰かが怪我をしたわけでもないし、こうすけが頑張ってくれたからスッキリもした。もう誰も気にしてないよ」


 援護射撃とばかりにディアも会話に加わる。

 そしてあの時、最も恐怖で怯えていたマリーも輪に加わった。


「こうすけお兄ちゃん、カッコ良かったですっ! だからもう怖くないですよ?」


 俺だけではなく、ディアとマリーからも慰められては、流石に暗いままというわけにはいかなくなったのだろう。

 自らの頬を両手で二度強く叩き、リディオさんは頬に赤い手形をつけると、ようやく元気を取り戻す。


「皆さん、ありがとうございます! この御恩は一生忘れません!」


「暑苦しいし、大袈裟な奴だな」


 ボソリとフラムからそんな声が聞こえて来た気がするが、きっと気のせいだろうと無視し、俺たちは足を進めていき、そしてついに十階層へと続く階段へと到着したのであった。


―――――――


 紅介たちが十階層に到着した頃、『銀の月光』はちょうど九階層に足を踏み入れた。


 通い慣れたこのダンジョン――深淵迷宮は、もはや彼女たちにとっては庭のような場所。

 迷うことも魔物に苦戦することもなく、足早に奥へ奥へと進んでいく。


 その途中、魔物との激闘を終えたばかりの見知らぬ四人組の冒険者たちから視線を受ける。


「またか……」


 オリヴィアが愚痴にも等しい言葉を、眉を顰めながらポツリと零す。


 ダンジョンの中で冒険者とすれ違ったのは既に数十回以上。その度に彼女たちはSランク冒険者に向ける憧れや尊敬の眼差しとは全く異なる奇妙な視線を受けていたのである。


「もう気にするだけ無駄……。さっさと行こうよ……」


 ノーラは既に無視できるほどにはその視線に慣れてしまっていた。とうに諦めの境地にいたのだ。


「そう、だな……。気にしたところで解決する問題でもない。無理矢理聞き出すこともできるが、今はあまり目立つような行為は避けるべきだ」


 その言葉はノーラにではなく、自分に言い聞かせるための言葉だった。


 何とか耐え、大人の対応を見せるオリヴィアとノーラ。

 が、ルミエールは違った。

 二人のように大人にはなりきれていなかった。

 堪忍袋の緒が切れたと言わんばかりに、奇妙な視線を向けたきた冒険者のもとへ大股で歩いて近付くと、気弱そうな男の胸ぐらを掴み、底冷えする声で問い質す。


「貴様……その視線は何だ? 何か言いたいことでもあるのか?」


「んぐっ!? いあっ……うっ……!」


「吐け。二度は言わん」


 足をバタつかせ、必死に男が逃れようとする。

 が、完全に頭に血が上ったルミエールがそれを許すはずがなかった。

 それから数秒もしないうちに、男はあっさりと白旗を上げ、視線の真相を口にする。


「う、噂を聞いただけなんです! 許してください!」


「噂だと? どんな噂だ」


「べっ、別に疚しい話なんかじゃありません! ただ『銀の月光』がラフォレーゼ公爵から支援を受け始めたと聞いただけで――いづっ!?」


 それだけ訊けば、もう用はなかった。

 岩肌が剥き出しになった地面に男を投げ捨て、ルミエールはオリヴィアたちのもとまで戻り、視線の真相を二人に伝えた。


「……偽の情報をばら撒いたのはおそらくラフォレーゼ公爵の手の者の仕業だろう。やはりこのまま放置するわけにはいかないか。急ごう、彼らのもとに」

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