第648話 貴族社会へ

「さあ! ナタリー、マリー! 今宵は私たち三人だけで宴だ! 今日この世界で最高の料理を口にするのは私たち! 存分に楽しもうではないか!」


「はいですっ!」


「あらあら、それは楽しみね」


 マリーとナタリーさんは空気を読んで、負のオーラを纏うフラムのノリに合わせてくれていた。


 歓待の宴に向かうのは俺とディア、そしてイグニスの三人。

 貴族らしい服に着替えを済ませ、いざ出発という場面で、フラムからこの言葉と共に恨めしい視線が飛んできていた。

 エドガー国王に宴への参加を禁じられたフラムはあからさまに拗ねている。

 最高級料理に釣られてしまった手前、留守番になったことに文句を言うことはなかったが、それでもフラムの機嫌は明らかに傾いていた。


「じゃ、じゃあ俺たちはそろそろ……」


 フラムの圧に屈し、舌が上手く回らなかった。

 それに加え、気まずさと罪悪感によってフラムを直視することができない。


「ええっと……。うん、行ってくる……ね」


 ディアもディアでかける言葉が見つからなかったようだ。

 かなり気まずそうにしながら、一足先に部屋から出ていく。

 そして、いつもこういう時に頼りになるイグニスはというと、フラムたちに一礼をするだけで何も言葉を掛けることはなかった。

 つまるところ、こうなってしまったフラムには何をしても無駄だと言うことなのだろう。

 俺もイグニスに倣い、軽く頭を下げ、最後に一言残して部屋を出ていくことにした。


 無論、その言葉はフラムの機嫌を取ろうと必死に頭をこねくり回し、捻り出したものだ。


「そうだ、明日はフラムの行きたいところに行こうか。ラビリントの地図を置いていくから、俺たちが帰ってくる間に行きたいところを探しとい――」


「――主よ、明日一日だけしかくれないのか?」


 とてもじゃないが、Noと言える雰囲気ではなかった。

 フラムの機嫌を取り戻すにはさらなる譲歩が必要不可欠。その為ならば、俺はいくらでも譲歩しよう。


「……ナタリーさんとマリーも楽しめるなら、お好きなだけどうぞ」


「うむ」


 こうして俺たち三人はかなり気まずくなりつつも、宿を後にし、送迎の馬車に乗り込んだのであった。




 馬車が向かった先はラビリントの中央にある巨塔ジェスティオーネではなく、北の区画にある豪勢な屋敷だった。

 聞くところによると、屋敷の所有者は個人ではなくブルチャーレ公国が所有している物とのこと。

 国賓等を接遇するために建てられた迎賓館のようなもののようだ。


 建物の造りは迎賓館に相応しく、そんじょそこらの屋敷とは大きく異なる。

 大きさもそうだが、何よりその屋敷には歴史と格式が一目見ただけで感じられる造りとなっていた。

 建物自体はそれなりに年季が入っている。しかし、一概に古臭いとは言い難く、古い建物ありながら、徹底的に手入れがされており、俺は数百年前にタイムスリップした感覚に襲われた。


 庭の中央あたりで俺たちを乗せた馬車が停まる。

 ここまで運んでくれたラバール王国の使用人の方が御者台から降り、馬車の扉を開けてくれる。

 イグニス、俺、ディアの順で馬車からの降り、使用人の方に礼を告げ、屋敷の入り口にできていた列の最後尾に並ぶ。


 ここから先に入るためには身分証明が必要となる。

 つまるところ、貴族やその他招待客である証明をしなければならない。


 俺は列に並んでいる途中、ささっと虚空から三枚の羊皮紙を取り出し、そのうちの二枚をディアとイグニスに手渡す。

 この羊皮紙には玉印と共にエドガー国王の直筆で俺たちの身分が貴族であるという証拠が明示されていた。

 それぞれ羊皮紙の内容に目を通していく。

 俺のところには長々と俺の身分を証明する文章が続き、最後に『コースケ・ルージュ男爵』た書き示されていた。おそらく二人の方には『ディア・ルージュ男爵』、『イグニス・ルージュ男爵』と書かれてるはずだ。


「確認は済んだ? 大丈夫そう?」


「うん、大丈夫だと思う。けど、三人ともルージュ男爵ってなってるけど、変に思われないのかな?」


 あまり周囲に聞かれたくない話だ。声を潜めてディアが首を傾げる。


「身分制度のことは俺もよくわかってないけど、国王様が何も言ってこなかったってことは大丈夫なんじゃないかな? きっと……うん、たぶん……」


 同じ姓、同じ爵位を持っている者が三人。

 俺の中の常識と当て嵌めると、かなりおかしな感じがするが、エドガー国王がうっかりしていなければ、問題はないはず。

 それでもあまり自信はなかったが、結局のところ入り口で行われていた身分照会を無事にパスした俺たちは何の疑いも持たれずに迎賓館の中に入ることに成功した。


 ふかふかの絨毯が敷き詰められた長い長い廊下を、案内板の指示に従いながら進んでいく。

 前にも後ろにも貴族らしき人たちがおり、いつ声を掛けられるんじゃないかとビクビクしながら足を進める。


 ちなみに、今回俺たちが着ている服は全てエドガー国王からの借り物だ。

 俺とイグニスは、ジュストコールと呼ばれる膝丈まである華美な上着を羽織り、中にはフリルのついた白のシャツという比較的ベーシックな物。

 同じ黒色の服なのだが、刺繍やデザインに差があるからか、全く異なる印象を受ける。

 正直に言って、俺の場合は服を着ているというより、服に着せられている感がどうしても否めない。

 背の高いイグニスの隣に立つと激しく見劣っていると自覚させられてしまうが、今だけは我慢するしかなさそうだ。


 そして、ディアはというと、露出の少ない大人しめの淡い青色のドレスを身に纏っていた。

 神々しいほどの美貌を持つ彼女ならば、どんなドレスでも似合うこと間違いなしなのだが、今回に限っては少し事情が異なる。

 ディアはベールで顔を覆い隠しているのだ。

 その理由は言うまでもなく、美し過ぎる顔立ちにある。

 ある種、魅了のような力すらも発揮しかねない彼女の容姿は目立ち過ぎてしまう。

 故に、エドガー国王からの助言により、ディアはベールで顔を隠すことにしたのである。


 長い廊下を抜けると、全身を鎧で固めた二人の騎士が守る巨大な二枚扉の前に辿り着く。

 俺たちが扉の前に立つと、二人の騎士がこちらの姿を一瞥した後、一礼して扉を開けてくれた。

 彼らの視線から察するに、おそらく簡易的な持ち物検査のような役割も担っているのだろう。

 その証拠に両騎士の情報を覗き見ると『危機探知』というスキルを持っていた。

 上級アドバンスに位置するスキルである『危機探知』の能力は、その名の通り危険を察知するというもの。

 武器や毒などの他者を害する物を持っているとスキルが反応し、騎士が入場を止める構図になっているとみて、まず間違いなさそうだ。


 当然のことながら、今の俺たちは危険物にあたる物を持っていないため、簡単に入場を許可された。

 こんなことに意味があるのかと思いつつ、扉を通り抜けた俺たちはようやく会場入りを果たす。


 目の前に広がる光景は、俺たちが知る世界とは全く異なる世界だった。

 以前、何度かラバール王国で似たような場に参加させてもらったことはあったが、率直な感想を述べると、レベルが違うと言わざるを得ない。

 会場の規模、参加人数、調度品の数々、他にも全体的な金のかかり具合など、俺たちが過去に参加してきたものとは比較にもならないほど豪華だったのだ。


「ちょっと緊張してきたかも……」


 俺の横に立つディアから、素直な感情の声が漏れ出る。

 対するイグニスは、いつもと変わらないすまし顔をしていた。

 緊張の色は一切見当たらない。

 それどころか周囲を軽く見回し、早速怪しい者がいないか確認を始めているようにも見える。


「どうやら参加していませんか。それともまだ到着していないだけの可能性も……」


 と、思いきや、俺の勘違いだったようだ。

 イグニスの視線は明らかに特定の誰かを探している節があった。


「もしかしてルミエールを?」


「ええ。他にも、愚妹以外の竜族がいないか探していたのですが、今のところは見当たりません」


 竜族の卓越した嗅覚と視覚で同族探しをしていたようだ。

 俺もイグニスを見倣って『始神の眼ザ・ファースト』を発動。怪しい人物がいないか探りを入れていく。


 入り口の前で一通り確認を終えた俺たちはその後、ウエイターからウェルカムドリンクを受け取り、人の少ない場所へ移動。それからここから先の方針を改めて確認する。


「宴が始まるまではここで情報収集を行おう。イグニスは入り口を、俺とディアは会場内の人たちを隈なく確認していこうか」


「うん、わかった。それで、宴が始まった後はどうするの?」


 三人でずっとここで固まっているだけではここに来た意味が薄れてしまう。


 定めている大まかな目標は三つ。

 ・精神汚染者の調査及び治療。

 ・シュタルク帝国の諜報員の捜索。

 ・パオロ・ラフォレーゼ公爵の真意の確認。


 これらを目標に、俺たちはわざわざこの場に参加したのである。

 精神汚染者とシュタルク帝国の諜報員の捜索に関しては『精神の支配者マインド・ルーラー』と『始神の眼』があれば、今いる場所に留まって観察するだけで事足りるだろう。


 しかし、ラフォレーゼ公爵の真意を確認するためには、留まっているだけではどうにならない。

 まずは接点を持ち、ラフォレーゼ公爵と直接的対話ができる環境を整えなければならない。

 だが、相手はブルチャーレ公国四大公爵家の一人。そう簡単に対話をすることなどまず不可能だ。

 ともなれば、まずはブルチャーレ公国の貴族と接点を持ち、ラフォレーゼ公爵の取り巻きへ、そして当の本人へと徐々に繋がっていくしかないだろう。


 ディアの質問に対し、俺はやや強張った顔つき、かつ何処となく消極的な声色で、こう答えた。


「……色んな貴族に接触して親交を深めよう」


 気乗りしないが、仕方がない。

 ブルチャーレ公国の貴族社会に潜り込むことを俺たちは決めたのであった。

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