第646話 水面下で動く者たち
「イグニスよ、そのくらいにしておけ。折角のケーキが不味くなるだろう」
「申し訳ございません、フラム様」
意外なことにイグニスを窘めたのはフラムだった。
フラムの立場を考えれば、同族が利用されてしまったのだ。面白い話であるはずがない。憤慨するのが普通だろう。
しかし、フラムの表情はルミエールの話を聞く前と全く変わっていなかった。
良く言えば冷静、悪く言えば無関心。
表情を取り繕っている可能性までは否定できないが、おそらくフラムにとっては取るに足りない話でしかなかったのだろう。
フラムはケーキを頬張りながら、やや消沈気味のルミエールに質問をいくつか投げ掛ける。
「パオロと言ったか? そいつはお前のことを竜族であると吹聴して回っていたのか?」
「……いいえ。あの場では『銀の月光』の一人として紹介されただけでした」
「まあ、それもそうか。囲い込む前に吹聴しようものなら、周囲から反感を買うことは容易に想像がつく。今は土台作りに励んでいる真っ只中と言ったところだろうな」
言い方は悪いが、ルミエールは謂わば兵器のようなものなのだ。
使い方さえ間違えなければ、大国であるブルチャーレ公国でさえも乗っ取れるかもしれない、人智を超えた力を秘めている。
その力を欲しようと思う者が四大公爵家だけとは限らない以上、下手に吹聴すれば競合相手を増やすだけ。そんな馬鹿な真似をするとは流石に思えない。
それにしても、パオロ・ラフォレーゼ公爵の行動には不可解な点が多い。
晩餐会の会場ではルミエールを欺けたかもしれないが、それが一時的なものであることは少し頭を働かせれば簡単にわかりそうなもの。
その後に、真実を知ったルミエールの怒りを買ってしまうことを考えれば、正直に言って下策と言わざるを得ない。
「何を考えているんだ? ルミエールの怒りを買って良いことなんて一つも……」
頭の中にあった言葉が口からポツリと零れ落ちる。
そんな俺の呟きを拾い上げたディアは、ふと何か閃いたのか、おもむろに口を開いた。
「本当は怒りとか恨みとか買いたくなんてなかったけど、買うしかなかったとか?」
「形振り構っていられなかった、と。なるほど……それなら十分に有り得る話だ」
囲い込むにしろ、本来ならば時間を掛けてゆっくりと友好関係を築いてから仲間に引き入れた方が圧倒的にリスクは低く済む。
それこそルミエールから怒りを買う可能性も、『銀の月光』から裏切りにあう可能性も大幅に減らせるだろう。
しかし、ラフォレーゼ公爵はそうはしなかった。いや、そうすることができなかったと考えた方が納得のいく話だ。
とはいえ、所詮は憶測に過ぎない。
仮にこの憶測が正しかったとして、何故手順を省いたのかまではまだわからない。
ただ単に気が回らない傲慢な男だったのか、時間の猶予がなかったのか。
理由は他にもいくつか考えられるが、今考えたところで答えが出るわけではない。
だが、何事にも最悪の事態を想定するべきだろう。
問題が発生してからでは遅い。手遅れだ。
俺はマギア王国で先手を打つ大切さを思い知らされたばかり。
そして俺たちが今、最も危惧すべき事態は一つだ。
「もしこの件にシュタルク帝国が一枚噛んでいたとしたら……」
「絶対に見過ごすわけにはいかないよね」
そう返事をしたディアの顔が途端に引き締まる。それはフラムもイグニスも同じだった。
マギア王国では常に後手後手となった挙げ句、最悪の一歩手前まで追い詰められてしまった。
相手の準備が万全だったから仕方なかったなど、ただの言い訳だ。
もしマルティナの死を防げていれば。
もしリーナともっと早く打ち解けていれば。
もし《
沢山の『もし』が、今も俺の頭の中を駆け巡っている。
だからこそ、失敗は許されない。同じ轍を踏むことなどあってはならない。
「可能性は限りなく低いかもしれないけど、ラフォレーゼ公爵が精神汚染を受けていることもあり得るし、一度は確認した方が良さそうだ」
今の俺なら精神汚染や精神操作を受けている者を発見し、解除することは然程難しいことではない。
そこにディアの魔力可視化能力を加えれば、余程のことがない限り見落とすことはないはずだ。
「ただ厄介なのは相手がこの国で四本の指に入る貴族ってとこだ。会おうと思って会えるほど簡単な相手じゃない。俺たちがAランク冒険者だろうと、ルミエールの友人と名乗ろうと門前払いをされるのがおちだろう。さて、どうしたもんか……」
マリーとナタリーさんに楽しんでもらうために計画した家族旅行が、ルミエールとの偶然の再会により、きな臭い方向へと進んでいく――。
――――――――
同日、巨塔ジェスティオーネの頂上、その会議室にて急遽『四公会議』が開かれていた。
議題は大きく分けて三つ。
一つはラバール王国の到着を祝うために明日開催予定の『歓待の宴』について。
この宴では主に各国の貴族同士の交流会と、魔武道会の出場者挨拶が行われるのが慣例となっている。
国家の威信を、と言ったら過言だが、大国に相応しい場を提供しなければならない。
そのための準備は既にほぼ全て終えているとはいえ、警備体制の整備や出席者の把握など、まだまだ改善の余地は残されている。
それらの最終調整のために、議題の一つとして挙げられていた。
だが、今は特段取り上げるほどの議題ではなかった。
もちろん、軽視することはできないが、それ以上に大きな問題を抱えていたのだ。
重苦しい雰囲気の中、ダミアーノ・ヴィドーがついに本命とも呼ぶべき議題へと話を移す。
その表情は苛立ちなどを遥かに超え、まるで悪鬼のような形相をしていた。
「今日到着したばかりのエドガー・ド・ラバール国王から話を訊いてきた。予想通りと言うべきか、我々が送ったはずの使者の存在など全く知らなかったそうだ。帰国後、入国者リストを調査するとの言葉はもらったが、おそらく我々が送った使者はラバールの地に足を踏み入れる前に、何者かの手によって消されたとみるべきだろう」
言葉の端々に怒りが滲む。
しかし、これでもまだヴィドーは堪えていた方だ。
彼の本当の怒りはまだ始まってすらいなかった。
――ドンッ。
円卓を拳で叩きつけ、けたたましい音が鳴り響く。
叩きつけた拳は血が滲むほど強く握られており、ヴィドーの表情を窺うまでもなく、怒髪天を衝いていることがわかる。
「だが、このようなことは些事に過ぎない。――誰だ! ラバールに暗殺者を仕向けた反逆者は!」
返事はなかった。
誰一人として表情一つ動かすことなく、ヴィドーの怒りを淡々と受け止め、続く言葉を待つ。
「私のメンツがいくら潰れようがどうでもいいことだ。しかし、シュタルク帝国が動き出した今、我が国とラバール王国の関係は良好であり続けなければならない。同盟国であるということを抜きにしても、シュタルク帝国の覇権を防ぐためにはラバール王国との共闘は必須。この期に及んで両国の関係に罅を入れることに何の利があるというのだ」
ただでさえ、ブルチャーレ公国は竜族という切り札において遥かに他国より劣っている。
無論、竜族の有無だけが各国の軍事力を測る指標とはならないが、それでも決して無視できるものではないことは、この場にいる誰もが理解していることだった。
息を乱し、目を充血させるダミアーノ。
鎮まることを知らぬダミアーノの怒りに、四大公爵家最年長当主であるマファルダ・スカルパが落ち着き払った声を上げる。
「少しは落ち着いたらどうだい。まだこの中に犯人がいるとは決まっておらんじゃろうて。それに幸いなことに暗殺は失敗に終わったのじゃろう? まだ取り返しはつくはずじゃ」
「結果論だけで語らないでもらいたい、マファルダ殿。ましてや暗殺を未然に防いだのは我らではないのだ。責められることこそあれど、褒めれれることなど何一つとしてありはしない。実行犯の受け渡しは既に済ませた。大至急、暗殺者の身元を調べさせている」
そう辛辣な言葉を返しながらも、ダミアーノはある程度の落ち着きを取り戻していた。
マファルダの言葉を切っ掛けに議論がようやく進み出す。
次に口を開いたのは、それまでタイミングを見計らっていたウーゴ・バルトローネだった。
「誠心誠意の対応と真相の究明。まずはこの二つを急ぐべきであろう。歓待の宴の前に調べがつけばよいが……」
「流石にたった一日だけでは難しいと言わざるを得ない。それこそ数週間を費やしても尻尾を掴めるかどうか怪しいだろう」
ラバール王国一行に差し向けられた暗殺者集団の組織名さえも未だにダミアーノのもとまで報告が上がってきていない現状を踏まえると、真犯人まで辿り着くことは困難を通り越してもはや不可能に近い。
加えて、組織名が判明したところで、仲介役兼依頼者の捜索まで考えると気が遠くなる時間が必要になる。
「ひとまず今は進展を待つしかない」
そう締め括ったダミアーノは、その視線を一人の男に向けた。
これまで我関せずを貫き、黙り通していたパオロ・ラフォレーゼに。
「私が言いたいことはわかっているな。まずは弁明を聞かせてもらおうか、パオロ殿」
怒り、疑心、失望。
様々な感情が織り交ぜられたダミアーノの言葉を皮切りに、マファルダとウーゴの視線がパオロ一人に集中する。
「弁明だ? そんなものはねえし、そもそも後ろめたいことをした覚えもねえ。それにしても、随分とお耳が早いこって」
飄々とした態度はいつもと変わらない。
悪びれもせず、あけすけにそう言い放ったパオロからは罪の意識というものを感じさせなかった。
「ルミエール殿は我が国における最重要人物であり、客人だ。にもかかわらず、私物化しようなど言語道断。ブルチャーレ公国を消し炭にしたいのか?」
「勘違いをするのは勝手だが、それを俺に押し付けるのはいただけねえな。私物化なんてするつもりはねえし、ブルチャーレを消し炭にしてもらおうなんざ考えたこともねえ。俺はルミエールだけじゃなく『銀の月光』と仲良くしたかっただけだ、それのどこが悪い。むしろブルチャーレのために動いてやったんだ、褒めてほしいくらいだぜ」
反省の姿勢も見せずに軽く肩を竦めるパオロに、ダミアーノに代わりウーゴが巨大な雷を落とす。
「何が国のためであるか! 貴様の迂闊な行いでルミエール殿の怒りを買ったらどうするつもりだ! たった一体の竜に国が滅ぼされたという伝承を、よもや貴様は知らぬとでも言うのか!」
「知っているさ。だが、そんな話はお伽噺みたいなもんだ。ルミエール一人だけでブルチャーレが落とされるなんて本当に思ってんのか? 今と昔じゃ、文明レベルも軍事力も比べ物になりはしねえ。おっさんよう、この国の軍を預かってるんだろ? ブルチャーレ公国軍はたった一体の竜に敗れるほど軟弱なのか?」
「へっ、減らず口を――ッ!」
林檎のように顔を真っ赤に染めたウーゴにパオロはすかした笑みを向ける。
「冗談だ、冗談。ルミエールは――いやルミエール殿はこの国の客人であり、宝。下手に怒りを買うような真似はするなってことで良いんだろ? わかってるって」
パオロから反省の色こそ見えなかったが、言質は取った。
ひとまずはそれで納得することにし、ダミアーノが最後に釘を刺す。
「以降は不要な接触も避けるようにしてくれ」
「はいはい、と。……まっ、従うつもりなんざねえけどな」
最後に零したパオロの虫のような囁きは誰の耳にも届くことはなかった。
パオロの瞳が怪しく輝く。
狙った獲物は決して逃さないとその瞳が雄弁に語っていた。
そして、それはパオロだけではなかった。
マファルダもウーゴも、ルミエールの力に魅入られ、虎視眈々と水面下で動く腹積もりでいたのだ。
四大公爵家が纏め、治めるブルチャーレ公国。
彼らは決して一枚岩などではない――。
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