第645話 竜の兄と竜の妹

 ルミエールが動揺していることは手に取るようにわかった。

 揺れる瞳、震える身体、頬を伝うあせ

 泣いているわけではない。泣きたい気持ちになっている可能性は否定してきれないが、彼女は恐怖しているのだ。


 それにしても、どうして彼女はそこまで怯えているのだろうか。

 フラムに怯えるのならまだ理解できる。しかし相手は実の兄であるイグニスだ。

 基本的にイグニスは真面目で、俺の知る竜族の中では飛び抜けて人格者でもある。

 ただ、身内にだけは厳しくなってしまう者も多い。

 俺が知らないだけでイグニスにもそういった一面があるのかもしれない。


「ここでは通行の妨げとなってしまいますね。私事で申し訳ありませんが、場所を移しても構いませんか?」


 そんなイグニスの提案により、俺たちは大通りから外れ、そこで偶然見つけた喫茶店に場所を移した。


 喫茶店に入った俺たちはひとまず全員分の飲み物とお茶菓子を注文。

 俺はラバール王国では滅多にお目にかかれないコーヒーと、チョコレート菓子を。他の皆はそれぞれ紅茶やらジュース、他にはケーキなどを頼み、そしてテーブルの上に並べられるのを待った。


 マリーとナタリーさんは甘い物に目がないのか、それとも空気を読んでくれたのかわからないが、なるべく会話の邪魔にならないよう配慮してくれている間に、イグニスが口火を切る。


「ルミエール、貴女は『銀の月光』という冒険者パーティーに属していると聞き及んでいましたが、今は別行動中なのですか?」


「はい、兄上。実は少し面倒なことに巻き込まれまして、ここ最近は就寝時以外、なるべく別行動を取るようにしているのです」


 ルミエールの彼女にしては丁寧過ぎる言葉遣いにかなりの違和感を覚える。だが、それ以上に『面倒なことに巻き込まれた』という言葉に引っ掛かってしまう。


 フラムやイグニスと比べればやや劣ってしまうとはいえ、竜族の中でも彼女は上位者なのだ。武力で解決できる面倒事なら自力でどうとでもなるはず。

 だが、彼女の口振りから察するに、武力では解決できない何らかの問題に直面しているとみてまず間違いなさそうだ。


「面倒事ですか。大方、貴族の勢力争いにでも巻き込まれたのでしょう? 失態を晒しましたね」


 途端、イグニスの視線が厳しくなる。

 やはり身内には厳しいタイプなのだろう。日頃からルミエールのことを『愚妹』と呼んでいたことからも、俺の予想は当たってそうだ。


「な、何故そのことを兄上が……」


 どういうわけかイグニスはルミエールの悩みの種をズバリと当ててみせたようだ。

 それからイグニスは、ルミエールにも、そして俺たちにもわかるように持論を語り始めた。


「簡単な推測ですよ。ラバール王国がフラム様の威を借りているように、これまでブルチャーレ公国はルミエールの威光に縋りついていました。しかし、ここに来て状況が変わってしまった。水竜族がマギア王国の女王に肩入れしているという噂をきっかけに、危機感を抱いたのでしょう。マギア王国には水竜族が、ラバール王国には炎竜王ファイア・ロードであらせられるフラム様が、シュタルク帝国には地竜王アース・ロードを筆頭とした一部の地竜族が。真実はどうであれ、それぞれが後ろ楯になっているとでも勘違いをしたのでしょう。その一方で、ブルチャーレ公国には頼れる竜族がルミエールしかいません。無論、ルミエールがそれに応じるかどうかは全くの別問題ですが」


 ここまでケーキに夢中になっていたフラムがフォークを置き、口を挟む。


「後ろ楯になった覚えなんてないぞ。ただ、そう思われてしまうのも無理はないかもしれないがな」


 フラムの言う通りだ。

 俺たちとエドガー国王がここまで懇意にしているのは、互いに利があったからこそ。つまるところ、Win-Winの関係を築けているからだ。

 ただし、例外的にアリシアだけは利益どうこうだけの関係ではない。

 もしアリシアに何かあれば、俺たちはすぐにでも駆け付けることだろう。

 教え子だったこともそうだし、フラムの弟子でもあるアリシアは、俺たちにとって今では掛け替えのない妹的存在になっているからだ。


「仰る通りかと。私めを含め、ラバール王国の後ろ楯になった覚えなどありませんし、国王エドガーもそこを履き違えるような愚王ではありません。ですが、ここで肝心なのは周囲にどう見られているのか、どう見えているのか、なのです。反乱分子を駆逐したラバール王国は今や一枚岩となり、国王エドガーのもとでほぼ完璧と言っていいほどに管理されています。しかし、ブルチャーレ公国は異なる。この国の仕組み上、大公なる国の長こそいるものの、その内情は私たちが思っている以上に複雑なものになっているのでしょう。とりわけ四大公爵家なるものが、富を、権力を、名声を、また武力を求め、暗闘していたとしても何ら不思議なことではありません。むしろ、欲深い人間の性質を考えると、正常とさえ思えます。そして、ブルチャーレ公国における絶対的な武力とも呼べる存在は私めの愚妹一人。世界の均衡が崩れ、混沌の時代へと向かおうとしている今、ルミエールを抱え込もうと動く貴族が現れたのだろうと愚考した次第でございます」


 まるで全てをその眼で見てきたかのような鋭すぎる推測だった。

 事実、ルミエールがイグニスの言葉を否定しないところを踏まえると、イグニスの推測はほぼ的中しているとみて間違いないだろう。


「私めからは以上となります。ルミエール、ここからは何があったのか貴女の口から説明しなさい」


「承知致しました、兄上」


 ルミエールはそう言い、事の経緯を語り始めた――のだが、どうやら彼女自身、何が起きているのかあまり理解していないらしく、四大公爵家の一つ、ラフォレーゼ公爵家の当主に気に入られたこと、沢山の贈り物をもらったこと、晩餐会に招かれたこと、当主と共に入場してしまったこと等々、彼女の身に起きた出来事だけを語っていった。


「我としては、気にする必要などないと思っているのですが、なぜだかオリヴィアとノーラ……我の仲間たちがやたらと神経を尖らせているのです」


 状況がわかっておらず、困惑するルミエールにイグニスがピシャリと言い放つ。


「――自分の置かれた立場すらわかっていないとは、まったく愚かとしか言いようがない。対照的にオリヴィア様とノーラ様は賢明なご判断をされたようですね。ルミエール、よく聞きなさい。パオロ・ラフォレーゼなる者に『銀の月光』は支援を受けている。事実とは異なっていようが、その場にいた者たちにはそう思われてしまった。そのような状態で冒険者として活動を続けてしまえば、加速度的に偽の情報が広まってしまう恐れがある。もしそこでさらに贈られた物を使用してしまっていれば取り返しがつかないことになってしまうことは火を見るよりも明らか。今はまだ噂程度で収まっているかもしれませんが、この噂を払拭しない限り、冒険者として活動することは控えて然るべきでしょう」


「つまり我はパオロに良いように利用されたと?」


 ようやく状況を理解したのだろう。

 テーブルの上に置いていた小さな拳が怒りによってわなわなと震え上がっていく。


 おそらくオリヴィアとノーラは、あえてルミエールに状況を説明していなかったに違いない。

 それがルミエールに罪悪感を抱かせないためなのか、怒るルミエールの暴走を防ぐためなのか、あるいはその両方なのか。

 どちらにせよ、二人がルミエールに真実を伏せていたことは正解だった。


 拳を震わせていたルミエールは突如として立ち上がり、店の出口に向かおうと一歩踏み出す。

 十中八九、怒りに任せてパオロ・ラフォレーゼ公爵のもとへ向かうつもりだったのだろう


 だが、イグニスがそれを許さない。


「止めておきなさい。相手は四大公爵家の一つ。暴力で解決しようとすれば、仲間に多大な迷惑を掛けることになるでしょう。人族が人族の国家に刃向かえばどうなるか。竜族である貴女には関係がないことかもしれませんが、御二人は違う。罪人として裁かれるか、追手に怯えながらこの先生きていくことになるでしょうね」


「――ですが、兄上!」


 怒りで冷静な思考力を失ったルミエールは懸命に食い下がろうと、兄であるイグニスに凶悪な眼差しを向けた。

 しかし……、


「――止めろと言っている。たとえ妹であっても二度はない」


 より凶悪な眼差しと言葉によって、ルミエールは奥歯を強く噛み締め、席へと戻ったのであった。

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