第644話 首都ラビリント

「とーちゃくっ! ですっ!」


 歓喜の感情を爆発させたマリーは、ドレス姿の小さな身体を目一杯伸ばし、両手を雲一つない青空に高々と掲げる。


 俺たちはついにブルチャーレ公国首都ラビリントに到着した。


 今でこそ、一般人の立ち入りが禁じられている場所まで移動したことで比較的ゆっくりとした時間を過ごせているが、ラビリントに到着したばかりの時はてんやわんやの大騒ぎだった。

 ラバール王国一行を出迎えるために、ラビリントの大通りには数万規模の人々が集まり、あちらこちらで熱烈な歓声が。

 友好国であり、軍事的な同盟国でもあることもあってか、大通りに集まった人々から好意的な声しか聞こえてこなかったのは、ラバール王国側からしてみれば喜ぶべきところなのではないだろうか。


 とは言ったものの、もはや今の俺たちとはあまり関係のない話でしかない。

 ラバール王国一行とは道中を共にしてきたが、ここからは俺たちだけの時間を過ごしていくことになるからだ。


 首都ラビリントの造りや文明レベルはラバール王国の王都プロスペリテとそう大差はない。

 しかし、都市の中心にある物だけは大きく異なっている。

 ラビリントの中心にあるのは城ではなく、天を穿くほど巨大な塔だった。


 ――巨塔ジェスティオーネ。

 ダンジョンの入口にして、ブルチャーレ公国の政治を司る議会所でもあるジェスティオーネはこの都市の象徴たる建築物だ。

 興味深いことに全八層構造となっているジェスティオーネは二層までなら一般人の出入りが許されており、観光名所の一つとなっているらしい。是非とも一度は足を運んでみたい場所である。


 マリーに続いて馬車から降りた俺は、凝り固まった筋肉を身体を伸ばすことでほぐしながら、全員が降りて来るのを待つ。

 揃うまでの間に、俺はここまで御者台に乗って馬車を動かしてくれたロザリーさんに声を掛けることにした、


「道中では色々ありましたけど、ロザリーさんのお陰で快適に過ごすことができました。ありがとうございます」


「お礼を言わなければならないのは、むしろこちらの方ですのでお気になさらず。それよりも、これから皆様はどちらに?」


「とりあえずは宿探しですかね。一週間後に魔武道会が控えているので、宿が見つかるかどうか怪しいところですけど……」


 世界最大のダンジョンが都市の真下にあることもあり、ラビリントには常に多くの冒険者たちが詰め掛けている。

 そのため、宿一つ見つけるのにかなり苦労するという情報を俺は持っていた。

 そこに拍車をかけるように魔武道会が開かれるともなれば、その競争率は想像もつかないことになっていることは間違いない。下手をすれば宿が見つからないなんてことも十分にあり得るだろう。

 あまり乗り気になれないが、その時はゲートに頼らざるを得ない。電話一本で宿を取れる世界ではないのだから、仕方がないことだと割り切るしかなかった。


 宿が取れずに初日から躓くことになるんじゃないかという不安が顔に出てしまっていたのかもしれない。

 だからなのか、ロザリーさんは何処からともなく一枚の紙を取り出すと、御者台から降りてその紙を俺に手渡し、こう言った。


「これは……?」


 受け取った紙に目を通す。

 そこに書かれていたのは文字ではなく、手書きの地図だった。その地図には一つの黒い星印が描かれていた。


「もし宿にお困りでしたら、こちらを訪ねてみて下さい。万が一のための予備として宿を押さえていたのですが、必要がなくなりましたので。こちらが紹介状になります」


 続けてロザリーさんから紹介状を受け取る。


 何ともありがたい提案だった。

 これで宿を探す手間が省ける。

 宿の質に関しても心配はいらないはず。ラバール王国が他国で質の低い宿を借りるとは考えにくいことからも、ある程度の質であることは保証されたも同然。渡りに船とはまさにこのことだ。


「何から何まで本当にありがとうございます。この後すぐにでも訪ねてみますね」


 気付けば全員馬車から降りており、俺とロザリーさんの会話を横から聞いていたようだ。

 それぞれロザリーさんへ感謝の気持ちを示し、俺たちはラバール王国一行から離れ、早速地図に記された宿へと向かった。




 地図に記された宿は俺の想像を遥かに超えていた。

 建物の外観もさることながら、通された部屋も超がつくほどの高級感溢れる広々としたものだったのだ。


「ほう、なかなか良い部屋だな。寝室だけで六部屋もあったぞ」


 ひとしきり室内の探索を終えたフラムが満足そうに何度も頷く。


 トイレと風呂はもちろんのこと、キッチンまで備え付けられており、広々としたリビングは十人が集まっても余りあるスペースが確保されている。

 宿というよりかは高級マンションの一室とでも呼ぶべき一室に不満を抱く者は誰一人としているはずもなし。

 おそらく、俺たちが通された部屋はエドガー国王かアリシアあたりのために用意された予備の部屋だったのだろうことが容易に想像がつく。


 しかも、信じられないことに宿泊費はタダ。

 既にラバール王国が二週間分の宿泊費を支払ってくれており、一泊金貨三枚はくだらないだろう部屋にタダで泊まれることになったのである。

 加えて、セキュリティ面に関しても万全だ。

 俺たちが泊まる部屋以外の部屋はラバール王国の騎士や兵士、使用人などが使うらしく、宿全体がラバール王国によって貸し切り状態。

 そのため、盗賊や強盗などの犯罪者が入り込む余地は皆無に等しいと言えるほどの厳重な警備体制が敷かれていたのだ。


 さくっと部屋割りを決めるだけ決めた俺たちは、いくつかの荷物を置き、普段着へと着替えを済ませ、早々と街へと繰り出した。


「おっ祭り♪ おっ祭り♪」


 珍妙な歌を口ずさむマリーのテンションは最高潮に達していた。


「あらあら、この子ったら」


 『仕方ないわね』と苦笑いを浮かべながらも、迷子にならないようにナタリーさんがマリーの左手をぎゅっと強く握り締めた。


 まだ魔武道会まで一週間もあるというのに、ラビリントは既にお祭り騒ぎ。

 多くの露店が建ち並び、人々が行列を成す。

 歩くだけでも一苦労してしまうほどの人混みの中にいるにもかかわらず、マリーの楽しそうな歌声が途切れることはない。


「良かったね。二人を連れてきてあげられて」


 俺の隣を歩いていたディアがそう呟き、柔らかな笑みを見せる。


「ああ、二人の楽しそうな姿を見られただけでも来た甲斐があったよ」


ふぉうふぁあそうだな


 真後ろにいながら会話に割り込んできたのは、こういった場では必ずと言っていいほど毎度の如く頬袋を食べ物でいっぱいに膨らませたフラムだった。

 その手には薄切りにした肉をパンで挟んだ、凄まじいほどの刺激臭を発する物が握られている。


「いつの間に買ってきたん――」


 よそ見をしてしまったばかりに、正面からすれ違おうとして来た人の肩と俺の肩がぶつかってしまう。


「――あっ、すみません!」


 どう考えても過失は俺にある。

 すぐに前に向き直り、誠心誠意頭を下げて謝罪する。


「いや、気にするな。我の方こそ――……げえええっ!?」


 突如、俺とぶつかった女性から悲鳴に近い絶叫が発せられる。


 その声に俺は聞き覚えがあった。

 ゆっくりと頭を上げるとそこには、薄紅色の髪をツインテールにした褐色の肌の少女が――『銀の月光』の一人であり、イグニスの妹であるルミエールが大口を開けて立っていた。

 身体を震わせているように見えるのは、決して俺の見間違いではないだろう。


「……ななななっ、何故っ!? ああああっ、兄上がここにぃぃ!?」


 ルミエールの視線は俺ではなく、その奥にいたイグニスだけに向けられていたのであった。

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