第643話 宝具
山を越え、川を越え、荒野を抜けては密林地帯を通り、ようやく俺たちは首都ラビリントまで残り三日という都市まで来ていた。
ヴィドー公爵領交易都市エントラータ。
日はまだ高い位置にあるが、今日はこの都市で一泊してからラビリントに向かうことになっていた。
御者台に乗っているロザリーさんが言うには、この地は四大公爵家の一つであり、エドガー国王と懇意にしている現ブルチャーレ公国大公のヴィドー公爵家の領地ということもあって比較的安全だとのことだ。
その言葉を裏付けるように、エントラータでは護衛に加えて、多くの警備兵が巡回をしてくれている。
この分なら油断こそできないが、暗殺者の心配をする必要はあまりないだろう。
エドガー国王やアリシアは勿論のこと、その他の貴族は、この都市までわざわざ出迎えに来たブルチャーレの貴族とどこかで親交を深めるために会食を行うらしい。
つまるところ、今日一日俺たちは自由な時間を手に入れたというわけだ。
この機を逃す手はない。
家族旅行という当初の目的を実現すべく、俺は馬車から降りるや否や、早速行動に出ることにした。
「たった一日しかないけど、この都市を心行くまま存分に遊び尽くそうか」
「はいですっ!」
暑さに慣れ、元気を完全に取り戻したマリーの明るい声が返ってきたところで、俺たちは街へと繰り出したのであった。
近場の商店で購入したこの都市の地図もといガイドブックを片手に、エントラータを練り歩く。
交易都市ということもあり、この都市には多くの商店や出店が建ち並んでいた。
大通りにある出店からは食欲を誘う香ばしい匂いが漂い、その匂いに釣られたフラムとマリーはふらふらとその匂いのもとへと向かっていくと、大量の串焼きが入った袋を両手一杯に抱え、戻ってくる。
「そんなに買って大丈夫? 食べ切れるの?」
「
見ただけで胃もたれを起こしそうになる袋の中を覗いたディアが二人の胃の心配をするが、二人はお構いなしの様子。
しかし、まあ大丈夫だろう。
マリーは流石に厳しいが、身体のサイズからは想像もつかない無限の胃を持つフラムならば、平気な顔をしてペロリと平らげるに違いない。
それに途中で食べ切れないならば、俺の疑似アイテムボックスに突っ込んでしまえば、出来立ての状態でいつまでも保存ができる。帰り道の途中で小腹が空いた時に食べれば、無駄になることもない。
リスのように頬を膨らませたフラムとマリーを連れて、俺たちは次の店に向かう。
俺たちが次に向かった店は、厳重な警備が敷かれたこの都市一番の大商店だ。
手元にあるガイドブック曰く『この店にない物はない』なんて大袈裟なことが書いてあったので、気になって立ち寄ってみたくなったのである。
三階建ての店内に入ると、どでかい案内掲示板が俺たちを出迎える。
一階には食品や雑貨が、二階には衣類や家具が、そして三階には武器や防具などの商品が置いてあるとのことだった。
まるでデパートのような構造と数々の商品に好奇心が刺激される。
とりわけ、俺が気になったのは武器や防具を取り揃えた三階にある、『宝具売り場』なるものだ。
俺の我儘に付き合わせて申し訳ない気持ちになりつつも、三階の宝具売り場へと俺たちは向かった。
綺麗に陳列された武器や防具には目もくれず、奥へ奥へと足を進めると、徐々に店の雰囲気が変わっていく。
奥にあったのガラスケースに仕舞われた商品の数々は、博物館を想起させる。
値札など見るまでもない。
陳列というよりも展示と呼ぶべきガラスケースの中の商品には相当な値がついていることは一目見ただけでわかった。
「き、金貨三〇〇枚……!?」
俺の斜め後ろに立っていたナタリーさんから、悲鳴にも似た驚愕の声が漏れ聞こえてくる。
ナタリーさんの視線の先にあったのはパッと見ただけでは何の変哲もない無骨なナイフが飾られていた。
日本円にして約三千万。
一流の鍛冶職人が素材にこだわって打ったナイフだとしても、ここまでの値段はなかなかつかないだろう。
場所にもよるが、このナイフ一本だけで家が建つのだ。ナタリーさんが驚くのも当然だろう。
値段もそうだが、気になるのはその性能。
宝具と言うだけで高いのか、それともその性能によって高値がついているのか。
値札の横に記されていた商品概要を、横にいたディアが読み上げていく。
「ええっと……使用金属はミスリル。
おそらく所持者の魔力量次第で英雄級スキル並の威力を発揮できるということなのだろう――と思いきや、どうやらそうではないようだ。
「柄の先端部分に孔があるでしょ? そこに魔石を嵌め込んで足りない魔力を補うこともできるみたい」
「それは……凄いことなのかしら? 魔法を使ってみたいとは思ったことはあるけれど、いくらなんでも金貨三〇〇枚は……」
ナタリーさんはいまいちピンと来ていないようだが、魔法が使えない冒険者にとっては、喉から手が出るほど欲しいと思うような代物に違いない。
このナイフ一本で危機的状況を打破できる可能性を大いに引き上げることができるのだ。それに戦術の幅だって広がる。
そう考えると、金貨三〇〇枚という値段は適正価格のように俺には思えた。
ただし、売れるかどうかは全くの別問題だろう。
そもそものところ、三〇〇枚もの金貨を集められる冒険者が一握りしかいないのだ。
最低でもBランクはなければ貯められるような金額ではない。それもパーティー単位での話だ。一人で集めるとしたらそれこそAランクは必要だろう。
だが、Aランク冒険者ともなれば、それぞれ何かしらの
実際、俺たち『紅』にとっては、このナイフは無用の長物でしかない。
仮に付与されているスキルが別の系統魔法だったとしても、買おうとは思わないだろう。
強いには強い。けれど、必要ではない。
俺がこのナイフに抱いた感想は感じだった。
もちろん、購入者が冒険者だけとは限らない。
もしこのナイフを購入する者がいるとすれば、商人や貴族の中で、特にこれといった戦闘能力を持たず、それでいてお金を持っている人たちになるだろうか。
あるいは……、
ナイフ以外の宝具に目を通しているうちに、俺たち以外の客が宝具売り場にやってくる。その客とは、俺たちもよく知る人物だった。
「あれ? ロザリーさんが何でここに? それにその格好……」
人差し指を立てた私服姿のロザリーさんがその細い指を口元にもってくる。
正体を明かさないでくれという意味だとすぐに察した俺は、その先の言葉を止めた。
「少々、買い物を頼まれまして」
ロザリーさんは周囲に人がいないことを確認し、かつ声を潜めたことから察するに、極秘とまではいかないものの、あまり公にはしたくない仕事をこなしているのだとわかった。
「何か購入を考えている最中でしたか?」
「いえ、今のところは。面白そうな物は多いんですけどね」
そう会話をしながら、ロザリーさんにも商品が見えるように少し横にずれる。
「ご配慮感謝致します」
刀身が光る剣や、魔法系統スキルの威力を軽減する外套、跳躍力が上昇する靴、羽根のように軽い鎧など、なかなか興味深い商品こそあったが、どれも購入するまでには至らず、結局のところ冷やかしのようになってしまった。
そんな宝具の数々にロザリーさんはジッと目を通すと、おもむろに店員を呼び寄せ、次々と商品を指差していく。
「これとこれ、後は……あれと、そちらの鎧もお願いします」
五分にも満たない滞在時間で十点近くの宝具をあっさりと購入していくロザリーさんの姿に、俺は唖然とするわけでもなく、妙な納得感を覚えていた。
億はくだらない買い物を簡単に済ませてしまうあたり、流石は大国の資金力と言ったところだろう。
冒険者でも商人でもなく、そして貴族でもない購入者がいるとすれば、それは国家だ。
数こそ限られてしまうが、軍事力を手早く強化できる点を鑑みれば、いつか訪れるかもしれない戦争に備え、ラバール王国が宝具を買い漁っても何らおかしなことではない。
ポシェット型のアイテムボックスに購入した宝具を仕舞ったロザリーさんは帰り際、俺たちの元に立ち寄り、こう言った。
「備えはいくらあっても足りませんので。では、私はこれにて」
そう言い、ロザリーさんは颯爽と店を後にした。
その後、俺たちは目ぼしい観光スポットを時間が許す限り巡り堪能し、有意義な一日を過ごしたのであった。
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