第642話 周知

 メイドの案内で空き部屋に通されたルミエールは、デザインに多少の差異こそあったものの、真新しい真紅のドレスに着替えを済ませる。


「メイドよ、これで満足したか? それにしても、貴族の屋敷には何でも揃っているのだな」


「……何でも、とは?」


 途端、メイドの表情が僅かに凍り付く。

 が、姿見で自分の格好の確認をしていたルミエールはその様子に気付くことはなく、ただ純粋な疑問をぶつける。


「このドレスのことだ。我の記憶に間違いがなければ、パオロはまだ独り身なのだろう? だと言うのに、新品のドレスが――それも我にぴったりの物があったことに少し驚いてな」


「どのような問題が生じようとも対処ができるよう、万全の準備を整えておりますので……」


「ふーん、そうだったのか。流石は金持ちと言ったところだな」


 まるで最初から自分のために仕立てられたかのような完璧な着心地のドレスにルミエールは満足感を覚え、姿見の前で陽気にくるりと回ってみせる。

 この一連の流れが、事前に想定されていたものだとは露ほども思わずに。


 もし、この場に連れてこられていたのが、オリヴィアやノーラであったのなら、この違和感に気付き、メイドを問い詰めていただろう。

 だが、ルミエールは気付かない。

 オリヴィアに叩き込まれてきた人間社会の常識と知識の中にはなかった謀略に巻き込まれていたのだから。


 部屋の扉がノックされる。来訪者を告げる合図だ。

 すかさずメイドが扉の前まで出向き、ルミエールに目配せで許可を得てから扉をゆっくりと開いた。


「失礼するぜ。うちの者が迷惑を掛けてしまったと訊いて駆けつけさせてもらった。悪かったな、ルミエールちゃ――いや、ルミエールと呼ぶ約束だったか」


 他の貴族とは一線を画する派手な金色の衣服。

 最高品質の生地を使用した前衛的なデザインの衣服を纏ったパオロ・ラフォレーゼが、ルミエールに謝罪すべく部屋を訪れたのである。

 無論、あくまでもそれは形式上の話でしかなく、その本質が別にあったことは言うまでもない。


「謝罪も誠意も既に受け取っているし、そもそも我としては最初から気にしてなどおらん。それよりもメイドのことを許してやってくれ。先まで酷く怯えた様子だったしな」


「ほう、意外と言っちゃあれだが、うちのメイドのことを気に掛けてやるなんて優しいところもあるんだな」


「はぁ……。我のことを何だと思っている。服を少し汚された程度でとやかく言うつもりなどない」


「――竜族。伝説の存在とも言われていた最強の化け物――ってのは半分冗談だ。ただ、俺としてもあまり怒らせたくはない存在であることだけは確かだぜ?」


「だったら、そのよく動く口を閉ざすところから始めてみたらどうだ?」


「善処するとだけ言っておく。――っと、もう時間か。主役の俺が遅れるわけにはいかねえし、そろそろ行かなきゃな。迷子になったら困るだろうし、ルミエールも一緒に行くか?」


 何ともない自然な切り出し方に、ルミエールはここまでの会話で大きな疲労感こそ抱いていたものの、その提案自体に疑問を抱くことはなく、つい無意識のうちに頷いてしまう。


 こうしてルミエールはパオロと共に会場に登場することになってしまったのであった。




 漆黒のドレスの裾を大きな皺ができるほど強く握り締めたオリヴィアは、その端麗な顔を大きく歪め、ルミエールと共に階段から下りてくるパオロを激しく睨みつける。


「これが……これが貴族のやり方かっ」


 小さく怒声を上げ、心を巣食う負の感情を吐き出す。

 怒りが、憎悪が、後悔が、彼女の心の中で大きな渦を巻く。


 オリヴィアは一瞬で理解したのだ。

 パオロと出会ったあの日から今日に至るまで彼の手のひらの上で踊らされていたことに。


(ルミエールが狙われていることをわかっておきながら、私は……っ!)


「オリヴィア……どうかした……?」


 血が滲むほど強く唇を噛み締めていたオリヴィアの異常な態度を見てもなお、ノーラは未だ事態が掴めず首を傾げた。

 何か良くないことが起きているのであろうことはわかる。

 けれども、ルミエールがパオロと共に会場に姿を見せたことによる影響まで彼女は理解することができなかったのだ。


「私たちはラフォレーゼ公爵にしてやられてしまったんだ……」


「してやられたって、何を……? 確かにルミエールが目立ち過ぎちゃってるかもしれないけど、別にそこまで悪いことじゃないんじゃない……? 名前だって売れるんだし……」


「……違う。そうじゃないんだ、ノーラ。形式の上ではただの晩餐会かもしれないが、同時にここは交流の場であり、ラフォレーゼ公爵家と懇意にしている者や支持者を集めた後援会でもあるんだ。そして、そのような場にラフォレーゼ公爵がルミエールを伴って現れたともなれば、必然的にルミエールは……いや、『銀の月光』はラフォレーゼ公爵家の後ろ楯を得ていると思われてしまう。事実がどうであれ、そう周知されてもおかしくはない状況を作り上げられてしまったんだよ、私たちは……」


 オリヴィアはパオロの真意をほぼ完全に見抜いていた。


 後ろ楯を得ているというのはラフォレーゼ公爵家にも言えること。

 人智を超越した最強の種族である竜族ルミエールが加わる『銀の月光』がラフォレーゼ公爵家の支持者であると周知させることで、他の四大公爵家を超える影響力を手に入れる。

 パオロの狙いは全てそこにあったのだ。


 宿に届く贈り物の数々は今日の晩餐会に参加させるための布石に過ぎない。

 たとえそれらが必要のない物であっても、贈り物を受け取ってしまえば、後ろめたさを感じてしまう。心のどこかで借りだと感じ、少しずつ募らせてしまう。

 その心をパオロは逆手に取り、『銀の月光』に招待状を送りつけたのだ。

 後ろめたさと借り。この二つの感情を半強制的に植え付けることで、招待を断れない状況を作り出した。

 後は常識に――特に貴族社会に疎いルミエールをオリヴィアとノーラから引き剥がす状況を生み出すだけで場が全て整うというわけだ。


 とはいえ、ルミエールが竜族であることはブルチャーレ公国内に於いても、極一部の者しか知り得ない秘事。

 今宵の晩餐会の参加者でその事実を知っている者は一握りの上級貴族しかおらず、今はまだ『銀の月光ルミエール』の威光を発揮できる状況では然程ない。


 だが、それも時間の問題でしかなかった。

 竜族の存在が公になる日が近づきつつあることを、四公会議に参加しているパオロは察していたのだ。


 だからこそ、パオロは先手を打った。

 ラフォレーゼ公爵家の地位をより確固たる物にするために、最強の駒となり得るルミエールの確保に動いたのである。

 全てはブルチャーレ公国の頂点――大公となるために。


 オリヴィアの説明でようやく事態を把握したノーラは、普段の眠たげな眼を鋭くし、盛大な拍手を浴び続けていたパオロを睨みつける。


「最っ低……。もういっそのこと、今ここで全部暴露しちゃわない……? 『私たちはこの人とは無関係です』って……」


「止めておいた方がいい。私たちの立場を悪くするだけだ」


 宿に戻ればパオロから支援を受けた物的証拠となり得る贈り物が山のように積み重なっている。

 それに宿に戻らずとも、今彼女たちが着ているドレスも贈り物の一つなのだ。ドレスの購入履歴などの証拠が残されているだろうことは容易に想像がつく。

 このドレスを仕立て、販売した商人がグルとなり、この場にいる可能性だって捨てきれないのだ。


 迂闊な発言をすれば、自分たちの首を締めることになりかねない。

 恩を仇で返した不埒者というレッテルを張られてまえば、今後の冒険者活動に大きな支障をきたしてしまう。


「相手は四大公爵家の一人……今はまだ堪えるしかない。だが、いつか……いつか必ず……」


 多くの権力者に囲まれ、談笑するパオロの姿を、オリヴィアは侮蔑の色で染めたその瞳に焼き付けたのであった。

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