第640話 下調べの賜物

 俺たちはついに国境線を越え、ブルチャーレ公国に入国していた。

 ガタガタと音を鳴らし揺れる馬車の窓から見える光景は、然程ラバール王国とは変わらない。

 しかし、ここがラバール王国の外にある国というだけで心臓は高鳴り、心は高揚感と好奇心に満たされていったのか、マリーは延々と窓から見える景色を眺め、瞳を輝かせていた。


「うわぁ……ここがお外の国……。あっ、コースケお兄ちゃん! ブルチャーレ公国はどんな国なのです?」


 唐突に話を振られたことで若干驚いてしまったが、俺はそこで慌てることはなかった。

 何を隠そう、俺はブルチャーレ公国に旅行することが決まった日以降、この国についての様々な情報や知識を頭の中に叩き込んでいたのだ。


 下調べも旅行の醍醐味。

 大枚をはたいて手に入れた情報と知識を、俺はこれでもかというほどの自慢げな顔つきでマリーに教える。


「ブルチャーレ公国は密林と砂漠が広がる暑い国なんだ。ちょっとこれを見て」


 そう言いながら俺が疑似アイテムボックスから取り出したのは世界地図だった。

 俺が取り出した巨大な地図をマリーが俺にピッタリと身体を寄せて覗き込む。


「西にあるのが俺たちがいたラバール王国。で、南にあるこの太い線で囲まれてるすごく大きな国がブルチャーレ公国なんだ」


 西のラバール王国と東のシュタルク帝国。

 この二つの大国と国境を接している点だけを見ればマギア王国と大きな違いはない。

 だが、ブルチャーレ公国の国土はマギア王国を遥かに上回る。

 東西だけではなく、南にも大きく国土を伸ばしているブルチャーレ公国の国土は世界一。

 国内を一周するだけで数ヶ月を要することになるだろうことが容易に想像がつくほど、ブルチャーレ公国は巨大な国家なのである。


「すっっっごい大きいですっ! 人もいっぱいいるのです?」


「実は人口はラバール王国とあまり変わらないんだ」


「えっ? こんなに大きな国なのにです?」


「人が住むには少し大変な土地柄だからなんじゃないかな」


 国土だけを見れば世界一。

 しかし、人口に限れば、恵まれた国土と文明が発展したシュタルク帝国が他の国を圧倒していた。


 では何故、ブルチャーレ公国の人口はラバール王国と大差がないのか。

 その理由は明白。砂漠と化した国土に問題があった。

 南方は広大な砂漠によって支配されており、人口の約九割が密林地帯付近に集中しているとのこと。

 もちろん、それ以外にも国境線の関係や物流などの影響もあって、このような分布になったのだろうが、ブルチャーレ公国の歴史をそこまで深掘りできていなかった俺には言い切ることはできない。

 その代わりに俺は違う知識をマリーに披露する。


「マリーはダンジョンってわかるかな?」


「知ってるです! 冒険者さんたちが行く場所です!」


 小さな胸を張って自信満々に答えるマリーに微笑ましさを覚えながらも話を続ける。


「そのダンジョンなんだけどね、ブルチャーレ公国にはたくさんのダンジョンがあって、その近くに街を造ってるらしいんだ。だから沢山の冒険者がお宝を求めてブルチャーレ公国に集まってるみたいだよ」


「お宝ですか!? お兄ちゃんたちもお宝を探しに行くです?」


「その予定はないかな。何と言っても今回の目的は旅行だからね」


 マリーには『お宝』と言ったものの、実際には魔石集めが冒険者たちの主な収入源となる。

 時に、ダンジョンに出現する魔物は『叡智の書スキルブック』や武具などをドロップすることもあるが、その確率は極めて低く、それを目当てにダンジョン探索を行うのは正直に言って現実的ではない。

 とりわけ『叡智の書』に関してはレア中のレア。

 一攫千金を夢見ている冒険者でも期待することすらやめてしまうほどその希少価値は高く、滅多にお目にかかれない代物となっている。


 それでも数多の冒険者たちがわざわざブルチャーレ公国のダンジョン攻略に乗り出すのには複数の理由がある。


 一つは、ダンジョンの数だ。

 魔石集めにしろ、一つのダンジョンに冒険者が寄って集ってしまっては効率が落ちてしまう。

 その点、ブルチャーレ公国には数多のダンジョンがあり、しかもダンジョンの近くには大小様々な町や都市があるため、補給も楽に行える。

 ブルチャーレ公国のダンジョンならば効率良く、かつ安定した収入が見込めるというわけだ。


 二つ目の理由として、ブルチャーレ公国のダンジョンの魔物は、レアアイテムのドロップ率が高いという噂が流れていることにある。

 これに関してはあくまでも噂の範疇でしかないのだが、浪漫を追い求める冒険者からしてみれば、その噂一つだけでも十分魅力を感じることだろう。

 加えて、その噂を裏付けるまでには至らないが、ブルチャーレ公国ではダンジョンでドロップした武具を『宝具』と呼び、大きな都市ではそれら宝具が良く出回っているそうだ。


 そして最後に、ブルチャーレ公国では未踏破ダンジョンを攻略した者に莫大な攻略報酬が与えられることになっているのである。

 その額は『叡智の書』にも匹敵するようで、腕に覚えのある冒険者たちはドロップ狙いではなく攻略報酬狙いでダンジョン攻略に勤しんでいるとのこと。


 これらの理由からブルチャーレ公国は冒険者にとって楽園とも呼べる場所になっているのである。

 そのこともあってか、冒険者ギルドの本部は今現在ブルチャーレ公国に置かれているとの話を訊いていた。

 世界各地に根を張る冒険者ギルドは、約十年に一度ほどのペースで本部の位置を移動するのが通例となっているのだが、今は冒険者たちがブルチャーレ公国で盛んに活動していることもあり、二十年近く本部の位置を動かしていないらしい。


 もし機会があれば、冒険者ギルドの本部とやらを観てみたい気持ちもあるが、行動予定を変更してまでのことではない。

 観光地の一つとして、偶然近くにあったら良いな程度に考えていた。


 地図をまじまじと眺めていたマリーが、地図の上にその小さな指を落とし、尋ねてくる。


「しゅと、ラビリント……。ここに行くです?」


「ブルチャーレ公国の首都……一番大きな都市でありながら、世界最大のダンジョンがあるここが俺たちの目的地だよ。魔武道会もここで開催されるんだ。既に今頃お祭り騒ぎになってるんじゃないかな?」


 首都ラビリントは、ラバール王国の真南――ブルチャーレ公国全体で見ると、極端に西に寄った場所にあった。

 シュタルク帝国の脅威から遠ざかるためにこの地を首都としたのか、世界最大のダンジョンがあったが故にその地を首都としたのか、あるいは全く異なる理由からなのか俺にはわからない。

 今わかることは、目的地であるラビリントまで後もう少しの距離ということだけだった。


「……っ! お祭りですっ!」


 待ちきれないとばかりに身体をそわそわと揺らし、目を燦々と輝かせるマリーの姿を見て、ディアが微笑む。


「一緒に色んなお店を回ろうね?」


「はいっ! ディアお姉ちゃんと一緒に回るですっ!」


「マリーよ、今のうちに腹を空かせておいた方がいいぞ? 街はお祭り騒ぎ……つまり、出店が山ほどあるはずだからな」


「フラムちゃん、ラビリントまで後二週間くらい掛かるのよ……? 今からお腹を空かせてたら倒れちゃうわ」


 フラムの冗談とも取れる発言に、これまでずっと緊張しっぱなしだったナタリーさんの表情から、ようやく強張りが取れる。


「道中で倒れられては、せっかくの旅行が台無しになってしまわれるかもしれません。程良い運動とバランスのとれた食事を摂取することを推奨致します」


 イグニスにも旅行を楽しんでもらいたいのだが、どうやら当の本人にその気はあまりないらしい。

 あくまでもフラムを、そして俺たちを陰ながら支える執事として立ち回っていくつもりのようだ――と思いきや、ふとイグニスの顔を横目で見ると、口の端を僅かに吊り上げていた。

 その僅かな表情の変化をフラムは見逃さなかった。


「ん? どうしたのだ、イグニス。お前にしては珍しく随分と機嫌が良さそうではないか」


「これは失礼を」


「いや、咎めているわけではないぞ。ただ単に興味が湧いただけだ」


 そう言ったフラムが目線だけで言葉を促すと、イグニスは柔らかな微笑ではなく、どことなく不気味な笑みを浮かべ、こう言った。


「――愚妹の様子を確認する絶好の機会が訪れたと思いまして」

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