第638話 南からの刺客
王都プロスペリテを出発してから早三週間。
ラバール王国の南方に広大な国土を持つブルチャーレ公国に向かっていた俺たちは、ついにラバール王国南端の大都市クラルテに到着していた。
季節は春だと言うのに、初夏のような日差しが降り注ぐクラルテ。
都市の住民の服装も気温に合わせて薄着が当たり前になっており、クラルテに到着して早々に馬車から降りたドレス姿のマリーは暑さで完全に参ってしまっていた。
「暑いですぅ……」
「大丈夫? 魔法で冷やしてあげようか?」
「……ありがとうです、ディアお姉ちゃん」
既に薄手のドレスに着替えていたのだが、それでもやはり普段からドレスを着慣れていないということもあってか、マリーはダウン寸前。
ディアが魔法で周囲の空気を冷やしてあげているが、体調が完全に回復するまで、もう少し時間が掛かりそうだ。
その一方でナタリーさんは気合いで我慢していた。
子供の前で情けない姿は見せられないという大人の意地があったのかもしれない。
ちなみに俺たち『紅』の三人とイグニスは熱に対する耐性を持っているため、暑さでやられるようなことはなく体調は万全。
だが、そんな例外的な存在はエドガー国王率いるラバール王国一団の中でも極めて限られており、まだ日が高いにもかかわらず、今日はこの都市で一泊する予定になっているとのこと。
馬車から降りた俺たちのすぐ目の前にあったのは都市一番の宿泊施設だった。
全五階建てになっており、エドガー国王や王女であるアリシアは勿論のこと、付いてきた貴族や魔武道会の出場者たちも、どうやらこの宿に泊まるらしい。
そして俺たちはというと、エドガー国王の粋な計らいで同じ宿に泊まらせてもらえることになっている。
ここまでの道中でも今回と同じように毎度最高級の宿にタダで泊まらせてもらっていたため、これまでに掛かった旅費はほぼゼロ。
出費らしい出費といえば、宿で出る食事とは別の食費や、ふと立ち寄ったお店で買ったお土産くらいくらいなもの。
俺たちは限りなく出費を抑えながらも、快適な旅行を楽しんでいた――はずだった。
夜の帳が下り、俺たち『紅』の出番がやってくる。
「行ってくるよ」
「いってらっしゃいませ。留守は私めにお任せください」
明日に備えて皆が寝静まった真夜中、俺たち『紅』は部屋の窓を開け、街へ繰り出す。
屋根から屋根へ飛ぶように移動する中、欠伸を噛み殺したディアが愚痴を零す。
「これで何回目? せっかくの旅行なのに……」
「最初の方はこれはこれで刺激があって楽しいと思っていたが、流石に飽きてきたな」
「けど、仕方ない。俺たちが動かないとせっかくの旅行が台無しになるかもしれないしさ。ナタリーさんとマリーのためにも俺たちが一肌脱がないと」
そんなふうに宥めるようなことを言っておきながら、俺もいい加減にうんざりしていた。
王都プロスペリテを出発してから、俺の『
しかも厄介なことに、毎度深夜を狙っての犯行のため、俺たちの睡眠時間が削られていた。
一応、このことはロザリーさんを通してエドガー国王に伝えてもらい、
「到着、っと」
宿を出てから一分足らず。
とある建物の屋上で足を止めた俺は屋上の淵に立ち、眼下に広がる薄暗い路地裏を眺める。
そこには馬が外された一台の黒塗りの馬車が停まっていた。
パッと見ただけでは、そこまで怪しさは感じられないかもしれない。
だが、俺の『観測演算』は馬車の中に留まる不自然な人の気配を逃さない。
中型の馬車の中には、どう詰め込んだのか十五の蠢く人の気配があった。
「まだ断定はできないし、一応話し掛けてみよう」
「うん」「うむ」
怪しいことには変わりないが、それだけで襲撃者とは断定はできない。
俺たちは屋上から飛び降り、馬車を取り囲むように着地。そして俺は一切躊躇することなく、馬車の扉をノックした。
途端、勢い良く扉が開かれ、刃が黒く塗られたナイフが眼前に迫る。
が、警戒心を高めていた俺がその程度の攻撃を躱せないはずもなし。
眉間を狙った見事な一撃を、首を軽く捻ることで回避し、馬車から飛び退き、距離を取る。
「複数の魔力反応。――来る」
魔力を可視化する能力でディアが魔力の高まりを検知し、俺に危険を知らせる。
次の瞬間、眩い光と共に馬車が爆音を奏で、爆ぜた。
すると、木片を飛び散らせた馬車から黒いボロ布で全身を覆い隠した者たちが飛び出てくる。
各々、手には武器が握られており、殺意という明確な意思を俺たちに示す。
「またこいつらも似たような格好を……。ここまで来ると、わざとらしさすら感じるぞ」
強烈な殺意を向けられているにもかかわらず、フラムは警戒も敵対もすることなく、ただただ呆れていた。
それもそのはず、これまでに俺たちが見つけた襲撃者たちは皆が皆、同じ格好をしていたのである。
まるで、わざと俺たちに雇い主が同じであることを知らせるかのように。
先頭に立つ男がナイフを握っていた右手を胸元まで掲げ、構える。
その動作により、手元まで覆っていたボロ布が捲れ、男の
「またか……」
襲撃者には服装以外にも共通点があった。
それこそが今見た男の腕と同じ、程良く日に焼けた褐色の肌だった。
先頭の男が動き出す。
それを合図に他の十四人が連動し、見事な連携を披露する。
後方にいた者たちからは矢を、針を、魔法を。
距離を一息で詰めてきた者たちは暗殺に適した小型の武器を手にし、襲い掛かってくる。
そこには技があった。駆け引きがあった。
熟練の暗殺者が故の覚悟が感じられた。
だがそれ以上に、俺たちとの間には絶対的な力の差があった。
ディアの魔法が遠距離攻撃の悉くを撃ち落とす。
フラムの蹴りが襲い掛かる暗殺者たちを次々と吹き飛ばす。
そして最後に俺が暗殺者たちの心を、プライドを、隔絶した力をもってして、へし折る。
分身体を生み出す『
紛い物の力、仮初めの技、他者からコピーしたスキルであろうと、命を賭した戦いの前では瑣末なこと。気にすることではない。
「うっ……ぐぁ……」
地面に倒れ伏した暗殺者の一人から呻き声が聞こえてくる。
彼らは証人であり、証拠だ。
雇い主の情報を得るために殺さないようかなり手加減をしたのだが、それでも意識を失わずに済んでいることに少し驚きながらも、俺は『麻痺毒』で意識を刈り取ろうと声を上げた暗殺者に近寄る。
と、その時だった。
暗がりから突如として人の気配を感じたのは。
俺が振り向くのと同時に、その人から声を掛けられる。
「陛下に代わり、お礼を申し上げます。後始末は私にお任せ下さい」
暗がりの奥から現れたのは、この場には似つかわしくないメイド服姿のロザリーさんだった。
――
どうやらロザリーさんが持つ完全隠蔽能力の前では、俺の『観測演算』でさえも、その気配を捉えることはできないようだ。
一気に高まった警戒心を解いた俺は、ロザリーさんに事の顛末を伝え終えると、後のことは全てロザリーさんに丸投げすることになった。
その帰り際、ロザリーさんがやけに疲れ切った声を漏らす。
「またブルチャーレ公国の者たちのようですね……。同盟国であるラバール王国に暗殺者を仕向けてきたということは、やはり……」
そこから先の言葉は、夜の風に攫われ、俺の耳まで届くことはなかった。
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