第637話 失踪した使者

「ルミエール殿、並びに『銀の月光』に感謝と謝罪を。長時間に渡って拘束してしまった。すまない」


 大公であるダミアーノ・ヴィドーが四大公爵家を代表して『銀の月光』に感謝と謝罪を告げる。


 かれこれ三時間近く行われたルミエールへの尋問じみた質問の数々。『銀の月光』のメンバーであるオリヴィアとノーラに関しては、欠伸を噛み殺すだけの退屈な時間を過ごす結果となった。


 収穫こそダミアーノが想定していたものよりも少なかったが、かといって無意味ではなかった。

 とりわけ、ラバール王国が炎竜族に庇護されているわけではないという情報によって、ラバール王国との間に締結された軍事同盟が現状通り、対等な関係を維持できると知ることができたことは非常に有益な情報だったと言える。


 ラバール王国との軍事同盟の維持を強く支持していたダミアーノからしてみれば、数多抱える懸念点の一つがこれにて解消されたのだ。決して面にこそ出さないが、その心中では安堵の感情で溢れ返っていた。


「……もう帰ってもいいか?」


 すっかり薄紅色のツインテールが萎れ、覇気をなくしたルミエールが死んだ魚のような目を向けて、そう尋ねる。

 その目に籠められていたのは『早く解放しろ』の一言。加えて、ルミエールにこれ以上、問答するつもりがないことは誰の目から見ても明らかだった。


「ああ、勿論だとも。確か『銀の月光』はダンジョン探索のためにラビリントに滞在しているのだったな。ならば宿まで送らせよう」


 Sランク冒険者パーティーである『銀の月光』に護衛など本来ならば要らぬお節介でしかない。

 しかし、ダミアーノは彼女たちを冒険者ではなく、あくまでも客人として見送るために護衛を呼び出そうと、円卓の上に置いてあったハンドベルを手に掴む。

 が、その前に、ここ数時間ほぼ沈黙を貫いていたパオロ・ラフォレーゼが口を開き、横から割り込んだ。


「――俺が送ってやる。大切な大切な客人を直接見送らないというのは、いくらなんでも失礼だろう?」


 上から目線の言い種に、一瞬『銀の月光』の三人の瞳に嫌悪感が宿る。

 しかし相手はこのブルチャーレ公国を仕切る四大公爵家の当主。彼女たちがいくら根無し草の冒険者といえども、ブルチャーレ公国を拠点として活動をしている以上、無碍な扱いはできない。

 竜族であるルミエールでさえも、その辺りの常識を『銀の月光』のリーダーであるオリヴィアに徹底的に叩き込まれていた。


 何も言わない『銀の月光』に変わり、ダミアーノが遠回しに苦言を呈する。


「大切な客人だからこそ、我らではなく護衛に任せるべきだろう。それに我らにはまだ論じなければならない議題が残っている。ここでラフォレーゼ公に抜けられては――」


「護衛なら俺の方で手配する。それに少しは休憩を挟むべきだろう? スカルパの婆さんの体調も心配だしな」


 道理が通っているとも屁理屈とも捉えられるパオロの言葉に、ダミアーノは口を噤むことしかできなかった。

 事実、高齢であるマファルダ・スカルパの健康状態を蔑ろにすることはできないからだ。

 そして武人であり、礼節を重んじるウーゴ・バルトローネも客人を丁重に扱うことに異を唱えることはなかった。


「では、お言葉に甘えさせていただきます」


 空気を読んだのではなく、空気を読まざるを得ないといち早く察したオリヴィアが口を開き、パオロに小さく頭を下げることで、この場を収める。


「送り狼だったりして……」


 誰にも聞こえないほどの小さな呟きをノーラが零す。

 その声には呆れと嫌悪の色が多分に含まれていた。




 パオロと『銀の月光』が会議の間を退出してからすぐに休憩時間となっていた。

 円卓の上には飲み物の他、甘いお茶菓子などが並べられ、糖分が不足していた脳に活力を補給していく。


 パオロが帰ってくるまでの時間はまだ多く残されている。

 暫しの雑談タイムに入るや否や、ダミアーノは疲れ切った声音で、パオロがいないにもかかわらず現在抱えている問題を提議した。


「ラバール王国へ送った使者の失踪。皆はこの件をどう考えている」


 マギア王国とシュタルク帝国の戦争が本格化した直後、ブルチャーレ公国は情報収集の一環として、マギア王国と隣接しているラバール王国に使者を送っていた。

 しかし、既に終戦から二ヶ月以上も経っているにもかかわらず、送り出した使者は音信不通。

 所在はおろか、その生死まで不明となっていたのである。


「考えられる可能性は三つじゃろうな。魔物や盗賊に殺されたか、ラバール王国に始末されたか、あるいは……」


「公国内部の裏切り者の手によって始末されたか、ですな?」


 マファルダに続く形でウーゴが憶測を述べる。

 だが、この憶測を否定する者はいない。共通認識として、この場にいないパオロも同様の憶測を以前述べていたからだ。


 二人の言葉に同意を示すように、ダミアーノが深く頷く。


「使いの者には悪いが、魔物か盗賊に殺されていてくれていたらこの問題は問題とはならなかっただろう。だが、立て続けに送った者も未だに戻ってきていない現状を鑑みれば……」


 ダミアーノはこの先の言葉を口にすべきか、逡巡する。

 その心の内ではラバール王国に使者が殺されたのではなく、公国内部に裏切り者がいる可能性が極めて濃厚だと考えていた。

 そもそも、ラバール王国がブルチャーレ公国の使者を殺す理由が見当たらないのだ。

 国家の信用を揺るがし、挙げ句には転覆を目論む者がいるのであれば、まだ可能性は残されていただろう。

 だが、ラバール王国国王エドガーが反王派貴族を軒並み粛清したことはブルチャーレ公国においても周知の事実。

 その甲斐もあり、今現在ラバール王国に反乱が起こるような前兆は皆無。絶対的な皇帝が君臨するシュタルク帝国を除けば、大国の中で最も安定した国家運営を行えているのが、ラバール王国だった。


 僅かな逡巡の後、ダミアーノは決意の炎を胸に、高らかに宣言する。


「これは由々しき問題だ。早急に犯人を見つけ出さなければならない。だがしかし、我ら四大公爵家の目を掻い潜り、使者を殺せる者など、この国では限られた極一部の者のみ。あまり疑いたくはなかったが、目を逸らすことはできない。ヴィドー公爵家の当主として、そしてブルチャーレ公国の大公として、ここに宣言させてもらう。私は裏切り者を決して許すつもりはないと。裏切り者には然るべき断罪を行うと誓おう」


 この場にパオロがいないにもかかわらず、ダミアーノがこのような宣言を行ったことには無論、理由があった。

 ダミアーノが怪しい噂が絶えないパオロを最も疑っていたこともあるが、それ以上にこの宣言が抑止力としての効果を発揮することを見込んでのことであった。


 この宣言がパオロの耳や他の貴族の耳にも届くことになるのは明白。

 現状では容疑者を絞り込むことすら困難。そんな状況の中でもラバール王国を迎えて魔武道会を無事に開催するためにも、ダミアーノはこの宣言をもって抑止力となることを期待したのだった。


 だが、そんなダミアーノの淡い期待は霧散することになる。

 ブルチャーレ公国はこの日より、より一層疑心暗鬼に陥っていく――。




 時同じくして『銀の月光』の三人は、パオロに先導される形で派手な外装をした馬車に乗り込んだ。

 外装も内装も眩いばかりの金色に染められた馬車。

 財力を前面に押し出したかのような趣味の悪い馬車に、オリヴィアは苦笑いを浮かべることしかできなかった。


 馬車の中には先客が二人。

 確認するまでもなくその二人は護衛だった。

 これまた派手な金色の鎧でその身を包んでいるが、兜を外していた二人の護衛の容姿は騎士などという立派なものではなく、荒っぽい印象を抱かせる。


「これが護衛……?」


 訝しげな眼差しを護衛に向けていたノーラが、素直過ぎる感想をつい零してしまう。


 明らかな失言だった。

 だが、会議の間で見せていた傲岸不遜なパオロは何処に行ってしまったのかとばかりに、パオロはノーラの失言を笑って許す。


「はっはっ、見てくれは護衛としては失格かもしれないが、二人の実力は俺の折り紙付きだ。無事に宿まで送り届けることを約束してやる」


「ありがとうございます、ラフォレーゼ公爵」


 リーダーとしてではなく、いつ失言をしてもおかしくはないノーラとルミエールには任せられないという想いから、オリヴィアが率先してパオロの対応を行う。


 小さな音を立て、馬車が動き出す。

 外装と内装にお金を掛けているだけではなく、機能性にも優れていることもあり、乗り心地は快適そのもの。

 とはいえ、パオロがいなければより快適であったことは間違いない。


 馬車が動き出してから程なくして、パオロの視線はルミエール一人に釘付けになっていた。


「ジロジロと……。我に何か用か?」


「いや、悪いことをした。無意識のうちにルミエールちゃんの可憐な横顔を見つめてしまっていたようだ」


 会議の間にいた時の態度とは打って変わり、まるで別人のような態度にルミエールは意味がわからず困惑し、ノーラとオリヴィアは激しく鳥肌を立たせる。


「はぁ……、そうか。次は気をつけてくれればそれでいい。あと、その呼び方はやめてもらおうか」


「ちゃん付けは嫌いか? なら、何と呼べばいい? 俺のことは親しみを込めてパオロと呼んでくれて構わんぞ」


「今の我はただの冒険者だ。ちゃん付けも様付けもいらん。――ルミエール、それで十分だ」


「なら遠慮なくルミエールと呼ばせてもらおう。これで互いの呼称は決まったな」


 途端、パオロの目つきが変わる。

 その目はまるで獲物を狙う獅子。

 ルミエールという最上級の獲物を逃さんと、妖しげに口元を歪め、そしてすぐさま表情を元に戻した。


「残念だが、もうお前たちが泊まっている宿に着いてしまったようだ。次の機会では『銀の月光』の冒険譚を聴かせてもらおうか」


 社交辞令には社交辞令で。

 そんな甘い考えでオリヴィアは馬車を降りる際に、当たり障りのない言葉を返してしまう。


「機会があれば、是非とも。それではラフォレーゼ公爵、この度はありがとうございました」


 この何の変哲もない一言で『銀の月光』がパオロに付き纏われることになろうとは、この時は誰も思いはしなかった。

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