第635話 ブルチャーレへ
旅行とは、準備も含めて楽しむものだと俺は思っている。それが長旅ともなれば、なおのこと。
飛行機や電車がないこの世界での旅行はちょっとした冒険でもあるのだ。
天候が悪ければ馬の脚が鈍り、予定していた街まで到着できず、野営することだって多々ある。
そうなればもちろん、用意した食料を消費するか現地で食料を調達しなければならない。
着替えだって必要だ。
それも一着や二着だけでは済まない。最低でも十着はなければ心許ないだろう。
ゲートを使えばそれらの準備は不必要となり、快適な移動が確約されるに違いない。
だが、俺は今回の旅行でゲートを使うつもりはなかった。
ナタリーさんとマリーだってそんなものを望みはしないだろう。
日常とは全く異なる生活を、旅を、冒険を、彼女たちは望んでいるのだから。
しかし、その第一歩となる準備の段階で俺の予定はまたもや狂わされた。
エドガー国王のそれはもうありがたいありがたいご配慮のお陰で食料から衣類まで全部用意されたのだ。
旅のしおり、もといブルチャーレ公国までの経路も向こうで全て決定済み。
長らく空けることになる屋敷の警備に関してもエドガー国王が警備の者を手配してくれるとのことだ。
まさに至れり尽くせりだった。
残された俺たちの準備と言えば、戦闘用の装備の補充くらいなもの。
どこか寂しさと虚しさを覚えてしまうが、そんな感情を抱いているのは、どうやら俺だけだったらしい。
ディアもフラムもイグニスも、そして今回の主役であるナタリーさんもマリーも、エドガー国王の完璧な手配を歓迎していた。
そして、あっという間に二週間が過ぎ、旅行当日を迎える。
今回の旅行の目的地は、魔武道会が開催されるブルチャーレ公国の首都『ラビリント』。
片道だけで約一ヶ月も掛かる長旅になる予定となっている。
「皆、準備は大丈夫? 忘れ物は?」
玄関前で屋敷に住む全員が集合し、最終チェックを行う。
とは言っても、準備はエドガー国王がしてくれたし、必要になりそうなものはあらかた疑似アイテムボックスの中に突っ込んであるため、出発前のお決まりの台詞でしかない。
「大丈夫なのですっ!」
そう元気に返事をくれたのはマリーだ。
今日のマリーはいつもとひと味もふた味も違う。
ふんだんにレースがあしらわれた純白の可愛らしいドレスに、少し踵が高くなったピカピカのヒールを身に纏っている。
これも約束通りにエドガー国王が前日に届けてくれた服だった。
さながらお姫様セットとでも呼ぶべき衣装だ。
ヒールに慣れていないのか、マリーは歩く度に足元をぐらつかせている。歩きにくいのではないかと少し心配になるが、替えの靴も用意しているし、移動は基本的に馬車。
靴擦れに関してもディアの治癒魔法があるため、特に不安はない。
「こんなドレスを私まで……。本当に着てしまっていいのかしら……?」
そう不安がるのはナタリーさんだ。
マリーのドレスとは対照的に青みがかった極めてシンプルなデザインのドレスを着ている。
ドレスに着替える前までは期待に胸を高鳴らせていた様子だったのだが、いざドレスを着た途端に冷静さを取り戻したのだろう。
自分には似合わない、釣り合わないとややネガティブな思考に陥り始めていた。
「大丈夫だよ。似合ってるから」
ディアがナタリーさんを褒めることで、気を落ち着かせようとする。
そんなディアの服装は、黒と白の二色で彩られたゴシックファッション。ディアの美麗過ぎる容姿と艶のある銀髪とよく調和が取れていた。
「うむ、そう気にすることはないぞ。それにディアの方が余程派手だしな」
「……えっ? そう?」
フラムの格好はそんな三人とは打って変わって非常にラフなものとなっている。
少しダボっとした白のTシャツに、黒のパンツルックスタイル。彼女にしては珍しいほど、露出を抑えた格好となっていた。
無言でフラムの横で控えているイグニスはいつもと変わらず執事服だ。執事服にこだわる理由があるのかわからないが、特に口を出す理由はない格好だった。
かくいう俺も普段と然程変わりのない格好をしている。
強いて違いを挙げるとするならば、そこまで冒険冒険していない服装ということくらいだろうか。
服の素材も魔物の革を使った耐久性の高いものではなく、何処にでも売ってそうな布製品で統一されている。
白のシャツの上に黒いジャケットを羽織っただけカジュアルな格好だ。
準備が完了したことを確認し終えた俺たちは屋敷を施錠し、庭へと出る。
すると、屋敷の前に一際目立つ馬車が停まっており、その御者台の上には俺たちのことをよく知るロザリーさんがメイド姿で座っていた。
ロザリーさんは俺たちが出てきたことに気付くと御者台の上から降り、俺たちに向かって頭を深々と下げ、出迎える。
「本日より、皆様のお世話係を務めさせていただきます。何かあれば何なりと申し付け下さい。それでは皆様、早速ですが、出発致しますので馬車の中へ」
馬車に揺られること数分、大通りに出ると王都プロスペリテはお祭り騒ぎの様相を呈していた。
大通りには多くの馬車が列を成し、兵が馬車を守るように隊列を組んでいる。
俺たちの馬車もその一群の紛れるように合流を果たし、最後尾に程近い位置についた。
大歓声が開け放たれた窓から車内に飛び込んで来る。
声が重なり過ぎて何を言っているのかいまいち聞き取れないが、その内容は簡単に予想がついた。
王都に住んでいる者ならば、誰もが知っているのだ。
この軍とも呼べる集団が向かう先を。そして向かった先で何を行うのかを。
それほどまでに魔武道会に対する国民の関心は高く、ラバール王国の勝利を期待し、このお祭り騒ぎを楽しんでいるのだ。
出場者は今頃、さぞかし緊張していることだろう。
これだけの期待を一身に背負わなければならないのだ。そのプレッシャーは計り知れない。
その一方で、俺たちのプレッシャーはゼロ。
俺たちの目的は出場者ではなく観戦、そして旅行なのだ。
自ら出場を希望した者を気の毒に思うことはないし、そもそものところ端から他人事のようにしか思っていなかった。
唯一、心配に思ってしまうことがあるとすれば、それは魔武道会を取り仕切ることになったアリシアのことだけだ。
彼女がどんな人物を出場者として選出したのかも気になるところだが、それ以上に重く伸し掛かる国民の期待にアリシアが耐えられるのか。それだけが気がかりなっていた。
盛大なパレードから始まった俺たちの旅行。
何かとトラブルに巻き込まれやすい俺たちからしてみれば、順調な出だしだと言えるだろう。
だが、この時の俺はまだ知る由もない。
まさかこの『家族旅行』を守るために、暗躍することになろうとは――。
――――――――
ブルチャーレ公国首都ラビリント。
その中央に建てられた巨塔ジェスティオーネの最上階に、ブルチャーレ四大公爵家が集うために設けられた会議の間があった。
そこで行われる会議――通称『四公会議』では、連日連夜に渡って議論が繰り広げられていた。
終わりなき問答。結論なき議論。
それらに終止符を打つべく、この日ある者たちがこの『四公会議』に招集されていたのである。
「良くぞ参った、Sランク冒険者パーティー『銀の月光』よ」
部屋の中央に置かれた円卓を囲む四人の男女。
各公爵家を代表し、この会議に出席していた者たちの視線が『銀の月光』に――否、炎竜族のルミエール一人に注がれる。
「ルミエール殿に尋ねたい。噂に伝え聞く竜族の加護のことを、そして竜族の動向を」
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