第634話 甘い誘惑

 マリーが用意したティースプーン一杯の砂糖と少し多めにミルクを入れた紅茶を、誰にも毒味をさせずに口元に運ぶエドガー国王。

 その様子だけでマリーたちのことをエドガー国王が信用していることが窺い知れる。


 そして口の中を湿らしたエドガー国王は、斜向かいに座るフラムとイグニスに視線を固定し、前置きもなしに本題へと移った。


「単刀直入に言おう。カタリーナ女王が水竜族の加護を受けたとの噂を耳にした。この話の真偽を聞かせてくれないか?」


 やや緊張しているのかエドガー国王の声は僅かに上ずっていた。

 わざわざ王城から俺たちの屋敷に足を運んできたのだ。

 噂の真偽を確かめることに何の意味があるのかはわからないが、エドガー国王にとっては噂の真偽が余程重要なことなのだろうことがわかる。

 その証に、エドガー国王はフラムの機嫌を取りのために手土産まで用意してきたのだ。その点だけを鑑みても本気度合いが伝わってくる。


 が、対照的にフラムの返答は素っ気ないものだった。

 まるで興味がない。自分にとってどうでもいいことだと言わんばかりに、テーブルの上に並べられていた料理を次々と口に運びながら淡々と答えていく。


「もぐもぐ……。加護? なんだそれは? 竜族を神か何かだと勘違いでもしているのか? もしかしたら私が知らないだけで、その加護とやらを与えることのできるスキルを所持している水竜族の者がいるかも知れないが、まあそれも考え難いな。もしそのような物を勝手にリーナに与えようものなら、プリュイが黙っているはずがない。たとえそれがヴァーグ……水竜王ウォーター・ロードだとしてもだ。それほどあのじゃじゃ馬娘はリーナのことを気に入っているようだしな」


 フラムの意見に同意するようにイグニスが追従する。


「私めも同意見でございます。ただし、加護ではなく庇護という意味合いでしたら、あながちその噂に間違いはないかと。もちろん、水竜族が公に認めることはありませんが」


 竜の約定は地竜族の一部によって破られてしまったものの、未だに健在しているのだ。

 過度に人族の国家への干渉を行わないというルールが定められている以上、水竜族は約定に従わなければならない。

 とはいえ、地竜族の蛮行を食い止めるという大義名分があるため、多少の干渉であれば見逃されるだろう。

 現にフラムも水竜族の干渉を黙認どころか推奨していることからも、俺の推測に間違いはないと考えていいはず。

 だが、イグニスの言葉から察するに、水竜族がマギア王国の盾となっている現状を公にすることまでは許されていないようだ。

 その辺りのバランスは竜族ではない俺にはわからない。

 けれども、噂の真偽については俺もフラムやイグニスと同様の見解を持っていた。


「……やはりそうだったのか」


「何ならプリュイをここに連れてきてやろうか? 結局のところ、実質水竜族を動かしたのは奴だしな」


 途方に暮れた表情を隠そうともしないエドガー国王に、フラムがプリュイとの仲介を買って出る。

 しかしエドガー国王はフラムの申し出を断り、嘆息を漏らす。


「いや、大丈夫だ。この期に及んで二人の言葉を疑うつもりはない。それにプリュイ殿のことは俺の耳に届いているしな。それよりも、これで面倒事が増えるのはほぼ確定したようなものか……」


「面倒事ですか?」


 そう聞いてはみたものの、正直に言えば面倒事に首を突っ込みたくはなかった。

 だが、知らずに後悔するよりも知ってから後悔する方が余程楽であることを、俺はマギア王国で一つの教訓として胸に刻んだ。

 後手後手となり対処に遅れるくらいなら、先に苦労をしてでも先手を取り続けなければならない。

 だからこそ俺は自ら地雷原に足を踏み入れたのであった。


 だが、そんな俺の気概と覚悟は見事に空振りに終わる。


「別にお前たちが気にかけるようなことはない。ただ単に俺の仕事が一つ増えただけだ、あまり気にするな」


「そうですか。来月には魔武道会も控えているというのに大変ですね」


「そっちに関しても問題はない。お前たちが去年勝ってくれたお陰で今年は肩肘を張る必要がないしな。とは言ってもブルチャーレ公国との交流を兼ねた一大行事だ。魔武道会は武と武をぶつけ合う国家の威信をかけた真剣勝負の場。当然、負けるつもりは毛頭ない。だが、今回は俺よりもアリシアが気を吐いていてな。春に学院を卒業したことで時間に余裕ができたこともあってな、出場者の選考から当日の準備までアリシアが指揮を取ることになっている」


「ああ、だから最近俺たちの屋敷に顔を見せなくなっていたのですね」


 ラバール王国に帰国して以降、めっきりアリシアと会う機会が減った理由が判明する。

 学院を卒業したアリシアは、これから王女として国のために割かなければならない時間が増えていくだろう。

 もしかしたら、その第一歩としてエドガー国王はアリシアに魔武道会に関する仕事を任せたのかもしれない。


「……少し寂しくなっちゃうね。でも、これで魔武道会の観戦に行く楽しみが増えたかも。アリシアがどんな人たちを選考するんだろう、とか」


 ディアはしんみりとそう語りながらも、最後には小さく微笑み、アリシアの成長しようと努力する姿を喜ぶ。

 その一方でフラムは食事の手を完全に止め、どこかつまらそうに愚痴を漏らす。


「まだまだ鍛え足りないというのに……。そもそもだな、師匠である私に挨拶の一つもないなんて許されることではないぞ」


「くくっ、わかったわかった。アリシアには必ず俺からそのように伝えておく。公務漬けにならないよう俺の方でも鍛錬に充てられる時間が増えるように調整しよう。それに、フラムが直々にアリシアを鍛えてくれるんだろう? ならば黄金以上の価値があることは疑いようがない。俺としてもよろしく頼みたいところだ」


 殺しきれない笑い声を漏らしながらも、エドガー国王はフラムの意を汲み、アリシアとフラムの時間を作ることを約束。

 エドガー国王としてもアリシアとしても、フラムとの鍛錬や繋がりに、言葉の通り『黄金以上の価値』を感じていることは間違いない。

 でなければ、王女であるアリシアの貴重な時間を割いてまでフラムに会わせようとはしないだろう。


「それはそうと、魔武道会を観戦するためにブルチャーレ公国に行くつもりなのか? てっきりその手の催しに興味がないとばかり思っていたんだがな、珍しいこともあるもんだ。冒険者稼業のついでか何かか?」


「いえ、そうではなくですね、ええっと……」


 ――『家族旅行』。

 妙にその言葉に気恥ずかしさを覚え、口ごもってしまう。

 その僅かな間に言葉を滑り込ませたのは、誰よりも魔武道会に、家族旅行に、お祭りに、思いを馳せていたマリーだった。


「――お祭りに行くですっ!」


 目を燦々と輝かせ、前のめりになったマリーが高々に声を上げる。

 その微笑ましい幼き姿に、エドガー国王は無礼を咎めようとはせず、それどころかマリーの満面の笑みに釣られるように相好を崩す。


「そうか、お祭りか。そうだな……ナタリーとマリーには随分と世話になったし、そのお返しと言ってはあれだが、どうだ? ブルチャーレ公国まで俺たちと一緒に行かないか? 最高の馬車に、最高の食事、安全な旅路、全てを用意してやろうとも。例えるなら、そう……絵本に出てくるような幸せなお姫様なような体験をさせてやる」


「お、お、お……お姫様です!?」


「ああ、お姫様だ。素敵なドレスだって用意しよう」


「お姫様……ドレス……凄いですっ! お兄ちゃんたちも一緒です?」


「もちろんだ。そうじゃなきゃ楽しくなくなってしまうだろう?」


 ――やられた。

 期待に満ち溢れたマリーの横顔を一目見れば、もはや断ることなどできやしない。

 後手にならず、先手を取り続けると胸に刻んでいたにもかかわらず、早くも後手に回ってしまった自分がどうしようもなく腹立たしく、情けなくなる。


 エドガー国王の言うような最高の馬車や最高の食事など、俺たちが貯えてきた巨万の富があれば、似たような物を用意することはできる。


 しかしそれは所詮、偽物でしかない。

 本物の王族が用意した物と、爵位こそ持っているものの一介の冒険者に過ぎない俺が用意したものでは、同じ物であってもその価値は異なる。

 そして何より、小さな女の子では抗いようのない『お姫様』という甘美な響き。


 趨勢は決まった。

 もはや覆しようもない。

 もし今ここで俺が断固拒否の姿勢を見せればマリーを悲しませてしまうことは目に見えている。


 そんな真似が誰にできようか。

 留守番ばかりさせてしまった俺にマリーの夢を、希望を、打ち砕く資格など有りはしない。


 そもそも忘れてはならない前提条件があるのだ。

 それは――ナタリーさんとマリーを楽しませること。

 二人が喜び、楽しみ、幸せにならなければ、俺が計画していた旅行は何の意味もなくなってしまう。


 こうして俺の『幸せ家族旅行計画』は、エドガー国王の気まぐれにより、いとも容易く粉々に砕かれたのであった。

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