第632話 不穏な噂

「ぜんっっっぜん、ダメだな」


 地面に仰向けで転がされた俺とリーナを見下ろしながらフラムが不満を口にする。


「二人とも大丈夫……?」


 そんな不甲斐ない俺たちの介護を行うディア。


 地獄の特訓が始まってから、既に半日が経過していた。

 十分ワンセットの戦闘を一体何度繰り返しただろうか。

 この間、俺とリーナは一度たりともフラムから勝利をもぎ取ることはできていない。


 一方でフラムが集めた魔物の群れは、僅か一時間程度で全滅し、血臭を漂わせながら屍の山を積み上げている。

 所詮はそこらに棲息していた有象無象の魔物だ。

 相手にするまでもなく、戦闘の余波でそのほとんどが死滅してしまっていた。


 おそらくフラムは俺がより強くなれるように魔物を用意してくれたのだろうが、残念なことに『血の支配者ブラッド・ルーラー』の出番はゼロ。

 それなりに有用そうなスキルを持っている魔物も少なからずいたが、どれも種族固有のスキルだったため、コピーすることすらできなかったのである。


 ともなると、現状で持ち得るスキルだけでフラムと戦わざるを得ず、俺たちの創意工夫が試されたというわけだ。


 そしてその結果は完膚なきまでの惨敗。

 フラムの理不尽で不条理なほどの強さの前に俺とリーナは為す術もなく敗れ続けたのであった。


 正直、俺は自惚れていた。

 今の俺ならばフラムに勝てないまでも、かなり良い戦いができるのではないかと過信していた。

 しかし、結果は見ての通り完敗。傷一つ負わせることもできず、一方的になぶられてしまった。


 ただ、もしこの戦いが正真正銘本気の殺し合いだったとしたら、致命傷とはいかないまでもフラムに怪我を負わせることくらいはできたかもしれない。

 だが、そこまでだ。

 天地がひっくり返っても今の俺ではフラムには勝てないと改めて思い知らされてしまった。


 どういうわけか『始神の眼ザ・ファースト』がフラムの情報を看破できなかったのも痛い。

 これは俺の憶測に過ぎないが、おそらくフラムの情報隠蔽能力は、俺が持つ『始神の眼』のような看破系統スキルに付随してくる隠蔽能力とは別種のものなのだろう。

 あるいはただ単純に俺のスキルレベルが足りていないだけなのかもしれないが、どちらにせよ今の俺でさえもフラムの情報を得るには至らず、未だにフラムの強さの底が見えなかった。


 息も絶え絶えで朦朧とする意識の中、ぼんやりとそんなことを考えている間にもフラムの説教アドバイスは続く。


「まずはリーナからだな。お前は『鏡面世界ミラージュ』を反射機能付きの幻影を生み出すだけの力だと思っているのではないか? 長期戦を見据えて分身体に割く魔力を極端に減らしていたのかもしれないが、愚策もいいところだ。『鏡面世界』の優れているところは本体と同一スキルを劣化させることなく使えることにあるのだから、その長所を活かすような戦い方をもっとするべきだぞ」


「はぁ……はぁ……。わかった、ッス……」


「で、次は主なのだが――私は一つ大きな思い違いをしていたようだ。手札が増えれば増える分だけ強くなると思っていたが、間違いだった。今の主を一言で説明するなら、器用貧乏と言ったところだろうな。スキル一つ一つの熟練度が圧倒的に不足している。スキルに関する知識、長所や短所の把握もそうだ。最善を尽くそうとしているのはわかっているつもりだが、悪い言い方をすれば器用過ぎるが故に場当たり的な対応になってしまっている。うむ、そうだな……今後、主にはスキルに対する造詣を深めてもらうとしよう。戦闘経験を積むのはその後でも十分だ」


 フラムからのありがたい言葉に、痛む身体を起こして力強く頷き返す。


 前にも思ったことだが、何気にフラムは教えるのがうまいのだ。とりわけ戦闘関連のことでは彼女の右に出る者などそうそういないのではないかと思えるほどに。

 あとは加減さえ覚えてくれれば言うことなしなのだが、そこまでの贅沢は言うまい。


 とにもかくにも、フラムのお陰でやるべき目標が明確になったのだ。


 強くなるために。

 そして、もう二度と負けないために。


 俺はこの日を境に、自分磨きならぬスキル磨きに没頭するようになったのだった。


――――――――――


 同日同時刻、ラバール王国王都プロスペリテの中心に聳え立つ王城のとある一室に国王エドガーと彼女たちはいた。


「我ら『王の三腕サード・アームズ』、只今帰還致しました」


 秘密部隊『王の三腕』の隊長であるロザリーが代表してエドガーに報告を行う。

 マギア王国王都ヴィンテルでゲートを使わずに紅介たちから離脱した彼女たち『王の三腕』は、約一ヶ月もの時間を費やし、王都プロスペリテまで徒歩で帰還したのであった。


「苦労をかけた。マギア王国の状況はこちらでも大方把握している。シュタルク帝国軍の侵攻は完全に止まったようだな」


「『紅』の奮戦並びに、水竜族の介入が侵攻を食い止めたのか、あるいは最初からシュタルク帝国にマギア王国を滅亡させる意思がなかったのか……。未だに判断しかねておりますが、結果的には陛下が望む方向に進んだのではないかと」


「マギア王国がある限り、北を気にしなくてもいいのは大きいからな。今後はマギア王国との連絡を密にし、ゆくゆくは軍事同盟の締結まで進めるつもりだ。水竜族の件に関しては……こちらでも大騒ぎになっている。知っているか? 『マギア王国の新女王は竜の加護を得た』なんて噂が流れていることを」


「存じ上げております。おそらくその噂の出処は……」


「――マギア王国の上層部……それも、かなり上の者の仕業だろうな。恐れ知らずと言うべきか、巧い手を考えたとでも言うべきか悩むところではあるが、虎ならぬ竜の威を借りたわけだ。大博打であるにしろ、国を守るという一点に於いてはこれほど有効な手は他にないだろうな」


 竜族の怒りを買えば、そのまま滅亡へと繋がる。

 常人では打てない恐れ知らずの一手を繰り出したのは、他ならぬマギア王国女王カタリーナその人だった。


 この時のエドガーは気付かなかったが、この一手には国家の防衛以外に、もう一つの思惑が隠されていたのだ。

 その思惑とは自国の貴族への牽制である。

 敗戦し、王が変わったことで必然的に求心力を失っていたフレーリン王家。ましてや西方貴族は王都防衛戦の際、派兵を渋った者や派兵を遠回しに拒んだ者が多かった。

 そんな貴族を制御し、さらには求心力も手に入れなければならなかったカタリーナは、『竜族』という禁じ手に頼ったのだ。

 噂は所詮、噂でしかない。

 そう言い逃れをするために、カタリーナは公式な声明ではなく噂に留めたのである。


 しかし、この一手がエドガーを……いや、他の国を大いに悩ませていた。


「はぁ……。いや、俺はまだ恵まれている方か。噂の真相を確かめるだけならコースケの屋敷に行けばいいだけだからな。それに公にこそなっていないが、我が国も炎竜王フラムを笠に着ているようなもの。仮に噂が真実だったとしても、水竜族を味方につけたマギア王国に怯える必要はあまりないしな」


「ですが、ブルチャーレ公国は違います」


「その通りだ。だからこそ問題なんだ。Sランク冒険者パーティー『銀の月光』。その一人であり、炎竜族であるルミエールがブルチャーレ公国を拠点にして活動をしているが、彼女一人だけではあまりにもパワーバランスが取れていない。竜族の存在を下手に知ってしまっているが故に、公国の上の連中は噂の真相を確かめたりと、今頃大慌てになっているだろう。最悪、我が国との軍事同盟を見直す動きが出てきてもおかしくはない。たとえば、シュタルク帝国に鞍替えしようとか、な」


 ――ルミエール。

 かつて、その正体を隠し、魔武道会に参加した『銀の月光』の一人。

 その正体は炎竜族であり、これは後に判明したことだが、イグニスの妹でもあった少女だ。


 魔武道会を騒がせたフラムとルミエールの存在は、ラバール王国とブルチャーレ公国の間で極秘情報として共有され、そして紆余曲折を経て、軍事同盟の締結に至った過去がある。


 『鞍替え』という言葉を聞いたロザリーは危機感を募らせる。


「それは……」


「無論、黙って見過ごすつもりはない。シュタルク帝国を止めるためには我が国とブルチャーレ公国の同盟は必須だからな。幸運なことに、話し合いには丁度いい機会が再来月に控えている。――ブルチャーレ公国で今年開催予定の魔武道会がな」

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