八章 動き出す世界

第630話 日常へ

 心地の良い春の日差し。

 可憐な花を咲かせる草木。

 ついに本格的な春が訪れた。


 ラバール王国に帰って来た俺たちは久しぶりの平穏な日常を謳歌していた。

 暫くの間は疲れ切った心と身体を休め、英気を養うための休息期間にしたいところだ。


 それに、数ヶ月間も屋敷を空けてしまった。

 屋敷の留守を任せっきりにしてしまったナタリーさんとマリーには本当に悪いことをしたとつくづく思う。

 イグニスも最後の数週間以外はこっちの屋敷で過ごしていたとはいえ、二人には随分と寂しい思いをさせてしまったことには変わりない。

 もちろん、ストレスだってかなり溜まっているだろう。

 週一で庭師さんを雇ったりもしているのだが、基本的にはだだっ広い屋敷の管理を二人だけで行ってきたのだ。『無理をしない範囲で』とは常日頃から伝えてはいるのだが、それでも相当疲れが溜まっているに違いない。


 ということもあり、ナタリーさんとマリーさんにも休暇を取ってもらうことになった。

 元の世界で言うところの有給休暇というやつだ。

 特にこれと行った期間を設けてはいないが、当面の間は外部の者を雇い、清掃等をやってもらうことになっている。

 ただし、食事だけは申し訳ないが、ナタリーさんとマリーに用意してもらうことに決まった。

 家庭的な味の料理が恋しかったというのが最大の理由なのだが、ありがたいことに二人はそんな頼みを快く了承。

 ここ暫くは二人が作る家庭的な料理に舌鼓を打つ日々を過ごしていたのであった。


 俺がこの世界にやってきて早一年。

 すなわち、フラムと出会い、ディアと出会い、そしてナタリーさんとマリーさんと出会ってからもう一年が経とうとしているということにもなる。


 一度は奴隷に落とされた二人だが、そんなことは俺にはどうだっていい。立派な俺の家族の一員なのだ。

 そんな二人を働き詰めにしてしまったことに俺は報いらなければならない。


「もしまたラバール王国を離れるようなことになった時には、二人も一緒に連れて行くのも悪くはないかもなぁ。危なくなったらゲートで屋敷に戻ってもらえば安全面も大丈夫だろうし……」


 朝の食堂で、俺はそんなことをポツリと呟く。


「うん、いいと思う。旅行気分も味わえるし、それに下手に屋敷に残るより、わたしたちの傍にいた方が安全になるかもしれないし」


 俺の呟きを拾ったディアがやや神妙な面持ちで同意を示す。


 少し前ならこんなことを考えることはなかっただろう。

 だが、世界の情勢が変わりつつある今、いつシュタルク帝国がラバール王国に侵攻してくるかわかったものではない。

 俺たちが予想だにしない手段で、突如としてラバール王国王都プロスペリテを火の海にしてくるかもしれないのだ。

 その時、俺たちがラバール王国の外にいた場合、ナタリーさんたちを守ってあげられる保証はどこにもない。

 であれば、ディアの言う通り俺たちの傍にいてくれた方が余程安全だろう。

 もちろん、無理強いするつもりはない。二人の意志を尊重するつもりだ。

 だが、一方で俺は二人なら『ついていきたい』と言ってくれるのではないかと確信めいたものを抱いていた。


「おかわり食べたい人、いるですかー?」


 満面の笑みを浮かべたマリーが厨房から顔を覗かせ大声を張り、賑わい過ぎている食堂にその可愛らしい声を響かせる。


「パンと肉と、そうだな……たまにはサラダもおかわりするか」


 相変わらず食い意地が張っているフラムが、さも当然と言わんばかりに注文する。

 そして、その声に続いたのは……、


「妾にもくれ! あっ、野菜はいらんぞ」


「私はパンとサラダのおかわりが欲しいッス。健康のためにも野菜は食べないといけないッスから」


 ここにいるはずのないプリュイとリーナだった。


「わかったです! お母さーん!」


「ふふふ、すぐに用意するわね」


 作り甲斐を感じてくれているのか、ナタリーさんの嬉しそうな声が厨房から届いてくる。

 二人が喜んでくれているのならば、この賑わい様も悪くはない。悪くはないのだが、如何せん今の状況はどう考えてもおかしいと言わざるを得ない。


「「……」」


 ツッコミどころが多過ぎるが故に……いや、見慣れてしまいつつある光景だからか、俺とディアは何も言えずにいた。


「コースケもディアもボケーっとして、どうしたんスか? せっかくの料理が冷めちゃうッスよ?」


 不思議そうに首を傾げるリーナ。

 その端正な容姿からは想像もつかないほど大胆なことをしているというのに、彼女にはそういった自覚がまるでないようだ。


「……不法入国?」


「はははっ。意外とディアって面白い冗談を言うんスね」

 

「いやいや、冗談とかじゃなくて事実だし……」


「コースケもまたまたー。こんなんでも私はマギア王国の女王なんスよ? そんな私が不法入国なんてするわけ……ゴニョゴニョ。――コホンッ、それにマギア王国は生まれ変わったばかりで忙しいんスよ?」


「言ってることもやってることも無茶苦茶だよ、本当に」


 こうなってしまった原因は言うまでもない。

 俺がマギア王国の各地に設置したゲートが今の状況を作り出してしまったのだ。


 プリュイが陣頭指揮を任された渓谷にも、リーナが住まうホルプラッツの仮の王宮にも俺はゲートを設置していた。

 それらのゲートは極一部の者しか知り得ぬ、一種の保険的な存在となっており、もしシュタルク帝国に動きがあった時に、俺たちが即座に駆けつけることができるよう設置したものだった。


 あれから約一ヶ月。

 今のところシュタルク帝国に動きはなく、リーナを女王として再始動した新生マギア王国の安全は脅かされていないようだ。

 流石に安堵するにはまだ早過ぎるが、それでもマギア王国は安定期に入ったと言っても良いだろう。

 政策の比重を対シュタルク帝国から内政へと切り替え始めたという話もリーナから訊いている。

 プリュイからもシュタルク帝国軍の影が一切見当たらず、暇を持て余していると訊いていた。


 つまるところ、二人は暇を手に入れたのである。

 無論、リーナに限っては立場が立場だ。暇というよりも、ちょっとした空き時間を手に入れた程度の話でしかない。

 にもかかわらず、彼女は貴重な空き時間を費やし、わざわざ俺たちの屋敷に二日に一度程度、朝食の時間だけ訪れるようになっていたのである。


 ちなみにプリュイは毎日来ている。それも昼夜問わずだ。

 最初の頃は来る度にフラムが苦言を呈していたのだが、今となっては完全に諦め、来訪を受け入れていた。


 そんなこんながあって、今に至るというわけだ。

 もしこのことがエドガー国王に知られでもしたら、国際問題に発展してもおかしくはない……気がしないでもない、たぶん。


 一瞬、脳裏に『バレないようにしろよ』とアドバイスを送ってくれるエドガー国王の姿が浮かんだが、そんな妄想を追い払い、純粋な疑問としてリーナに俺は一つ尋ねることにした。


「で、実際のところは? リーナが度々俺たちの屋敷に来てることを向こうは知ってるの?」


 向こうというのは当然、エドガー国王を含むラバール王国のことだ。

 いくらリーナが常識に囚われない豪胆な性格の持ち主だとしても、流石にこう何度も不法入国をするとは俺にはどうしても思えなかったのだ。


 すると、リーナは食事の手を止め、少し真面目な表情を顔に貼り付け、答える。


「一応、こっちから打診して許可はもらってるッスよ。もちろん、条件付きッスけどね」


「条件?」


「人との接触を避けること。要するにラバール王国内をふらつくなってことッスね。これでもマギア王国女王ッスから。顔を知られてる可能性はゼロじゃない。もし気付かれでもしたらそれこそ大騒ぎッスよ」


「ということは俺たちは例外ってことか。それにしても、よく許可がもらえたな……。まあ、あの国王様なら簡単に許可をくれそうな気もするけど」


 エドガー国王のことだ。

 簡単に許可を出したとしても不思議ではない。

 しかし、俺の予想に反してリーナとエドガー国王の間で駆け引きがあったことを知る。


「国と国のやり取りッスからね、そう簡単には行かないッスよ。ただ、今回だけはコースケたちのお陰で少しこちらが優位な状況で交渉ができたこともあって、比較的楽に纏まったッスけどね」


「俺たちのお陰? 何かしたっけ?」


 マギア王国のために行動をしたことこそあったが、ラバール王国の不利になるようなことをした記憶はない。

 むしろラバール王国を代表してマギア王国に恩を売ったと言っても過言ではないだろう。


 どんなトリックを使ってリーナが交渉を優位に進めたのか。

 その答えは意外にもあっさりとしたものだった。


「コースケたちは身分を偽って、ラバール王国の軍に所属する留学生としてマギア王国に来たわけッスよね? 今さら過ぎることッスけど、そこをつつかせてもらったんスよ」


「嘘を追求したってことか。そういえば最初はそんな設定だったっけ」


「助けてもらっておきながらどの口がって感じッスけどね。でも、どれもこれも建前でしかないんスよ。今後、マギア王国とラバール王国の関係は変わっていく。もちろん、両国にとって良い方向にッス。連絡や連携を密に取っていく上で、緊急の連絡手段があった方が何かと都合が良いと思わないッスか?」


「で、その連絡手段とやらが俺のゲートってわけね」


 都合良く使われてしまっているというのに、不思議と嫌な気持ちにならないのは、相手が苦楽を共にしたリーナだからなのだろう。


「もちろんタダで使わせてもらうつもりはないッスよ? あっ、マギア王国の爵位いります? 今なら女王の太いパイプ付きッスよ?」


「爵位なんかいらないし、パイプなら既に十分過ぎるほどあると思うけど?」


 俺がそう冗談交じりに答えると、リーナはいたずら小僧のように笑った。


「――ッスね。まあ色々と、こう言い訳を付け足したッスけど、結局のところ私の気分転換が一番の目的なんで、これからもよろしくお願いするッスよ」


 いつの間に食事を終えたのかリーナはナフキンで口元を綺麗に拭うと、席を立ち、別れの挨拶を口にする。


「ふぅ、ご馳走さまでした。最近、運動不足気味なんで、今度来た時は運動にも付き合って欲しいッス」


 女王になっても彼女の自由奔放っぷりは変わらないし、変わるつもりもないようだ。


「はいはい。人目がつかない場所を探しておきますよ、女王陛下」


 俺としてもマギア王国で進化した新たな力を確認するのに丁度いい機会かもしれない。


 この時、俺とリーナは不覚にも気付けなかった。

 黙々と食事をしていたはずのフラムの瞳に怪しげな炎が灯っていることに――。


「くくくっ……私の出番が来たようだな……」

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