第628話 大輪の花

 雲一つない青い空。

 春を感じさせる暖かな日差し。

 街路樹には色とりどりの蕾がつき、直に満開の花を咲かせることだろう。


 新生マギア王国首都ホルプラッツ。

 この日、ホルプラッツでは一大イベントが開催されることになっていた。


 都市の中心部には溢れんばかりの人が集い、その時を待ち侘びている。

 出店に並ぶ人々や、会話に興じる人々など、楽しみ方は人それぞれ。

 今日だけはシュタルク帝国に敗戦したことを皆忘れ、まさにお祭り騒ぎの様相を呈していた。


 そんな喧騒の中、俺たち『紅』は人混みから離れた場所でひっそりと隠れながら、遠くからホルプラッツの中心部を眺めていた。


「もうそろそろかな?」


 都市の中心部――そこに建つ、モニュメントらしき巨塔を見つめていたディアがそわそわと身体を動かしながらそう言う。


「あ、うん。そうみたいだね」


 かくいう俺も緊張していた。

 別に俺たちが今から何かをするわけではない。するわけではないのだが、何故か緊張してしまっている。

 やはり、他人事ではないと心の中で思っているからこそ、こんな気持ちになっているのだろう。


「もぐもぐ……。うむ、悪くない味だ」


 俺とディアが緊張しているというのに、フラムは出店で購入した串焼きを呑気に頬張り、感想を口にするだけ。

 今から始まろうとしている一大行事のことなど、フラムにとってはお祭りの中で行われる小さなイベントの一つ程度にしか思っていないのだろう。


 そして、ついにその時が訪れた。

 トランペットのような楽器が一斉に音を奏で、ホルプラッツに響き渡る。

 その演奏に呼応するかのように、大歓声と共に盛大な拍手が鳴り、ホルプラッツにいる全ての者が巨塔に視線を集めた。


 そう――今日は新たにマギア王国の女王となるリーナの戴冠式兼お披露目会が行われる日だったのである。


 シュタルク帝国軍から逃れ、ホルプラッツに到着してから早二週間が経っていた。

 アウグスト前国王が亡くなった日以降、リーナが女王としてその座を引き継いでいたわけだが、こうして正式に国民へ向けて公式に発表されるのは今日が初めて。


 その見学に俺たち三人は足を運んだというわけだ。

 ちなみに、今日をもって俺たち三人はラバール王国に帰ることになっている。イグニスに関しては既にラバール王国に戻り、屋敷でナタリーさんやマリーと平穏な日常を送っている頃だろう。


 この二週間、俺たちは自らの意思でマギア王国のために馬車馬のように働いてきた。

 アーテの謀略を止められなかった罪滅ぼしの意味を籠めて。


 フラムは国境線沿いの警戒兼プリュイの監視役として、マギア王国軍の編成が終わるまで渓谷に駐在。


 ディアはその無尽蔵の魔力を活かし、主に土木工事や建設作業に携わり、この日を迎えるために尽力した。

 余談だが、ホルプラッツの中心部に建っている巨塔を造ったのも、実はディアだったりする。

 これは後から訊いた話なのだが、戴冠式兼お披露目会のためだけにディアが好意で建てたとのことだ。


 俺はマギア王国の各地へ赴き、極一部の者だけが知るゲートを設置しに行っていた。

 極一部の者とはリーナとエステル王太后、カイサ先生、そして『七賢人セブン・ウィザーズ』の計八人+『妾にも教えろ』と駄々をこねてきたプリュイのみ。

 アクセルたちが設置した現存する転移門は避難民救出や移動の際に多くの人の目に触れてしまったため、万が一に備えて転移門とは別の移動手段を一時的に俺が用意したというわけだ。


 ちなみに俺が設置したゲートは近い将来、順次アクセルの転移門に置き換え、閉じる予定になっている。

 それは他国の人間である俺を信用できないという話ではなく、管理面を考えてのことだ。

 基本的にゲートを開け閉めできるのは俺だけ。アクセルの転移門にも同じことが言えるが、所在の掴みやすさを考えると、今後リーナの傍にいることになるアクセルの方が上というだけの話である。


 二週間が数日程度にしか感じられないほど、俺たちは濃密な時間を過ごしてきた。

 その間、シュタルク帝国軍が侵攻の手を伸ばしてくることはなかったと訊いている。

 ただし、渓谷より東の土地の占領は着々と進められ、今やシュタルク帝国により、完全に掌握されてしまったと言っても過言ではない状態にまでなっているらしい。


 ――完敗だった。

 悔しいが、そう言わざるを得ない。

 マギア王国で何かが起こると知らされていたにもかかわらず、俺たちは……いや、俺は、それを止めることができなかったのだ。

 周到に準備された盤面をひっくり返すだけの実力が、思考力が、俺には圧倒的に欠けていると今回の一件で思い知らされた。


 マギア王国を失わずに済んだのは俺たちのお陰ではなく、おそらくアーテの気まぐれか、元よりそういう計画だったというだけなのだろう。


 考えれば考えるほど、自責の念に駆られていく。

 だが、それでも俺は前に進まなければならない。

 後悔をするよりも、より良い未来を掴むための努力をしていかなければならない。


「次こそは……」


 巨塔を見上げ、俺はそう一人呟いた。


 白い鳥が晴れ渡る春の空を飛んでいく。

 そして祝福の鐘の音が鳴ると、ホルプラッツが大歓声に包まれる。


「ほらほら、こうすけ。リーナが出てきたよ」


 服の袖を少し浮かれたディアに引っ張られ、俺は視線を巨塔の頂上へと向ける。

 するとそこには豪奢な青色のドレスで着飾り、宝石が散りばめられた王冠を被るリーナの姿があった。


 遠くからでもわかる凛々しくも美しい顔立ち。

 日の光に照らされた彼女の短い髪は、両親から引き継いだ金とも銀とも取れる鮮やかな輝きを放つ。


 そんな彼女の後ろには俺たちもよく知る顔が並んでいた。

 漆黒のローブを脱ぎ捨て、リーナが着るドレスと同じ青色のローブを羽織った五人がやや顔を強張らせ、彼女を影から支えている。


「もぐもぐ……む?」


 変わらず串焼きを頬張っていたフラムがピタリとその手を止めると、リーナの晴れ姿を見つめ、首を傾げる。


「どうしたの? フラム」


「ふふっ、面白い奴だ」


 不思議がったディアがそう訊ねてみても、フラムはただ笑うだけで何も答えてはくれない。


 リーナの演説が始まった。


 アウグスト前国王が亡くなったこと、シュタルク帝国との間に勃発した戦争のこと、そしてこの先のマギア王国の展望を、普段とは違う堅苦しい言葉遣いで懇切丁寧に国民に伝えていく。


 その姿はまさに国を統べる者。

 やんちゃな女の子ではなく、ただの王女でもない、マギア王国の女王に相応しい姿を見せていた。


「今後、マギア王国は各国と連携を取り、シュタルク帝国に屈することなく――」


 数十分と続いた演説は、最後にシュタルク帝国への今後の対応について表明し、いよいよ終わりに差し掛かろうとしていた。


 リーナの言葉を一字一句聞き逃すことなくその勇姿を最後まで見届けようと思っていたその矢先、俺は突然背中を力強く押され、たたらを踏んでしまう。


「――おっと」


 人混みから多少離れていたとはいえ、この騒ぎだ。誰かがぶつかってきても何らおかしくはない。


 そう思いつつ、ゆっくりと後ろを振り返る。

 すると、そこには……、


「どうッスか、どうッスか? 私の演説は。昨日徹夜して考えたんスよ」


「……へっ?」


 変な声を出してしまったが、仕方がないだろう。

 何故なら、そこにいるはずのない人物が俺の目の前にいたのだから。


「えっ? どうしてリーナが?」


「くくっ……くくくっ……」


 ディアもいまいち状況が掴めていないのだろう。瞬きを繰り返し、自分の目を疑っていた。


 一方、フラムは終始笑いっぱなしだった。

 人目を集めないように笑い声を抑えるのに必死になっている。


「びっくりしたッスか? さてさて、ここで問題ッス。あそこで演説してる私と、ここにいる私。どっちが『鏡面世界ミラージュ』で生み出した幻影でしょうかっ」


 とんでもないことを仕出かす女王がいたもんだ。

 ……いいや、違うか。


 どこまでも明るく、どこまでも元気なこの姿こそ、俺たちが良く知るリーナの本当の姿なのだから。


「コースケ、ディア、フラム。本当にありがとうッスよ」


 雨にも風にも冬の寒さにも負けない、決して枯れることのない花。


 カタリーナ・ギア・フレーリンはその顔に大輪の笑顔を咲かせたのであった。

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