第623話 水の王と妃
外見年齢は五十代半ばといったところだろうか。
青みがかった短い白髪に、白一色の袈裟のような服を着た男性がフラムに軽く頭を下げる。
その隣に寄り添うようにいるのは、見目麗しい妙齢の女性だ。
プリュイと同じマリンブルーの色をしたショートヘアに、これまたプリュイと同じ蒼い瞳。まるでプリュイがそのまま成長したかのような容姿をしている。
自己紹介をされるまでもなく、二人が何者なのかがすぐにわかった。
二人は間違いなくプリュイの両親――すなわち、
水竜族を統べる最上位の竜族が二人。そして俺たちをぐるりと囲むように降り立った十数体のドラゴン。
何とも居心地の悪い空間ができあがってしまった。
先ほどまでの興奮や憧れの感情はとうに消え去っている。
一秒でも早くこの場から立ち去りたいという気持ちに俺は駆られていた。
そのためにはやはり、俺の後ろで身を縮こませながら隠れているプリュイを差し出す他にないだろう。
何も言わずにスッと横に逸れる俺。
そんな俺の動きに、一瞬の遅れもなくついてくるプリュイ。
プリュイの身体能力の高さが無駄に発揮された瞬間だった。
「……」
「……」
俺もプリュイも言葉を発することはなかった。
ただし、その心の中は別だ。
『俺の背中に隠れるな!』と無言の圧力を加える俺と、『馬鹿を言うな!』と抵抗するプリュイという構図が完璧に出来上がっていたのである。
傍から見れば、本当に馬鹿みたいなやり取りをしているように映っていたことだろう。
その証拠に、プリュイの両親とフラムから冷めた眼差しが飛んできていた。
「……っと、挨拶を返し忘れていたか。久しぶりだな、
フラムにしてみれば、ちょっとした冗談を言ったつもりだったはずだ。
しかし、水竜王ことヴァーグさんと、その妃であるシレーヌさんはフラムの言葉を冗談とは捉えなかったらしい。
元々強面のヴァーグさんはより迫力を増した顔をつくると、その凶悪なまでに鋭い視線を俺の背中に隠れているプリュイに向ける。
その一方でシレーヌさんは柔和な笑みをより深め、不思議と恐怖を覚えるような笑みをプリュイに向け続けていた。
プリュイはそんな二人の様子をちらりと確認したのだろう。
「ひぃっ――!」
そう奇声を上げ、小さな身体をさらに小さくさせていた。
そんなプリュイをよそに、フラムはここが戦場だということを忘れたかのように呑気に会話を続ける。
「それよりも、わざわざ一族の者たちを引き連れてどうしたというのだ? プリュイを叱りに来ただけではないのだろう?」
フラムの質問に応じたのはヴァーグさんだった。
引っ込みきらない強面を僅かに引っ込めると、神妙な面持ちをつくる。
「娘の配下から地竜族に関するきな臭い話を耳にした。その確認を含め、こうして足を運ばせてもらったというわけだ」
「ほう……。で、その確認とやらはどうやら済んだみたいだな」
ニヤリと口角を上げるフラム。
約定を破った地竜族を咎めるための頼もしい味方を手に入れたと言わんばかりの表情をしていた。
「この目でしかと確認させてもらった。
ヴァーグさんはそう言った直後、怒りの形相を浮かべた。
その煮えたぎる怒りはプリュイに向けられたものとは比べ物にならない。
激怒どころか、憎悪の感情さえ籠もっているように俺には感じた。
「そうかそうか。ならば、既に答えは出ているのだろう? 人族の国家に与して侵略を続ける地竜王の一味と、それを防ぐ私。どちらの肩を持つべきなのかをな」
「――無論だ。我々水竜族は竜の約定を破る不届き者を断じて許しはしない。この戦いに介入したのもそれが理由だ」
間一髪のところでシュタルク帝国軍が架けた橋を落としてくれたのは、行動でどちらの味方につくのかを証明するためだったらしい。
何とも有り難い話だ。
しかし、そこで一つ疑問が浮かび上がってくる。
そして、どうやらプリュイも俺と全く同じ疑問を抱いたようだ。
先ほどまであれほど怯えていたのが嘘だったかのように、ひょっこりと俺の背後から顔を出すや否や、疑問を口にする。
「父上よ、母上よ、『人を殺してはならぬ』という我が一族の掟は!?」
思わず口に出して同意したくなってしまうほど、俺はプリュイと全く同じ疑問を持っていた。
氷柱で橋を貫き落とした際、橋の上には多くのシュタルク帝国兵がいたはず。当然、橋が崩壊したことで橋の上にいた者たちの多くは死んでしまっただろう。
結局、何が言いたいのかというと、『不殺の掟』とは何だったのかということだ。
律儀に掟を守ってきたプリュイがそのような疑問を持つのも当たり前の話だ。
が、プリュイの疑問はシレーヌさんの次の言葉と満面の笑みによって一瞬で封殺される。
「あらあら、この娘ったら何を言っているのかしら? わたくしたちは橋を落としただけ。橋の上に人がいたなんて覚えはないわ」
「……」
あまりにも苦しい言い分だ。白々しいにもほとがある。
流石のプリュイも、あんぐりと口を開けて絶句していた。
だが、今のプリュイには反論をする気概も余裕もどこにも残されていない。
残念なことに今の彼女には壊れた人形のように頷くことしか許されていないのである。
かくいう俺も似たりよったりだ。
勝手に心の中で『さん』付けで呼んでいるが、ヴァーグさんたちからしてみれば、俺なんて有象無象の人間の一人に過ぎない。
ともなれば、今の俺に発言権なんてものがあるはずもなし。フラムが紹介してくれるまで黙って成り行きを見届けることしかできなかった。
かくして、フラムとヴァーグさんの間で勝手に話が進んでいく。
結論だけを述べると、フラムとヴァーグさんたち水竜族の間で共闘関係が築かれることになった。
さしあたって、地竜族のこれ以上の蛮行を阻止すべく手を貸してくれるとのことだ。
ちなみに、フラムに手を焼かせたという謎の罪に問われていたプリュイの処遇は、フラムの温情によって無罪放免という形に。
そもそものところ、プリュイにそこまで迷惑を掛けられたわけではない。
確かに、その自由奔放っぷりには多少手を焼かされたこともあった気がしないでもないが、それ以上に色々と手伝ってもらってきたのだ。
なんだかんだ言ってプリュイに甘いところがあるフラムが、プリュイに罰が下ることを望むはずもなし。
加えて、頭が上がらないのであろう両親が近くにいる限り、プリュイの鼻が天狗のように伸びることはないはず。そういった要素も含めて、フラムはプリュイに温情をかけたようだ。
すっかり調子を取り戻したプリュイが、俺たちを取り囲むように待機していた水竜族に向けて号令を掛ける。
「わーっはっはっ!! ようやく妾の見せ場がやって来たようだな! ――征くぞ、皆の者! 妾に続くのだ!」
そう言いプリュイは近くにいたドラゴンに飛び乗り、首の付け根あたりに跨った。
案の定と言うべきか、期待外れと言うべきか、どうやらプリュイはドラゴンの姿になるつもりはないらしい。
「本当にあの娘ったら……。ではフラム様、わたくしも行って参ります」
困った表情を浮かべながら恭しく頭を下げるシレーヌさんに、フラムが偉そうに頷く。
「うむ、頼んだぞ。プリュイだけではどうにもできないだろうしな」
こうしてプリュイとシレーヌさんはドラゴンの群れを引き連れ、飛び立っていった。
途端、吹き荒れていた豪雨が吹雪へと変わる。
魔力を帯びた雪が瞬く間に世界を白へと染め上げていったのだ。
数分後、突如として吹雪が止み、視界が晴れる。
そして俺は目を疑った。
渓谷に聳え立つ巨大な氷の壁を目の当たりにして――。
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