第622話 プリュイの誤算
遠目で見てもわかる。
紛れもなくそれらは鳥ではなく、ドラゴンだった。
徐々に高度を下げて来たことでその堂々たる風格が事細かに見えてくる。
巨大な一対の翼と、長く太い尾。
体表は蒼く、無駄な肉のない発達した筋肉だけで構成された四肢の先には、全てを切り裂く鋭利な爪が生えている。
そして、何より特徴的だったのはその
全てを噛み砕き、飲み込んでしまうであろう巨大な口からは鋭い牙が見え隠れしている。
戦場にいた者全員がその姿を目の当たりにし、手を止めて完全に魅入られてしまっていた。
もちろん、それは俺だって例外ではない。
その姿はまさに物語で出てくるドラゴンそのもの。
少なくない畏怖と共に興奮や感動を胸に抱きながら、ドラゴンの群れに目を奪われていた。
まるで自分たちが空の王であると言わんばかりに、遅々と羽ばたかれる一対の巨大な翼から風が巻き起こり、木々を大きく揺らす。
だが、それでも戦場となっている渓谷にいた者は静かなままだった。
意志が統一されたかのように、誰も声を発しようとしなかったのだ。
ただ唖然としているだけなのか、恐怖から口を閉ざしているのかはわからない。
唯一わかることは、俺が今見ている光景が誰の目から見ても異常な光景なのだということだけだった。
バサッ、バサッと翼が風を掴む音だけが周囲一帯を支配する。
その間、俺は戦いのことをすっかりと忘れ、年甲斐もなく目を輝かせてその威容を眺め続けていた。
感覚としては憧れに違いだろうか。
傍目から見たら恍惚な目をしていたに違いない。
そんな夢現の中にいた俺を現実に引き戻したのは、ドレックの対処にあたっていたはずのフラムだった。それも、強烈な拳骨と共に、だ。
「――っ!?」
痛みは無効化されたが、視界が明滅するほどの衝撃を受け、後ろを振り向く。
するとそこには、つまらなさそうにジト目をしたフラムが両腕を組んで俺を見つめて立っていた。
「主よ」
「……はい」
俺の生存本能がそうさせたのだろう。何故か俺はフラムに敬語を使っていた。
「今、あのチンケな竜に見惚れていたな?」
そう言いながらフラムは空を飛ぶドラゴンの一体に向けて指をさす。それは間違いなく俺が憧れの目で凝視していたドラゴンだった。
「……はい。その通りでございます」
「はぁ〜……。主よ、まさか主がそこまで見る目がなかったとは私は悲しいぞ。あんなものは下位も下位の竜だ。よく見てみろ、あのペラペラな竜鱗を。赤子のような幼さを残す竜爪を。牙だってまだ生えかわったばかりではないか。やれやれ、常日頃から私やイグニスが主の近くにいたというのに、まさかここまで見る目が養われていなかったとは……」
嫉妬だろうか、と一瞬思ったが、フラムの口振りからして、その可能性はゼロだと断言できる。
俺が物語に出てくる、いわゆる鈍感系主人公であったならば、実は嫉妬だったという可能性が残されていたかもしれないが、フラムの様子は明らかに俺に対して呆れ果てていた。
だが、俺も俺でフラムに対して言いたいことが山のようにあった。
そもそものところ、見る目がないと言われてしまったが、直接ドラゴンの姿を見たのは今回が初めての経験なのだ。
フラムやイグニス、他にもプリュイなど、様々な竜族と接する機会はこれまで何度もあったが、その全員が全員、人の姿を取っていて、ドラゴンの姿は一度として見たことがなかったのである。
なのに、どうやって見る目を養えと言うのか。
やれやれと言いたいのはこっちの方だ。
が、今のフラムにそんなことを言う勇気が俺にあるはずもなく、俺はコクコクと頷き、反省の色を見せることしかできなかった。
もしここで反論などしようものなら、グーパンチが飛んできてもおかしくない――いや、間違いなく飛んでくる。故に、俺は従順にならざるを得なかったのである。
俺の偽りの反省がフラムを無事に欺くことに成功したらしく、フラムは仏頂面を崩すと、いつも通りの涼やかな表情に戻り、空を飛び回るドラゴンの群れの説明をしてくれた。
「下の方で偉そうな面で飛び回ってるのは大体竜族の中でも下位の者たちだな。人化もできない奴らだ、人を見るのが初めてで多少浮かれているんだろう」
偉そうな面と言われても、容姿の違いがまるでわからない俺からしてみれば、正直言ってどれも同じ顔にしか見えなかった。
やはり同じ竜族なだけあってフラムにはその僅かな違いが簡単にわかるようだ。
フラムの指先が上空を飛ぶドラゴンに向けられる。
「で、上の方で偉そうに旋回してるのが上位の者たちだ。おそらく水竜族の中でもそれなりの地位にいるのだろうな。その証拠に、ほら――
「……ん?」
耳を疑うような言葉が聞こえてきた気がしたが、きっと気のせいに違いない。
まさかこんなところに水竜王とその妃――つまりはプリュイの両親がいるわけがないのだから。
ジッと空を見つめる。
吹き荒れる雨でかなり見にくいが、フラムの言う通り一際大きな体躯を持つ二体の竜の周りを他の竜がまるで護衛をしているかのように旋回していた。
百聞は一見にしかずとはよく言うが、それでも俺の頭と心はまだ信じ切れていなかった――次の瞬間までは。
「ち、ちちちちちっ、父上だけではなく、は、はははははっ母上まで!? こ、こんなはずでは……。終わった……妾は終わったのだ……」
「あっ、やっぱりそうなんだ……」
いつからプリュイはそこに立っていたのだろうか。
戦いもせず放心状態でどこかで放置されていたはずのプリュイがどうして俺のすぐ後ろに……いや、どうして俺の背中に隠れて震えているのだろうか。
見るまでもなくわかっていたが、改めてプリュイの顔を覗き見てみると、その顔は真っ白になっていた。おそらく心まで真っ白になっていそうだ。
人と言うのは自分以上に混乱している者を見ると、何故か冷静になれる生き物らしい。
激しく混乱しているプリュイを見た俺は、冷静さを取り戻し、現状を把握するために動き出す。
「あれってプリュイのご両親だよね? もしかしてプリュイがご両親をここに……?」
「ばっ、馬鹿か、貴様は!? 怒られるのは妾なのだぞ!? 怒られるとわかっていながら妾が呼ぶはずがないだろうが! 良いか、よーく訊け!! 妾が呼んだのは配下だけだっ!!」
すっかり魂が抜けて落ちていたはずのプリュイが顔を真っ赤に染めてそう絶叫した。
大声量で発せられた言葉は渓谷を越え、空をも貫く。
そして、あろうことかプリュイの声は遥か上空を飛んでいた水竜族の皆さんに届いてしまう。
旋回していた複数の竜の動きがピタリと止まる。
「……あっ」
己の失態を悟ったプリュイから間抜けな声が漏れ出るが、もはや打つ手なし。
上空を飛んでいた全ての竜の視線が俺に、そしてその後ろで隠れているプリュイに集まってしまう。
「何をしているのだ、全く……」
呆れ果てたフラムの声が俺の耳に届くが、それどころじゃなかった。
「ひえっ――」
シュタルク帝国軍に負けず劣らずの統率力を見せつけ、一斉に二十近い竜が、俺……もといプリュイに向かって急降下してきたのである。
この世界に来てからというもの、俺は何度も死ぬような思いを、体験をしてきた。
だが、これほどまでに死を意識したのは初めてかもしれない。
みるみるうちに二十近くの竜が距離を縮めてきたことで、俺はその巨躯をよりリアルに実感する。
それは紛うことなく怪物だった。
比類なき最強の生命体だった。
着地する度にドスンと強烈な地響きが鳴る。
不幸中の幸いと言うべきか、俺たちの周囲には誰もいなかった。
ディアもロブネル侯爵軍もここより少し離れた場所でシュタルク帝国軍の対処をしていたからだ。
ドスン、ドスン、ドスン――。
連続して腹の底まで届く地響きの後、俺たちはドラゴンに囲まれていた。
最後に、ピチャっと軽やかな着地音が二つ鳴る。
そして……、
「――
「フラム様、お久しぶりでございます。プリュイがご迷惑をお掛けしていると訊き、飛んで参りましたわ」
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