第621話 空から現れし者
豪雨に負けることなく轟々と燃え盛る炎の帳。
そのすぐそばにフラムたちはいた。
「おっ、そっちは片付いたのか? こっちはプリュイの奴が使えなくてな」
「んなっ、何だとーっ!」
お気楽な声でこちらに軽く手を挙げ、出迎えてくれるフラムと、元気そうに抗議の声を上げるプリュイ。
俺とディアはフラムたちの背後に転移したのだが、どうやらすぐに敵ではなく俺たちだと気付いてくれたようだ。
「片付いたというより、逃げて来ただけだけどね」
俺はそう言いながら周囲にいるシュタルク帝国兵に目をやる。
彼らは明らかに怯えていた。
もはや、戦う気力など何処にもないと言わんばかりに戦意を失い、恐怖の表情を浮かべていた。
とりわけ、フラムに向ける目が言葉では形容し難いほどに異様なものになっている。
まるでその目は死神を見ているかのようだった。
何かが焼け焦げた悪臭がここら一帯に充満している。
一目見ただけではなかなか気付き難いだろうが、豪雨によって泥濘んだ地面のあちらこちらには真っ黒な炭や灰のようなものが雨水に溶け出していた。
しかも『ソレ』は十や二十程度の数ではない。百を優に超えているだろう。
それが元々何であったのかはフラムに訊くまでもない。
何故ならシュタルク帝国兵の目が雄弁に語っていたからだ。
だからと言って、フラムに何かを言うつもりは欠片もない。
――殺らなければ殺られる。
ここはそういう世界で、これはそういう戦いだと理解しているからだ。
それに何より、俺がフラムにそうするように望んだのである。フラムに感謝こそすれ、非難するなんてことは絶対にあり得ないし、あってはいけないのだ。
「もうここに長居をする意味はないし、リーナたちと合流しよう」
「こうすけ、魔力は大丈夫?」
「後のことを考えると少し心許ないけど、今は大丈夫だよ」
「なら、あとで魔力を補充するね」
ディアの有り難い申し出に軽く一つ頷き、俺はフラムとプリュイに手招きをする。
そして、三人に俺の肩に触れてもらい、俺たちはシュタルク帝国軍をその場に残し、渓谷の向こう側へと転移したのであった。
視界が切り替わる。
とはいっても、然程景色に変わりはない。
周囲にいるのがシュタルク帝国軍からロブネル侯爵軍に変わった程度だ。
「ん……?」
転移した途端にフラムが空を見上げながら訝しげな声を上げた。
フラムに釣られるように俺も空を見上げ、すぐに異常に気付く。
どうやらディアも同じように気付いたらしく、軽く目を細めていた。
そう……空に、分厚い暗雲に、激しく吹き荒れる雨に、大量の魔力が帯び始めていたのだ。
今のところ身体に異常をきたす様子はないが、かといって到底無視できるものではない。
原因が何にあるのか。
俺が知らないこの世界特有の自然現象なのか、はたまたシュタルク帝国軍の手によるものなのか、直ちに調べる必要があるだろう。
俺がそんなことを考えていると、唐突にプリュイが悲鳴に近い、奇声を上げ始める。
「ひょえっ!? なななななななっ……!?」
「ななな?」
フラムが茶化すように悪どい笑みを浮かべながらプリュイの言葉を繰り返すが、どうやらフラムに構っていられるほどの余裕がプリュイにはないようだ。
かくいう俺も、申し訳ないがプリュイに構ってあげられるほどの余裕はない。
上空に漂う魔力が気になりはするが、今真っ先にすべきことは渓谷に架かる橋を落とすこと。
シュタルク帝国軍が橋を渡り切る前に橋を落とさなければ、ロブネル侯爵軍を転移させた意味がなくなるどころか、再び窮地に追い込まれてしまうからだ。
後ろを振り返り、渓谷に架かる巨大な橋を観察する。
一見すると、ただの鉄製の橋のように見えるが、観察を続けていくうちに何らかの魔法的補強が施されていることに気付かされる。
十中八九、一筋縄ではいかないだろう。
俺の魔力が十分に残っていたとしても、この橋を落とすのに相応の時間が掛かることはまず間違いない。
「ディア、フラム、橋を落としたい。手伝ってくれないか?」
「わかった、任せて」
「くくくっ……、これはこれは面白いことになってきたぞ。こういうのは私の得意とするところだ、任せておけ」
何とも心強い返事だ。何故か一人は不気味に笑っているが。
『気配完知』がシュタルク帝国軍の気配が近づいてきていることを示す。
やはりというべきか、シュタルク帝国軍はまだ諦めていないようだ。
ともなれば、早々に取り掛からなければならない。
橋の長さはおよそ二百メートル。
四本の支柱が巨大な橋を支えており、手っ取り早く橋を破壊するにはまず柱を折る必要があるだろう。
本来ならプリュイを含めて一人一本といきたいところではあったが、青を通り越して紫色に変わりつつある彼女の顔を見る限り、諦める他なさそうだ。
となると、誰かがプリュイの代わりにもう一本柱を壊す必要があるのだが、魔力の補充を終えてない今の俺では正直厳しい。
ここは破壊という分野で右に出る者はいないであろうフラムに任せるのが一番だろう。
「フラムには悪いんだけど――」
そう切り出した矢先のことだった。
耳をつんざく崩壊の音が聞こえてきたのは。
四本の柱は豪快に燃え盛り、赤みを帯びて溶けていく。
そして橋の中央には竜王剣を力任せに突き刺し、橋桁を粉々に砕くフラムの姿があった。
「いつの間に……」
「『任せておけ』って言ってからすぐに飛んでいっちゃった」
「あ、ああ……なるほど」
ディアが言うには、どうやら俺がプリュイの顔を眺めていた隙に飛び出していったらしい。
三人で協力して橋を壊すつもりだったが、これはこれで特に問題はない。
あっという間に橋を壊し終えたフラムは、物理法則を無視して落下していく瓦礫を次々と足場にし、清々しい顔をして俺たちのもとに帰ってきた。
「ふぅ……久しぶりにスッキリしたぞ。で、そんなことよりもプリュイよ、
話が全く見えて来なかったのは俺だけではなくディアも同じだったようだ。二人で顔を見合わせてフラムの言葉に首を傾げる。
そして話を振られた当のプリュイは、というと……、
「……違う違う違う。あり得ん、こんなはずではなかったのに……。妾が呼んだのは妾直属の配下だけであって……」
誰とも一切顔を合わせようとはせず、それどころか頭を抱えて地面に向かって独り言を呟いていた。
彼女の身に一体何が起きたというのだろうか。
誰に対しても傲慢不遜を貫くプリュイをそこまで恐怖させる存在がこの世界にいるのかという疑問と不安がじわじわと込み上げてくる。
と、その時だった。
突如として、大地が音を立てて大きく揺れ始めたのである。
震源地は『気配完知』で大方察していた。
視線をプリュイから外し、シュタルク帝国軍が集う渓谷の向こう側へと向ける。
するとそこにはドレックと思われる人影が断崖スレスレに立ち、土系統魔法を用いて即席の橋を新たに架けようとしていた。
瞬く間に大地がアーチ状に伸び、渓谷に橋をかけようと、こちら側に迫ってくる。
しかも、それは一本や二本ではなかった。
断崖スレスレに立っていたのは一人だけではなかったのだ。
一定の距離を空け、等間隔で渓谷沿いにシュタルク帝国兵が並び、十本以上の橋を一斉に架けようとしていたのである。
「――ディア、フラム!」
俺が呼び掛けるよりも先に二人は動いていた。
フラムは得意の火系統魔法を発動し、一際速くこちらに向かってくる土の橋を即座に煉獄の炎で包み込む。
その光景を目にしたディアは、まだ時間に余裕があると判断したのか、俺の右手を両手で優しく包み込んだ。
ディアの手のひらから温かな魔力が流れ込み、俺の魔力の器を満たしていく。
時間にして十秒ほどで総魔力量の五割が回復。急場凌ぎにしては十分過ぎるほどの魔力が俺の身体に戻る。
「ありがとう、助かった」
少し名残り惜しくもあったが、ディアの手を優しく振り解き、俺は俺で、ディアはディアで、それぞれ別の橋の対処にあたっていく。
だが、一度に十本以上――それもある程度の距離を空けられていることもあって、俺たち三人だけではどうしても対応が追いつかない。
厄介なことに、こういう時に一番頼りになるはずのフラムがドレック一人の対応で手一杯になってしまっていたのが痛かった。
ディアは土系統魔法に有利を取れる風系統魔法を変幻自在に操り、伸びてくる土の橋を切断・風化させていく。
そして俺は『
しかし、こうまでしても対応が追いつかない。
相手の力量からして、ただの魔法師だけではないことは明らかだった。
おそらくシュタルク帝国軍の魔法師だけではなく、地竜族に連なる者たちも橋を架けようと躍起になっているのだろう。
それでも何とか耐えに耐え、五分、十分と時間が経っていく。
その間にもこちら側に架けようとしてくる橋の本数が増えていた。
途中からイグニスやロブネル侯爵軍の人たちにも橋の対処を手伝ってもらっていたが、ついに最悪の時が訪れてしまう。
ロブネル侯爵軍に任せていた三本の橋のうち、二本が完成してしまったのだ。
転移を使い、俺が壊しにいこうものなら、俺が対処にあたっていた橋が架かってしまうというジレンマ。
それはディアもフラムもイグニスも同じ。
遠くから怒号が聞こえてくる。
――間に合わない。
絶望感に心が支配されそうになったその時、遥か上空から無数の氷柱が降り注いだ。
そして、完成した橋を瞬く間に貫くと、橋を渡ろうとしていたシュタルク帝国軍ごと橋を渓谷に叩き落したのである。
空を見上げた俺は
目を疑ってしまうような光景を。
空を覆っていた分厚い灰色の雲の間からドラゴンの群れが現れたのだ――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます