第618話 第三の選択

 話には訊いていたが、セレーメの口の悪さには驚きだ。

 自分の弱さを隠すためにあえて荒い言葉遣いをしているのならまだ理解はできるが、きっと彼女の場合はそうではないのだろう。

 たちが悪いことに彼女の実力は折り紙つき。強者が故の言葉遣いに違いない。


 綺麗な顔が台無しになるほどの殺意が籠められた鋭い眼差しを向けられる。

 言いたいことが山のようにあったのだろうか。セレーメは戦いを始めようとはせずに挑発じみた言葉をぶつけてくる。


「まんまと罠に嵌められた気分はどうだ? 雑魚に時間を食われ、私たちに先回りされた気分はよぉ」


「あまり良い気分じゃないことだけは確かだ」


 もちろん、その可能性は追っていた。

 深追いをせずに手早く追い払うだけに留めていたのもそのためだ。

 結果として先回りをされてしまったのは痛恨の極みだが、まだ挽回の余地は残されているのだ。落胆なんてせずに、ここをどう切り抜けるのかを考えるべきだろう。


 視線をセレーメからドレックへ、それからその他大勢へと向けていく。

 確認できる範囲内には地竜王の姿はおろか、俺と戦った青年の姿も、俺に強烈な蹴りを入れた女性の姿も見当たらない。

 手放しに幸運だと喜ぶにはまだ早過ぎるが、想定しうる中で最悪の状況だけは回避できたとみて良さそうだ。

 かといって、未だに危機的状況であることには変わりない。


 現時点で強敵は二人。

 俺とディアで一人ずつ相手をしようにも、万を優に超えるシュタルク帝国軍の相手まで完璧に行うほどの余裕は流石にない。

 セレーメとドレックの相手をしている間にシュタルク帝国軍がロブネル侯爵軍に雪崩込んだとしたら、一巻の終わりだ。

 万が一に備えてイグニスが待機をしてくれているが、それでも完璧とはいかないだろう。


 結局のところ、俺とディアだけで強敵二人とシュタルク帝国軍を止めなければならないということになる。

 かなりの難題だが、どうにかするしかないというわけだ。


 正面から戦えばセレーメとドレックに釘付けになることはほぼ確実。であるならば、俺とディアは攻勢には出ずに防御に徹するべきだろう。

 加えて、他力本願になってしまうが、時間が経てばフラムたちの援護も期待できる。

 向こうに強者足り得る者がいないことが前提にはなるが、仮にいたとしてもフラムのことだ。強引に道を切り開き、何とかしてしまうのではないかという期待を抱いてしまう。


 とにもかくにも、俺とディアにできることはロブネル侯爵軍の護衛だ。如何なる攻撃をも寄せ付けず、ロブネル侯爵軍を無事に渓谷の向こう側へと送り出すことが重要となる。


 俺は紅蓮を構え、セレーメとドレックを睨みつける。

 だが、これはただのポーズだ。この大人数を相手に近接武器は不要。ましてや防衛に重きを置くことからも、紅蓮の出番はほぼないと言っても過言ではないだろう。


 雨がより一層激しさを増してきた。

 俺の目をもってしても、数十メートル先にいるセレーメとドレックの姿を何とか捉えられる程度の視界の悪さ。

 常に『気配完知』を発動させておかないとシュタルク帝国軍の動きを掴めないというのは何ともやり難いが、仕方がないと割り切る他にない。


「ディア、今回は守りに徹しよう」


 この瞬間、俺の中でこの後の方針が定まる。

 そして、ただひたすら体内で魔力を練り上げていく。


「わかった。けど、気をつけて。セレーメの力はかなり厄介だから」


 セレーメが持つ『因果反転リバース・フェイト』の能力については予めディアから説明を受けていた。


 はっきり言って、反則級のスキルだと言わざるを得ない。

 ダメージを無効化するだけでも強力無比な力だと言うのに、そこに加えて無効化したダメージを反射・反転させるなんて、もはや一部の隙すらも見出だせそうもない。


「細切れになれや――ッ!」


 雨音を掻き消すほどのセレーメの怒声が俺の鼓膜を打つ。

 次の瞬間、セレーメから挨拶代わりの風刃が雨を切り裂き俺の胴体に迫る。


 俺はそれを避けることも、防ぐこともしなかった。

 迫り来る風刃と俺の間にディアが身体を滑り込ませ、立ち止まる。

 そして、風刃がディアの身体に吸い込まれるその直前、淡緑色をした風刃が突如として鋭利さを失い、そよ風となって霧散していく。


「魔法の対処なら任せて。わたしには効かないから」


 ディアは俺の方に向き直ると、全身を雨で濡らしながら柔らかな笑みを浮かべた。

 その笑みからは自信が窺える。

 四元素魔法に対する絶対的な耐性を持っている彼女からしてみれば、あの程度の魔法で怪我を負うことはない。


 かといって、反撃に出ることは難しい。

 闇雲に攻撃をすれば手痛いしっぺ返しをもらってしまうからだ。

 ともなると、迂闊な真似は避けるべき。

 幸いなことに、俺には『再生機関リバース・オーガン』という強力な再生能力があるため、致命傷になり得るダメージが返って来たとしても魔力を失うだけで済む。

 そのことから考えると、相性はそこまで悪くない相手なのかもしれない。


 けれども、それは向こうにも言えること。

 現時点では俺が持つスキルが相手に漏れている可能性は限りなく低いため、向こうからしてみれば相性の善し悪しはわかっていないだろう。

 しかし、そんなものは戦えばすぐにわかってしまうことだ。

 俺の『魔力の支配者マジック・ルーラー』は体外に放出される魔力のコントロールを阻害することこそ可能だが、体内に働く魔力に対しては干渉することができない。


 すなわち、セレーメの反射の結界に対しては有効的に作用するが、反転に対しては手の施しようがないということである。


 ならば、他に何か手立てはあるのか。

 俺が持ち得るスキルの中に、セレーメに有効打を与えられるものがあるのか。


 あまり使いたくない手だが、『精神の支配者マインド・ルーラー』なら、もしかしたら――いや、セレーメの『因果反転』の効果を考えると、俺に跳ね返ってくる可能性が捨て切れない。

 しかも、同じ神話級ミソロジースキルともなれば、そう簡単に『精神の支配者』が通用するとは思わない方がいいだろう。


 あれもダメ、これもダメ。

 いくら考えてもセレーメに打ち倒す道筋が見えて来ない。

 ここはやはり、以前セレーメに苦汁を舐めさせることに成功したディアに任せるのが一番なのかもしれないとも考えたが、セレーメの隣にドレックがいることを考えると、その考えも改める必要がありそうだ。


 ディアが持つ、スキルとは違う理にある力――権能。

 その権能を使い、ディアはセレーメと互角以上の戦いを繰り広げたという。

 しかし、ドレックがいるとなると話は大きく異なってくる。

 反転できなかったダメージをドレックの『災禍のディザスター・シールド』の効果によって肩代わりされてしまえば、怪我を負うのはディアだけとなってしまうからだ。

 そうなれば、結果は自ずと見えてくる。

 ディアだけが消耗し、敗北するという結果が。


 考えれば考えるだけ、ここでセレーメたちに勝ち切るのは困難だという結論に至ってしまう。


 やはり、ここは当初の方針通りに事を進めていくべきだろうと俺は心の中で改めて決心する。


「――チッ! クソだりぃなぁ! おい!」


 雨音に打ち勝つほどの大きな舌打ちと罵声が聞こえてくる。

 怒り狂うかのように風刃が飛び舞い、時には雷撃までもが俺たちに幾度となく襲いかかってきていた。

 しかし、そのどれもがディアの権能(耐性)によって完全に打ち消される。

 そして、ドレックはドレックで土系統魔法で鋭い先端を輝かせる針を生み出し、上下左右からディアを串刺しにしようと試みたようだが、それもディアの権能の前では意味をなさない。


 正直、このままではどちらも決め手を欠く無駄な戦いが続くだけ。

 この埒が明かない戦いが続くぶんには俺たちからしてみれば好都合なことこの上ないが、案の定と言うべきかそうはいかないらしい。


 セレーメの視線が俺たちを通り過ぎ、その奥で渓谷を目指し、進軍を続けるロブネル侯爵軍に向く。

 矛先を俺たちからロブネル侯爵軍に、そしてリーナとエステル王太后に向いたことを俺は素早く察知する。


 セレーメの右腕が灰色の空に向かって掲げられる。

 それが意味するところは、シュタルク帝国軍に向けた合図だった。


 右腕が下ろされた瞬間、豪雨が降り注ぐ空を無数の矢が、魔法が放物線を描き、俺たちの頭上を越えてロブネル侯爵軍に襲いかかる。


「させるか!」「させない!」


 阿吽の呼吸で矢と魔法を俺とディアでそれぞれ対処していく。

 ディアが風系統魔法で突風を巻き起こし、矢を巻き上げる。

 俺は多種多様な魔法に一つ一つ対応するのではなく、『魔力の支配者』でディア以外の魔力を全て阻害することで、魔法を霧散させていく。


 シュタルク帝国軍が俺たちではなくロブネル侯爵軍を狙ってくるであろうことは想定していた。故に、遅れを取らずに済んだのである。


 その後もシュタルク帝国軍の攻撃は続いた。

 無駄だと理解しているはずなのに、手を休めることなく次々と矢を、魔法を放ち続けてくる。


 その間、俺とディアはそれらの対処にあたらなければならない。

 それこそがセレーメとドレックの狙いだった。


「無視してんじゃねぇぞ、クソ共が」


 セレーメがドレックだけを引き連れ、一気に距離を詰めてくる。

 おそらくセレーメは俺たちに選択肢を突きつけているつもりなのだろう。

 自分たちへの対処か、もしくはシュタルク帝国兵への対処か、その二択を。


 そんな中、俺は突きつけられた選択肢の中にはない、第三の選択を取った――否、最初からそのつもりだったのだ。


 『気配完知』を発動させた状態で俺は、ディアに一つだけお願いをする。


「――五分でいい。五分だけでいいから、二人の相手を頼まれてくれないかな」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る