第617話 架け橋

 俺たちの牽制程度の攻撃で蜘蛛の子のように散っていく約三万ほどのシュタルク帝国軍。

 あまりにも呆気なく、まるで手応えを感じない。


 無論、少なからず反撃はあった。

 ただし、狙いは俺たちではなく、前方を走るロブネル侯爵軍及び王族や貴族を乗せた馬車。

 しかし、それらの攻撃は俺とディアによって全て無力化したため、目に見える被害はゼロ。


 結局、シュタルク帝国軍は軽いちょっかいを出してきただけで追撃の手を止め、あっさりと引き下がっていったのであった。


「張り合いのない奴らめ。一体何がしたかったのだ?」


 不完全燃焼になったフラムが、大慌てで逃げていくシュタルク帝国兵の背中を見つめてぼやく。


「自分たちに被害が出るのを嫌った、とか?」


 ディアもディアで、シュタルク帝国軍の不可解な動向に疑問を抱いているようだ。


 かくいう俺も、シュタルク帝国軍の様子にディアと似たような疑問を抱いていた。

 もし本気でリーナやエステル王太后の命を狙っていたのだとしたら、あんなにも簡単に引き下がるとは到底思えない。

 そもそも、だ。追ってきたシュタルク帝国軍の中に主力らしい主力がどこにも見当たらなかったのが不自然極まりない。


 自信過剰と思われるかもしれないが、俺たちからしてみれば雑兵ばかりの集団でしかなかった。

 俺が以前戦った不死身を自称する男もいなければ、その男の救出にきた女性の姿もなし。そればかりか、ディアたちが戦ったというセレーメというエルフも、フラムが闘志を燃やしている地竜王アース・ロードを含む地竜族の姿もどこにもなかったのだ。


 ひょっとすると個の力もなければ、工夫も連携もない数だけの力で俺たちをどうにかできると思われていたのだろうか。


 いや、その可能性は限りなく低い。

 なにせ、こちらには炎竜王ファイア・ロードであるフラムがいるし、そのことは相手に筒抜けになっているのだ。

 たとえ俺とディアが過小に評価されていたとしても、流石にフラムを無視することはできないはず。しかも、こちらにはイグニスやプリュイだっているのだ。


 あの程度の戦力で俺たちをどうにかできるとは、いくらなんでも思っていないだろう。

 とあれば、やはり何か思惑があってのことに違いない。


 シュタルク帝国軍を追い払ったものの、モヤモヤを抱きながら俺たちはロブネル侯爵軍と合流を果たしたのだった。




 その後も、シュタルク帝国軍のちょっかいは続いた。

 昼夜問わず仕掛けてきては俺たちに追い払われ、即時撤退を繰り返す。

 もはやそれは一種の嫌がらせに近かった。

 襲撃の度に足止めをくらい、心が休まる時間を与えてはくれない。

 迎撃にあたっていた俺たちにはまだ余裕はあったが、ロブネル侯爵軍は違う。シュタルク帝国軍に怯えながら過ごす時間の中で徐々に疲労が蓄積していったのか、目に見えて士気が低下してきていた。


「このままじゃまずいかな……」


 俺たちを見るや否や撤退するようになったシュタルク帝国軍の背中を見つめながら俺は不安を吐露した。


 緊張状態が続いたままでは、いずれ張り詰めていた糸が切れてしまうかもしれない。

 かといって、ロブネル侯爵軍の人たちに『安心してください』と呼び掛けたところで意味はないだろう。

 俺たちの実力が飛び抜けて高いことはこの数日間で既にわかっているはず。だが、それで安心できるかどうかは別問題なのだ。


 結局のところ、所詮俺たちは他国の人間に過ぎず、しかも少数。馬車の中でリーナたちの護衛をしているイグニスを含めても、たったの五人しかいないのだ。

 いくらリーナやエステル王太后からお墨付きをもらっていたとしても、絶対的な信用と信頼を俺たちに置くことは難しいに違いない。


「ならば、奴らを追い掛けるか? 今なら軽く捻り潰せそうだぞ」


「わたしはやめたほうがいいと思う。もしかしたら罠が張られてちる可能性だって考えられるし」


「罠ごと捻り潰せば……と言いたいところだが、そうだな。ディアの言う通り、ここは無茶をするところではないか。私たちが奴らを追い掛ける隙に襲撃されてしまっては目も当てられないしな」


 ディアとフラムの間だけであっさりと結論が出る。

 俺としても不安はあっても異論はないため、相槌を打つだけに留めたのであった。




 嫌がらせを受けつつも、ようやく第一の目的地である渓谷まで残り数時間の距離まで迫る。

 今登っている坂の先に渓谷と橋が見えてくるのだろう。

 しかし、空には濃い灰色の分厚い曇が。今にも雨が降り出しそうな空模様だ。


 結局、俺がずっと抱いていた不安が的中することはなかった。

 ひとえに、シュタルク帝国軍が攻勢を強めて来なかったのが大きい。そのお陰でロブネル侯爵軍は精神的にも肉体的にも大きな疲労を抱えながらも、何とかここまで来ることができた。


 だが、まだ安心するには早過ぎる。

 シュタルク帝国軍の主力が渓谷に先回りしていることだって十分に考えられるからだ。

 俺たちの足取りは向こうに完全掴まれている。渓谷に架かる橋を渡ろうとしていることくらい容易に予想がついているはずだ。

 だからこそ、ここから先はより警戒心を高めて臨まなければならない。


 馬車の中の雰囲気は渓谷に近付くにつれ、重苦しくなっていく。

 皆、わかっているのだ。

 この先に困難が待ち受けているかもしれないということを。


 だが、そんな中で唯一人、明らかにやる気を失っている者がいた。

 背もたれに全身の体重を預け、今にも魂が抜けていくのではないかという顔をしている人物が。


「どうしてこうなった……。何故奴らは必死になって妾たちを追い掛けて来ない……? これでは……これでは、せっかく妾が用意した最高の舞台が無駄に……」


「この馬鹿は何を言っているのだ?」


「あははは……」


 あまりにも空気が読めていないプリュイの発言にフラムが苦言を呈し、そしてリーナが苦笑する。


「あっ、雨……」


 窓から外を眺めていたディアがそう漏らすと、灰色の空が轟音を立てて一瞬、光り輝く。

 ポツポツと降り出した雨は瞬く間に豪雨へと変わる。

 この先に待つ展望を予想するかのような不吉な天気。

 それでも馬車は渓谷を目指し、泥濘んだ地面に轍を残しながら走り続ける。


 そして、俺たちは辿り着く。

 マギア王国の未来を繋ぐ架け橋――ではなく、マギア王国の命運を分ける最後の戦場に。


「やっぱりこう来たか――!」


 俺は飛び出していた。

 すぐ後に続くようにディアとフラムも馬車から飛び降りる。


「――来たのか!? そうなのだな!? きたきたきたーっ!」


 場違い過ぎる陽気な声が聞こえてくるが、それに構わずロブネル侯爵軍の中腹あたりまで進んでいく。


「俺とディアは左を! フラムとプリュイは右を頼む!」


 テンションがおかしくなっているプリュイを御せるのはフラムだけ。必然的に組み分けが決まり、二手に分かれて行動する。


 『気配完知』には左右から挟み込むように近付いてくる無数の人の気配が示されていた。

 何の情報もなければ、これまで通りただの嫌がらせの可能性もあっただろう。


 しかし、今回だけは違った。

 そこには秩序があったのだ。


 俺の脳内に映し出されたのは、見事に寸分の狂いもなく整列している無数の人の気配。明らかにそこに指揮官がいることを示していた。


 焦燥感に駆られながら気配のもとに迫っていく。

 その道中、ロブネル侯爵軍の一人に声を掛け、橋の前を占拠するように伝える。

 もしこのタイミングで橋を落とされてしまえば、俺たちは袋小路に迷い込むのと同義。

 俺とディアが協力すれば橋を再建することもできるだろうが、その間、逃げ道を失ってしまうため、橋だけは絶対に死守しなければならない。


 俺の言葉が軍全体に伝わったのか、ロブネル侯爵軍が止めていた足を動かし、一斉に坂を駆け上がっていた。

 その光景を尻目に、俺とディアは木々の間を颯爽と駆け抜け、開けた場所へ。気配のもとに辿り着く。


 そこにいたのは案の定と言うべきか、シュタルク帝国軍だった。

 俺たちが現れたにもかかわらず、驚くことなく臨戦態勢で出迎えてきたあたり、こうなることを想定していたに違いない。


「……こうすけ」


 ディアの声が明らかに強張っていた。

 それが意味するところは、強敵の存在だ。


 万を余裕で超えるシュタルク帝国軍。

 その先頭には不機嫌そうにこちらを睨む美しいエルフと、執事服を着た青年が立っていた。


 『神眼リヴィール・アイ』が使えなくとも、俺はこの二人のことを知っているし、訊いている。

 先頭に立つ二人こそが、ディアと激戦を繰り広げたセレーメと、地竜王の右腕であり盾であるドレックであるということを。


「――このまま逃げ切れるとでも思ってたか? あん? クソあめぇんだよ、ゴミ虫が」


 雷が轟き、豪雨が全身を打つ。

 マギア王国の未来を繋ぐ最後の戦いが始まる――。

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