第616話 追う者、待つ者

 王都ヴィンテルを完全に制圧したシュタルク帝国軍はすぐさま追撃の一手を打ってきた。


 アウグスト国王ならびにマギア王国軍がその身を犠牲にしてまで稼いだ三日という時間は、本来ならば俺たちに大きなアドバンテージを齎したに違いない。

 脇目も振らずに逃走を続けていれば、エステル王太后が選定した新たな国境線予定地である渓谷に、シュタルク帝国軍に追いつかれる前に到着していた可能性だってあっただろう。


 しかし、俺たちはあえてそのアドバンテージを捨て、シュタルク帝国軍に追いつかれるか否かの瀬戸際を攻め、比較的ゆっくりとしたペースで歩みを進めていた。


 無論、そのようなリスクを取っているのには大きな理由がある。

 その理由とは、マギア王国民の避難誘導だ。


 先遣隊としてロブネル侯爵軍の一部を避難誘導に向かわせた。これにより、シュタルク帝国軍の手が未だ及んでいない西側地域に住まう人々を新たな国境線と定めた渓谷よりもさらに西へと優先的に避難させていたのである。


 その間、俺たちが避難民及びロブネル侯爵軍の殿を務めつつ囮となることで、避難民の安全を確保するという算段だった。

 言うまでもなく、シュタルク帝国軍に追いつかれる前に避難民の誘導が完了するのが最良の結果だ。

 しかし、避難民は鍛え上げられた軍人とは大きく異なる。老若男女様々で、歩くペースや基礎体力、はたまた統率など、どれを比べてもシュタルク帝国軍には劣ってしまう。


 ともなると、追いつかれるのは必然。

 渓谷に架かっているという巨大な橋を落とす前に避難民を安全に避難させるためには、どうしても囮役が必要不可欠だったのだ。

 そして、囮役として適任だったのが、アウグスト国王の血を引くリーナと、元王妃であり、現王太后であるエステル王太后。

 シュタルク帝国軍の目的が領土の拡大と王族の命にあることは明白。少なからずリスクが伴うが、二人にはマギア王国民の避難が完了するまでの間、囮となってもらう運びとなったのである。


 リーナに笑顔が戻ってきてから三日が経った現在。

 俺たち『紅』とイグニス、そしてプリュイは、リーナとエステル王太后が乗る馬車に再び同乗させてもらいながら、周囲への警戒を行っていた。


 ちなみに、カイサ先生は訳あって二日前から不在となっている。

 とある理由から自ら先遣隊に立候補し、避難民のもとへ向かっていたからだ。それに伴い、ロブネル侯爵軍の指揮権は一時的にエステル王太后へ移譲された。


 王都を脱出した時の慌ただしさが嘘だったかのように、馬車はゆっくりと穏やかに進み続けている。


 が、穏やかなのは馬車の歩みだけ。

 俺の『気配完知』に複数の人の気配が引っ掛かり、緊張が走る。


「七、八、九……ちょうど十人か。七時方向にある雑木林の奥だ。さっさと終わらせよう」


「承知致しました」


 追っ手の処理は一時間おきの交代制と決めてある。

 今の時間は俺とイグニスが当番だったということもあり、二人で颯爽と馬車から飛び降りると、シュタルク帝国軍の斥候を生かすことなく、かつ痕跡を残すことなく処理していく。


 かれこれこの数日間で既に数十回以上、斥候を処理していた。

 最初のうちは短くても四時間おき程度だった斥候の処理も、今では一時間に一回は処理しなければならないほど、その頻度が増えてきている。


 それが意味するところは、ほぼ間違いなくシュタルク帝国軍本体が俺たちに迫ってきているということに他ならない。


 一応、想定の範囲内の展開とはいえるが、些か予想よりもシュタルク帝国軍の足が速かったことに一抹の不安を抱く。

 予定では二日後の夜には到着するであろう渓谷の少し手前でシュタルク帝国軍を迎撃。大損害を与えたの後に橋を落とし、渓谷を挟んで睨み合うことで膠着状態を維持するつもりだったのだが、どうやらそううまくはいかないようだ。


 斥候兵を処理した俺はイグニスと一緒に馬車へと戻り、自分の席に座ると、皆に聞こえるように少し声を張り、忠告を行う。


「そろそろ心の準備をしといた方が良さそうだ。エステル様、リーナ、いざとなったら――」


「――コースケの転移能力で脱出、ッスよね? わかってるッスよ」


 先回りしてリーナがそう答えると、その言葉に追従するようにエステル王太后が俺に頷き返す。


 非常事態が発生した際の対処法については、事前に耳が痛くなるほど何度も伝えていた甲斐もあって、しっかりと覚えていてくれたようだ。


 馬車の中にゲートを設置し、ラバール王国にある俺たちの屋敷に二人を一時的に隔離する。

 これが現時点で考えられる中で最も安全性の高い対処法だと言えるだろう。


 正直、俺としては今すぐにでも二人を転移させ、隔離しておきたいところではあったが、エステル王太后がそれを良しとしてくれなかったのだ。

 曰く、ロブネル侯爵軍に同行している他の貴族たちの目があるからという曖昧な理由だった。

 その言葉から推察するに、志を同じくしているように見せかけているだけで、実は一枚岩ではないということなのかもしれない。

 少し目を離せば、我が身可愛さにシュタルク帝国に寝返ることだって十分に考えられるというわけだ。

 貴族が今、従順になっているのは王家に忠誠を誓っているからなのか、もしくはマギア王国が存続することにメリットを感じているのかの二つに一つだろう。


 と、複雑な事情があるのかもしれないが、俺が今考えることではないのは確かだ。

 ここはエステル王太后の意を汲んで尊重し、俺は俺にできる最善を尽くすのみ。


 濁りつつあった思考をクリアにする。

 そのタイミングで、俺の『気配完知』に反応が。探知範囲のギリギリに人の気配を捉える。

 一つ、二つとその数は瞬く間に増えていき、やがて俺は数えることを諦めた。


「ふむ……」


 どうやらフラムも気配を捉えたようだ。軽く肩を竦め、やれやれといった雰囲気を醸し出す。


「思ったよりも早かったね」


 俺とフラムが発した雰囲気からディアも大体の状況を把握したらしい。フラムとは対照的に、どこかやる気に満ちていた。


「くっくっくっ……。もう妾の出番が来てしまったというのか? いや、だが困ったぞ……。ここで妾が活躍し過ぎると最後が……」


 怪しげな笑い声を上げたかと思いきや、急に神妙な面持ちでぶつくさと呟き出すプリュイ。

 ここ最近の様子からして何か企んでいることは間違いなさそうだが、俺はひとまず放置することにした。


「では、私めは御二方の護衛を。皆様、ご武運を」


 イグニスには引き続き、リーナとエステル王太后の護衛兼監視を続けてもらうことになっている。

 とはいえ、今のリーナが勝手な真似をするとは思っていないため、あくまでも護衛がメインだ。


「エステル様、そのまま軍を率いて目的地に向かってください。付かず離れず一定の距離を保ちながら俺たちは戦いますので」


「え、ええ……。わかったわ」


 心なしかエステル王太后の表情が緊張で固くなっているように見える。

 だが、それも仕方がないことだろう。

 俺たちの活躍にこの国の未来が――大切な愛娘の命が懸かっているのだから。


「守ってもらう私がこういうのもなんッスけど、無茶はダメッスよ? 絶対に」


「大丈夫、無茶をするつもりはないよ」


 シュタルク帝国軍の殲滅が目的であったのなら、精神的にも肉体的にも魔力的にも、かなりの無茶をしなければならなかったに違いない。


 しかし、今回の目的はそうではない。

 俺たちの目的はリーナたちを安全に目的地である渓谷へ、そして最終目的地であるホルプラッツへ届けることなのだ。

 つまりはシュタルク帝国軍を足止めし、振り払えばいいだけのこと。

 強敵の影が脳裏にちらつくが、正面からの戦いを避ければどうとでもなるだろう。


「――よし、行こう」


 こうして俺たちは馬車から飛び降り、シュタルク帝国軍の前に立ち塞がったのであった。


――――――――――


 カイサ・ロブネルは先遣隊としてロブネル侯爵軍本体から離れ、とある小さな町に立ち寄っていた。

 無論、名目上は避難民の誘導だ。しかし、カイサが自らこの町に足を運んだのにはある理由があった。


 まるで既に避難誘導を終えたかのように町には人気がほとんどない。

 それもそのはず、この町の住民はある者たちの働きかけにより、ほとんど避難を終えていたのだ。


「……全く。本当に懲りない奴らだな、お前たちは」


 町の中心部に彼らはいた。

 黒のローブに、黒の仮面。

 『義賊』と呼ばれたその者たちがカイサの到着を待っていたのだ。


 仮面を外したイクセルが澄ました顔でこう告げる。


「――リーナの力になる。これが俺たちの選んだ道ですから」

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