第615話 次の世代へ

「今しがた、東壁、南壁共に陥落したとのこと。我が国の軍は既に壊滅状態。直にシュタルクの蛮族共がこの城に踏み入ってくるでしょう」


 玉座の間にて、近衛騎士の一人が極めて冷静な口調で事実だけをアウグストに伝えた。

 この場に残っている近衛騎士はたったの十人のみ。最期までアウグストの剣となり、盾となるつもりで戦場には出ずに玉座の間に留まり続けていたが、戦況を鑑みればもはや詰み。

 誰もがここが己の死地なのだと完全に理解していた。


「……ここまでか。其方たちには苦労をかけたな」


 迫り来る死への恐怖を物ともせず、近衛騎士たちに労いの言葉をアウグストは掛けた。


 声に覇気はない。

 けれども、その眼に宿った炎はまだ消え失せてはいなかった。『やり残したことがある』と瞳が雄弁に物語っていたのである。


 アウグストは誰に語るわけでもなく、思考を整理するために声を発し、確認を行っていく。


「宝物庫の中身は全てエステルに持たせた。これで重要な文献や歴史書を失わずに済むだろう。そう……我が国はここで終わるのではない、ここから新たに始まるのだ。必ずやこの苦難を乗り越え、そして新たな女王の手によって、マギア王国はより一層輝かしい未来を築いていくに違いない。私の娘は優秀なのだからな」


 アウグストは己が死んだ後の未来を夢想し、自然と笑みを零していた。

 決して悲観的になることはなく、彼の脳裏には愛娘であるカタリーナと、最愛の妻であるエステルが手を取り合い、素晴らしい未来を築いていく光景が描かれていく。


 だが、このままでは夢は夢のままで終わってしまう。

 この戦争に終止符を打つのはアウグストの役割ではない。

 彼に残された最後の役割は、マギア王国が新たな一歩を踏み出す際の枷とならないことだった。


「油を撒き、火をかけよ」


 最後の仕事をこなすために、アウグストは近衛騎士たちに最後の命令を下した。

 そして、近衛騎士たちは用意していた油壺を剣で叩き割り、床に敷き詰められていた赤の絨毯に油を染み込ませていく。


 これで準備は整った。


 己の諸共、マギア王国の象徴たる白銀の城を燃やす。


 もし人質に取られてしまえば、足枷になりかねない。

 父親想いのカタリーナならば、アウグストが人質に取られていると知れば、せっかく見出した活路を閉ざしてまで救い出そうと無理をしてしまうかもしれない。


 アウグストはそのような未来を望みはしなかった。

 マギア王国と父親の命。

 この二つを天秤に掛けさせることで愛娘を苦しませてしまわぬようにアウグストは自死を選んだのである。


 後は火をつけるだけ。

 松明を持った近衛騎士が目線でアウグストに最後の命令を求める。

 その近衛騎士にアウグストは力強く一つ頷き返した。


 松明の炎が油をたっぷり吸い込んだ絨毯に触れた途端、一気に炎が玉座の間に広がっていく。


 ゆらゆらと炎が揺らめき、アウグストの視界を真っ赤に染め上げていく。


(エステルよ、リーナを支えてやってほしい。リーナよ、この国を頼んだぞ)


 こうして、マギア王国国王アウグスト・ギア・フレーリンは炎に包まれ、大役を果たし、死に至ったのであった。


 その後、王都ヴィンテルが完全にシュタルク帝国軍によって掌握され、焼け焦げた白銀の城を調査。

 調査隊が玉座の間に辿り着くと、玉座の近くにアウグストが身に着けていた鎧と骨片が虚しく転がっていたのだという――。


――――――――――


 空が黒く染まっていき、馬車からおりて野営の準備を始めようとしていた時のことだった。

 王都陥落の一報が、各地で情報収集を行わせていた複数のロブネル侯爵兵によって齎されたのは。


 リーナの耳には入れたくなかった情報だったが、事が事だったために瞬く間に野営地が大騒ぎとなっていき、隠し通すことが不可能となってしまう。


「馬鹿共が……」


 そう呟いたカイサ先生の顔が途端に険しくなる。

 人の口に戸は立てられぬとは良く言うが、良く統率されていたロブネル侯爵兵でさえも、例に漏れずこの有様。

 こうなってしまっては仕方がないと割り切る他ないが、それにしてもタイミングが悪かったと言わざるを得ない。


 もし馬車からおりる前であったなら、リーナの耳に情報が入ってしまう前に何らかの対処ができたかもしれない。

 たとえ多少の騒ぎになったとしても、誤魔化せたかもしれない。


 とはいえ、最悪の事態は避けられたとも言えるだろう。

 まさに不幸中の幸いと言うべきか、騒ぎになる前に俺たち『紅』はリーナたちと合流できていたのだ。

 これならば仮にリーナが感情の赴くまま自暴自棄になり、独りでとこかにいってしまいそうになっても、取り押さえることができる。


 俺はディアとフラム、それからイグニスに目配せをし、いつでもリーナを取り押さえられるように警戒する。

 が――リーナは目に涙を浮かべず、そればかりか毅然とした態度で前を向いていた。


「……リーナ?」


 エステル王妃が恐る恐るといった様子で横からリーナの肩を優しく抱き締める。


「心配しなくても大丈夫ッスよ。薄々こうなるんじゃないかって思ってたんで」


 そう言ったリーナは気丈に振る舞い、口元に小さな笑みを浮かべる。


 しかし、それは明らかに強がりだった。

 彼女は精一杯元気に振る舞っているつもりなのだろうが、誰の目からみても口の端が震えているのがわかるほど、笑みが崩れている。


 リーナの下ろした手に目をやると、小さな握り拳が作られ、血が滲み出てしまいそうなほど強く強く握りしめられていた。


 それでもリーナは母親を、俺たちを心配させまいと空元気を続ける。


「お父様には申し訳ないッスけど、弔ってあげられるのはもう少し後になっちゃうッスね。あっ、そうそう! ホルプラッツには綺麗な白い花が群生してる場所があるんスよ! そこにお父様のお墓を――」


 これ以上は見ていられなかった。

 リーナが元気に振る舞おうとする度に、胸が強く締め付けられてしまう。

 それに、彼女が今のまま元気に振る舞い続けていれば、いずれ限界を迎えてしまうであろうことは明白。

 涙でできたダムが決壊し、心により大きな消えない傷を残してしまうに違いない。


 しかし、リーナの心の傷を治すことは俺にはできない。

 薄っぺらい言葉を並べ立てたところで、ポッカリと空いた心の孔を埋めることなどできやしないからだ。


 だから俺は見届ける。

 唯一、リーナの心に直接触れられる人物が動く瞬間を。


「リーナ」


 エステル王妃の声には最上の優しさと温かさが籠められていた。


「貴女のことなら何でも知ってるわ。本当は泣きたくて泣きたくて仕方がない。でも、皆が見てる前では泣きたくないっていう意地っ張りなところも、全部知ってるわ」


「お母様……」


 リーナの目がほんの少しずつ潤んでいく。

 涙のダムの決壊が近付いてきているのだろう。


 しかし、この後に続いたエステル王妃の言葉は、驚くことにリーナが涙を流すことを良しとはしないものだった。


「わかってる。それでもここで涙を見せてはいけないわ。リーナ、その涙は取っておくのよ。貴女がマギア王国を建て直し、安寧を再び手に入れるその時まで取っておくの。そして、喜びの涙と共に悲しみの涙を笑い流してしまいなさい。きっと陛下も貴女が笑っている方が嬉しいはずよ。できるわね?」


 微かに鼻をすする音がリーナから聞こえてくる。

 それからリーナは一度足もとを見つめた後、真っ直ぐとエステル王妃の顔を見つめ、憑き物が落ちたかのような本物の笑みを見せた。


「もちろん、できるッスよ。こうなったら女王だって何だってやってやるッス。当然、私を焚き付けたんスから手伝ってくれるッスよね? ね? エステル王太后」


 そう言われてみて、俺も気付く。

 リーナが女王になったのだ。つまるところ、エステル王妃はこれからは王妃ではなくなり、新たに王太后の称号を得たというわけだ。

 

「王妃から王太后ねぇ……。称号が変わるってだけなのに、何だか急に歳を取った気分になるわね。そうだ、貴女が王命で私のことをこれからも王妃と呼ばせるように――」


「ダメッスよ。そんなくだらない理由で王命なんて出せるわけないじゃないッスか」


「あら、残念」


 仲睦まじく、面白おかしく笑い合う新女王と、新王太后。

 これまでの重苦しく哀しい雰囲気は、まるで嘘だったかのように霧散していった。


 しかしながら、リーナの心の傷が治るまでは長い長い月日が必要となってくるだろう。


 それでもエステル王妃もとい王太后のお陰で、リーナは深い哀しみの中にいながらも、笑みを取り戻したのであった――。

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